中の人から表の人へ。

第5回 ニヤニヤして生きていきたい
- 浅生
- 31歳のときに、バイクに乗ってて、大型の車とぶつかる事故にあったんです。足をほぼ切断し、内蔵もいっぱい破裂し、要するにもう死んでる状態で病院に運び込まれて、そこから大手術をして復活したんですけど。それから1年ぐらいは入院してて、あとはずっと車椅子生活をして。最初に「一生歩けない」って言われたんですけど、リハビリをずっとしてるうちに少しずつ歩けるようになって今に至るんです。普通なら死んでるくらいの大事故で、しばらくの期間は意識不明の状態になってたんです。
- 糸井
- 何日ぐらい?
- 浅生
- 正確にわからないんですけど、多分10日ぐらい。事故にあって運ばれて手術を受けて、その日の夜がやっぱりヤマなんですよね。そこを越えれば生きられるけど、そこで大概は死ぬ。ただぼくは「ここで死んだら妻にものすごく怒られる」って思って。だから妻に会って謝ってから死のうと思ったんです。もう死ぬのはわかってたんで、一言ごめんって言ってから死ねば、そんなに怒られずにすむだろうと。ところが妻がちょうど海外出張してて、連絡取るのに1日かかり、戻ってくるのにまた中1日かかりで、2日ぐらいかかっちゃったんです。だからその間に峠を越しちゃったっていう。
- 糸井
- 謝らなきゃならないから?
- 浅生
- そう。もうとにかく謝るまでは死ねないと。
- 糸井
- それはちょっとした意識があるんだ。
- 浅生
- そうです。とにかく謝るまでは死ねないと思ったら、2日か3日もっちゃって。で、妻が来て「ごめん」って謝って、意識がなくなったんですよ。
- 糸井
- え、そっから意識がなくなった?
- 浅生
- はい。そこまで何とか意識があったんです。もう怒られたくない一心。
- 糸井
- でも、心臓は止まってたんですよね。
- 浅生
- 一瞬ですけどね。やっぱり「死ぬとは何か」をちょっと理解したんですよ。別にぼく、死ぬのはそんなに怖くないんですけど、だからといって死ぬの嫌ですから、怖いのと嫌なのは別じゃないですか。怖くはなくなったんですよ。死ぬってこういうことかと。
- 糸井
- より嫌になるでしょうね、きっと。
- 浅生
- より嫌になるというか…。なんか、すごく淋しい。
- 糸井
- それはね、若くして年寄りの心をわかったね。ぼくは年を取るごとに、死ぬ怖さが失われてきたの。最後に映画の中のように、自分が「お父さん」とか呼ばれながら死ぬシーンを想像してるわけ。そのときに、何か一言いいたいじゃない。それ、しょっちゅう更新してるの。結構長いこと「これでいこう」と思ってたのは、「あー、おもしろかった」。これが理想だなと思って、嘘でもいいからそう言って死のうと思ってた。でも、この頃は違って、さぁ命尽きるっていう最期に「何か言ってるぞ」って思ったら、「人間は死ぬ」(笑)
- 浅生
- 真理を。
- 糸井
- そう。「人間は死ぬもんだから」。それをみなさまへの最期の言葉にかえさせていただきたいと思いますよ。
- 浅生
- 養老先生でしたっけ、人間の死亡率100%であるって。
- 糸井
- うん。明らかにわかってることはね、それは遺伝子に組み込まれてるからっていうことだよ。
- 浅生
- そうなんです。

- 糸井
- 同時に「死ぬ」がリアルになったときに、「生きる」ことを考える機会が多くなりますよね。それはどうです?
- 浅生
- そうですね。だからといって、何か世の中に遺したいとか、そういう気は毛頭なくて。ただ、死ぬということが、ぼくはすごく淋しいことだと体験したので、だから生きてる間は「楽しくしよう」みたいな。別に、知らない人とワーッてやるのは苦手なので、パーティー行ったりとかする気は全然ないし、むしろ避けて引きこもりがちな暮らしなんですけど、それでも極力楽しく人と接しようかなっていう。だいたい日頃、ニコニコするのは上手じゃないので、ニヤニヤして生きていこうみたいな感じです。
- 糸井
- そのまとめ方って、なんか展開がなくていいね。ニヤニヤで全部まとめちゃうもんね。
- 浅生
- そうですね。ニヤニヤして生きていきたい。