大学進学を機に地元・千葉を離れて京都で1人暮らしを
始めたぼくは、ついに人生で初めて「常連さん」の領域に
足を踏み入れることになる。
京都は学生の街として名高いらしく、大学周辺には学生
向けの飲食店がひしめき合っている。
安すぎる和食屋さん、ちょっぴりリッチな洋食屋さん、
やけに提供時間が早い中華料理屋さん、牛丼屋さん、
二郎系のラーメン屋さん、謎多きインド料理屋さん…。
チェーン店はもちろん、幼き日に父と通ったような
個人が営むご飯屋さんがそこかしこにあった。
そんなご飯屋さんをめぐることが、大学周辺で
1人暮らしをしていたぼくの楽しみの1つだった。
毎月5万円の奨学金はほとんど胃袋の中に消えていき、
入学当初60kgだった体重も気づけば80kgに。
それでも実家暮らしの時には叶わなかったご飯屋さん
めぐりが楽しくて、なかなかやめられなかった。
そんな京都の外食デイズの中で出会ったのが、
『チャーリー』と呼ばれるご飯屋さんだ。
『チャーリー』は、料理人のおじちゃんと配膳や会計を担当
するおばちゃんが営む、こじんまりとしたご飯屋さん。
ランチと夕食の2部制で、26個の座席は
おなかを空かせた学生でいつもいっぱい。
人気なのは日替わり定食で、おかず2品とご飯、スープ、
サラダ、そして食後のコーヒーがついて780円なり。
おかず2品は、例えばローストンカツとハンバーグ、
さんまの塩焼きと豚トロ、シチューと唐揚げ5個のように、
主役級のおかずが贅沢にもドンドン!と同時に並ぶ。
これが大変人気で、早い時には1時間で売り切れてしまう。
美味しくてボリューミーな割にはお値段そこそこで、
グルメで腹ペコな学生には大変ありがたいご飯屋さん、
それが『チャーリー』なのだ(ご想像通り、ほとんどの
お客さんが男性です)。
と、そんな噂を耳にしたぼくは、早速チャーリーを訪ねる。
そして何度か足を運ぶうちに、すっかりハマってしまった。
味よしボリュームよし値段よしの3拍子がそろっていたと
いうのはもちろんそうだが、決定打となったのは
チャーリーのおばちゃんのとある一言だった。
それは、週2回のペースで通い続けて3か月経った頃のこと。
店のドアを開け、席に着き、おばちゃんがお水を持って
こちらにやってくる。そして、注文をせんとするまさに
そのとき、おばちゃんはこう言った「いつもの?」。
「あ、はい」と返事をし、そのままスマホを取り出し
ゲームを起動させたときに、「ん?」と思った。
い・つ・も・の
おわかりだろうか。
い・つ・も・の
そう、つまり、こういうことだ。
おばちゃんが、ぼくのことを、覚えていてくれたのだ!
それからというもの、ぼくはあっという間に
「常連さん」への階段を駆け上がることになる。
例えば、唐揚げを1個おまけしてもらえる。
『10%OFF券』を、1枚ではなく2枚もらえる。
日替わりが売切れの時は、コーヒーをおまけしてもらえる。
そして、極めつけはこれだ。
チャーリーでは月に2度、日替わり定食に
「梅しそロールカツ」が登場する。梅しそが苦手なぼくは、
その度に梅しそ抜きでお願いしていた。
しかし、「いつもの」事件のあとは、何も言わずとも
「梅しそ」を抜いてくれるようになった。それどころか、
なんと、「チーズにんにくロールカツ」に変更してくれる
ようになったではないか!
こうしたサービスが1つ1つ積み重なっていくにつれて、
徐々に「常連さん」としての実感が強まっていった。
ついにぼくも、あの日の父が立っていた「常連さん」の
領域に足を踏み入れることになったのだ。
「常連さんになって一番大きく変わったメンタル面での
変化はなんですか?」と取材されるようなことがあれば、
迷わずぼくはこう答える。
―お店を選ぶときに、「チャーリーでいいや」から
「チャーリーがいい」と強く思うようになったことかな―
*
「常連さん」になるということは、
特別なサービスをしてもらえるということ。
当時は、この程度の理解で済ませていた。
しかし、その時のぼくはまだわかっていなかった。
「常連さん」にはその先があるんだ、ということを。
その先には、もっとあたたかい、
「常連さん」のための世界が待っているんだということを。
それを理解するようになるのは、大学院入試に落ち、就職
活動にも惨敗し、いたく落ち込んでいた時期だった。