- 父
- 「なんでも聞いてください。どうぞどうぞ!
使えるところを、どうぞ自由に使ってください」
※まだ酔っています。
- ——
- 「わかったよ……。たとえばさあ。
1985年の春に、お母さんが会社に入って
2年後にふたりが結婚することを決めるまで、
けっこうふたりの関係は変わっているよね。
いったい、いつ好きになったの?」
- 父
- 「あのさあ……。うーん。
ドラマチックなうんぬんっていうのは、特にないんだけど」
- ——
- 「うん」
- 父
- 「仕事をしていると、夜おそくなったりするじゃん?
定時で仕事が終わらなくて、ふたりとも残業をしたり」
- ——
- 「うん」
- 父
- 「すると、ふたりとも独り身だから、
遅くなっちゃったから飲んで食べてから帰ろうかあ
っていう話になるんだよね」
- ——
- 「どこの飲み屋に行っていたの?」
- 父
- 「えーっとねえ、和泉多摩川のね。土手のわきの赤提灯の店」
- ——
- 「へえ」
- 父
- 「そうするとそういう飲み屋で……あっ、その頃はねえ!!」
- ——
- 「なんなん、急に叫ばないでよ! びっくりするじゃん!」
- 父
- 「お母さん、すんごいのんべえだったんだ。
お父さんよりも、むっちゃくちゃ飲んだよ!」
- ——
- 「そうなの? 知らなかった。
むかしはお酒が飲めたんだ」
- 父
- 「日本酒が大好きで、すっげえええ、飲んでた」
- ——
- 「へえ。お支払いは、どちらですか?」
- 父
- 「うーん……ワリカンか……お父さん寄りか。
お父さん寄りだったかな?」
- ——
- 「へえ。お母さん、偉いね。
新入社員だったのに、奢ってもらわなかったんだ」
- 父
- 「それでさ、」
- ——
- 「あっ、ちょっと待って。
30歳のお父さん、そろそろその日本酒と食事を
SNSにアップしましょうか」
- 父
- 「赤提灯の店だよ? ごちそうじゃないんですけど」
- ——
- 「赤提灯の店でも加工すれば、
オシャレ感はかんたんに出るから大丈夫」
- 父
- 「それって嘘じゃん」
- ——
- 「インターネットでは嘘をつけるんです。
それに、みんな嘘だってわかってるから、いいの」
- 父
- 「ふーん。でもやだなあ」
- ——
- 「じゃあ、その日、思ったこととか……。
朝、仕事をしているときにお母さんに対して
感じたこととか、残業後にお母さんと飲みながら
話したことで、いまでも覚えていることとか」
- 父
- 「そういうことを、SNSにアップするの?」
- ——
- 「そう。今回は『おもいでぐらむ』だから
記憶のなかの言葉になるけれど。ありそう?」
- 父
- 「あのね……、ある!!」
- ——
- 「うるさ!」
- 父
- 「あります!!」
父親、会話中に唐突に叫ぶので、びっくりします。
【1985年 夏(30歳)】
東京の基礎研究所なう。
(※商品をつくる前段階の研究を行う研究所)
ふたりチーム、最高! 彼女とふたりで
ポリエステルに穴をあける仕事をしている。
- ——
- 「だいたいこんな感じかな。ツイッター風にするなら。
お父さんの投稿内容の原案を、
それっぽく形にしてみました。どう?」
- 父
- 「まあ、いいんじゃない。軽い感じがするけど」
- ——
- 「お父さん、お母さんとふたりっきりで
仕事していたんだね。へえ~! ふう~ん!」
- 父
- 「同じフロアには、たくさん人がいたよ。
その作業をしていたのは、ふたりってだけ」
- ——
- 「うれしかったんだね」
- 父
- 「うれしかったよ。気心が知れているから」
【1985年 夏(30歳)】
18時に、仕事が終わりそうにない。
今日も残業だ。彼女とごはんを食べに行こう。
和泉多摩川へ。
- ——
- 「なぜ和泉多摩川?」
- 父
- 「お母さん、そこに住んでたんだよ。
アパートを借りて」
- ——
- 「そうなんだ。
わたし近ごろよく狛江まで行くんだよ」
- 父
- 「ああ、その隣の駅だ。うん。
お父さんは寮に住んでいたけど、
当時はまだ男女雇用機会均等法ができてすぐだから
女子寮がなくて、借りるしかなかったらしい」
- ——
- 「ほー」
【1985年 夏(30歳)】
彼女が、上司の悪口を言っている。
なんで、こんなつまらない仕事やってるんだろう!
と言っている。「どうでもいいんじゃん?」
と返してみた。彼女はよく飲む。
サイフが心配だ。
- ——
- 「それお母さんが言っていたの?」
- 父
- 「うん」
- ——
- 「つまらない仕事だって。
それ、お父さんが悩んでたんじゃないの?」
- 父
- 「いいや、お母さんだよ」
- ——
- 「本当かなあ。
かつてお母さんから聞いたことのある話と
ちょっと違うような……」
- 父
- 「インターネットは、嘘をつける場所なんでしょ?」
- ——
- 「えっ、よくご存じで……」
- 父
- 「お父さんはとにかく、お酒が飲めればよかったんです」
- ——
- 「ふうん」
- 父
- 「つぎは、時期が飛ぶけれど、
お母さんとの一番の思い出をアップします」
【1985年 冬(30歳)】
彼女のアパートを訪ねて、いつもうれしくなること。
とんとん、とドアをノックして入るときに、
彼女は、かならずニコニコしながら
「いらっしゃい~!」と言う。
あれは、うれしかったね!
- 父
- 「お父さんが結婚する前、お母さんとお付き合いしている
ときに、一番うれしかったのは、間違いなくこれだね!」
- ——
- 「お母さん、可愛いね。
でも、どうしてお父さんはうれしかったの?」
- 父
- 「は? だって、『いらっしゃい』なんて
会社では言われないだろう」
- ——
- 「たしかに、会社で『いらっしゃい』なんて
言われても、うれしくないね」
- 父
- 「待っててくれるというか、
歓迎してくれる人がいるとうれしいじゃん。
自分の存在が肯定されている感じがする……
わかるだろ!」
- ——
- 「うん、わかるよ。それって、本当に毎回だったの?」
- 父
- 「うん、毎回。ドアを開けるたび!」
- ——
- 「あっはっはっはっ(笑)」
- 父
- 「お母さんの、純粋でいい性格がでているよね。
ニコニコしていらっしゃい~って。
いまは言わないけどな!」
- ——
- 「あっはっはっはっ(笑)」
- 父
- 「いまは言わなくなったなあ!」
- ——
- 「……まあでも、学校に行くときには
玄関まで見送りにきて、いってらっしゃいって
いつも言ってくれたし、帰ってきたときには
おかえりなさいって、笑って言ってくれてたよ」
- 父
- 「たわいもないことだ」
- ——
- 「ちなみに、ニコニコしながら
『いらっしゃい~!』って言われて、
お父さんのほうは、なんて応えるの?」
- 父
- 「……なんて言っていたかなあ」
- ——
- 「……『来ました~』って?」
- 父
- 「まあ、そんな感じだよねえ」
- ——
- 「思い出してよ。なんて言って
お母さんの家に入っていってたの?」
- 父
- 「……『オウッ!』」
- ——
- 「はっはっはっはっ(笑)」
- 父
- 「はっはっはっはっ(笑)」
- ——
- 「照れ屋さん!」
(つぎへつづきます)