おもいでぐらむ。
母が帰宅した!
- ——
- 「さっきさ、取材中にお父さんのガラケーが大音量で
鳴ったかと思ったら、お母さんからのメールだったよ」
- 母
- 「あっ、そうそう。今日、倉庫の仕事、疲れちゃって。
すぐにお風呂に入りたかったから、
沸かしといてって、電車のなかでメールしたの」
- ——
- 「うん。取材はいったん中断になって、
お父さんはいっしょうけんめい掃除をしていた」
- 母
- 「いいお湯でした」
- ——
- 「なんか、偉いなあ、と思っちゃった……。
ところで、和泉多摩川の『赤提灯のお店』って知ってる?」
- 母
- 「赤提灯……よりは、いいお店だったと思うけど」
- ——
- 「お母さんは、お父さんよりも、お酒を飲んでいたそうで」
- 母
- 「失礼な! お父さんより飲める人はいないでしょ」
- ——
- 「朝まで飲んで、語り合っていたとか」
- 母
- 「ああ、そうねえ。徹夜も平気だったよね、あの頃は」
- ——
- 「でも、お父さんさあ、今日完全に酔っ払ってて、
何を言っているのか、あんまりわからなかった。
一番わからなかったのが、ふたりはいつ付き合ったのか。
……いつなの?」
- 母
- 「1987年の冬だよ」
- ——
- 「じゃあ、結婚したのは?」
- 母
- 「その春だよ」
- ——
- 「はやいね。電撃結婚ですか」
- 母
- 「いや、お母さんもびっくり。
2回目のデートでね、待ち合わせしてるのに
お父さんったら全然来る気配がないから
どうしたんだろうと思ったら、
公衆電話でおばあちゃんに電話してたの。
あとで『なに話してたの?』って聞いたら、
『次のデートで、実家につれていくから』って」
- ——
- 「えっ、勝手に?」
- 母
- 「そう。それで3回目のデートは、茨城の実家。
墓参りまでさせられて、ご先祖さまにごあいさつ。
無茶苦茶でしょ」
- ——
- 「それは、お父さんも言いにくいわけだ」
- 母
- 「ああ、おじいちゃんが、おもしろかったなあ……」
- ——
- 「よほど、嫁にきて欲しかったの……。
それで、デートは3回だけで結婚したの?」
- 母
- 「結婚じゃなくて、結納ね」
- ——
- 「あ、うん。いや、本当なんだ。すごいね。
そんなにとんとん拍子に結婚が決まっちゃって、
お母さんは不安じゃなかった?」
- 母
- 「不安なんて思うヒマもなかった」
- ——
- 「そっか」
- 母
- 「……あんた、まったく知らなかったの?」
- ——
- 「今日聞いたことは、ほとんど初耳だったよ。
本人たちは話してきたつもりかもしれないけど、
ひとつも、聞いたことがなかったから」
- 母
- 「へえ。そうなの」
- ——
- 「うん。……ねえ、そんなふうに強引なお父さんと
ケンカをしたことはなかった?」
- 母
- 「あるよ。でももう、なんでケンカしたのか覚えてない」
- ——
- 「そっか」
- 母
- 「あのね、そんないまも覚えているようなことで
ケンカはしないものなんだよ」
- ——
- 「そっか。そういうものか」
- 母
- 「うん。お風呂にバブ入れるか入れないかとか、
たわいもないことだから」
- ——
- 「(覚えてるじゃないか……)
ねえお母さん、むかしはお酒飲んでたみたいだけど
いつからお酒を飲まなくなったの?」
- 母
- 「結婚して、すぐだね」
- ——
- 「お父さんは?」
- 母
- 「は? いまも飲んでるじゃん、お父さん。
お父さんは毎日飲むから、お金がなくなっちゃうでしょ?
だからお母さんだけでも飲まないようにしないとって」
- ——
- 「あっ、節約のために、お酒を断ったの?」
- 母
- 「うん」
- ——
- 「……本当?」
- 母
- 「そうよ! だって最初の給料なんて安いんだから。
お父さん、30歳だったとはいえ、社会人2年目だったし」
- ——
- 「そっか……お父さんのために……」
- 母
- 「昭和の時代だしね」
- ——
- 「そうか、これ昭和の話か。
お母さん、お父さんのこと好きだったんだね」
- 母
- 「うん。お父さん、おもしろくて飽きないからね」
- ——
- 「なんか、よかった。
お父さんも、お母さんのこと、ちゃんと好きだったよ」
(つぎへつづきます)