もくじ
第1回渋谷でお店を始めた理由。 2016-12-06-Tue
第2回バーのマスターになるまで。 2016-12-06-Tue
第3回カウンターから見た時代と街の移り変わり。 2016-12-06-Tue
第4回変わっていくもの、残していきたいもの。 2016-12-06-Tue

1989年宮崎生まれ。
宮崎と鹿児島の県境で育ちました。
都内ではたらく編集者です。

渋谷のバーカウンターで</br>あいましょう。

渋谷のバーカウンターで
あいましょう。

担当・竹之内円

第3回 カウンターから見た時代と街の移り変わり。

——
渋谷でお店を始めて今年で20年。
街の移り変わりを感じることはありましたか?
林さん
お店を始めたばかりの頃って、
音楽好きなお客さんだけじゃなくて、
映画関係の仕事の方がすごく多かったんですね。
 
渋谷って、映画館もたくさんあって
“映画の街”でもあったんです。
うちのお店の近くにある「渋谷アップリンク」も
昔は神南にあったんですよ。
 
BunkamuraやPARCO劇場もあって‥‥。
いろんな文化が生まれた街なんですよね。

林さん
1990年の半ばから2000年頃の宇田川町って
ギネスブックにのるくらい
“世界で一番レコードが多い街”だった時代が
あったんですね。
 
移転前のタワーレコードも宇田川町にあって、
あと、 “渋谷系”って呼ばれる音楽を広めた
HMVもあったので、音楽関係の方も
すごく多かったですね。
——
映画の街でもあり、
世界一レコード店が多い街だったんですね。
林さん
海外から買い付けたレコード屋さんも
たくさんあって‥‥。
90年代の頭にイギリスで、
“アシッド・ジャズ”が流行ったんですね。
アメリカではHIOHOPや昔の音楽を掘りだして、
それを流すというムーブメントが起きて、
渋谷でもすごく流行ったんですよ。
——
お店にも、音楽を好きな人が
たくさん集まるようになったんですか?
林さん
DJの方も多かったですね。
でも、ご存知のとおり
CDがだんだん売れなくなってしまって、
HMV渋谷店が一度閉店してしまった時は、
「もう終わりだね‥‥」って、
結構な大騒ぎになっちゃって。
 
毎日のように来てくれていた
音楽関係のお客さんも来なくなってしまって、
どうしようかなって思っていたときに、
マスコミやメディアの仕事をしている
お客さんが増えたんです。
 
1997年の開店当初は、
昼の3時から夜の12時まで営業していたんですけど、
深夜にお酒を飲みに来るお客さんが多かったので、
夜の8時から朝の4時まで営業するようになりました。
——
街の変化や時の流れとともに、
来店するお客さんも変わっていくものなんでしょうか?
林さん
そうですね。
2007年にリーマンショックがあって、
お客さんも会社の経費で飲んだり、
タクシー代を出してもらえなくなって‥‥。
でも、当時はそんなに打撃はなく
なんとかお店を続けてきました。
 
何年か経って、2011年に3.11があって
お店を閉めなきゃ‥‥っていうくらいまで
売上が落ちてしまった時期があったんです。
 
このままではまずいなってことで、
フードメニューもチーズや乾きものだけだったのを
営業時間を夕方6時から夜12時までにして、
お昼にはランチメニューも始めました。
——
バーでランチメニューってすごく珍しいですよね。
周りからの反響は大きかったですか?
林さん
ここが、渋谷のおもしろいところだなって
思うんですけど、近くにNHKがあって、
聞いた話によると‥‥
中では2万人の人が働いているんです。
 
関連会社や制作会社の方とか、
あの場所にたくさんの人が出入りしていて、
お昼に食べにくる働く人たちが
たくさんいるんだって分かって、サラダ付きの
「カレーセット」をランチで出すようになりました。

——
ランチはカレーだったんですね。
林さん
そうなんです。
意外とお昼も来てくれるんだなって驚きました。
そんな時に小宮山雄飛(ホフディラン)さんが
Twitterで“bar bossaのカレーがおいしい”って
ツイートしてくれたんです。
 
そしたら、常連で通ってくれている
BEAMSの青野賢一さんが“おいしいよね”って返信して
2人がTwitter上でやり取りをしてくれたことが
きっかけになって、いろんな雑誌でも
取り上げてもらえるようになりました。
——
そうやって広がっていくことってすごいですよね。
林さん
そこから、『danchu(プレジデント社)』のカレー特集で
“カレーがおいしいバー”って紹介してもらって‥‥。
全国からもカレーを食べに来てくれる
お客さんもいてすごく忙しくなっちゃったんです。
 
当時、妻がカレーを作ってくれていたんですけど、
あまりに忙しくなってしまったので、辞めちゃったんですよ。
 
ワインとカレーって合わないので、
ランチでしか出していなかったんですけど、
お客さんからのリクエストが多くて、
今ではお店の定番メニューになりました。
——
Twitterからおいしいって評判になったんですね。
林さんご自身がSNSを始めたのは、
何かきっかけがあったんですか?
林さん
お客さんから「お店のFacebookページを作ってみたら?」
って、勧められたんです。
 
最初の頃は “こんなワインがおいしいですよ”って
紹介したり、おすすめのCDの話を
書いていたんですけど、全然いいね!がつかないんです。
 
でも、お店の経営のことや、
バーカウンターから見た恋愛の話について書いたら
いいね!数がだんだん増え始めていったんです。
——
もともと文章を書いたりすることが
好きだったんですか?
林さん
そうですね。母親が絵本の会社で働いていたので、
小さい頃から家には、本がたくさんあって
「アガサ・クリスティ」と「エラリー・クイーン」という
推理小説の2人がいるんですけど、
小学4年生の頃から、そういう本を読んだりしていて、
本を読むのも、文章を書くのも好きでしたね。

——
cakesの連載『ワイングラスのむこう側』を始めたのも、
文章を書きたいと思ったのがはじまりですか?
林さん
10年くらい前から、cakes社長の加藤貞顕さん
お店にずっと通ってくれていたんですね。
 
でも、僕と直接会話するってことは、
10年間で一度もなかったんですよ。
ある日、なぜか加藤さんが僕のTwitterを
フォローしてくれていて、
突然、お店のFacebookの投稿にも
“おもしろいですね”って
コメントをくれるようになったんです。
——
会話からではなく、Facebook上のやりとりが
始まりだったんですね。
林さん
そうですね。
そこから「cakesで連載しませんか?」って
お話をもらって、縁があったらやるって決めているので、
2013年から「ワイングラスのむこう側」という
cakesの連載を始めました。
 
それより前から、お店のFacebookページを見てくれていた
DU BOOKSの編集の方が
「Facebookの文章を本にしませんか?」って
声をかけてもくれていて。


『バーのマスターは、「おかわり」をすすめない -飲食店経営がこんなに楽しい理由』(DU BOOKS)

——
本を出すきっかけも、
もともとはFacebookが始まりだったんですか!
林さん
そういう縁って、
僕の場合は、インターネットからつながることも
多かったですね。
 
3.11のあと、お店を閉めようかなってところまで
売上が落ちていたんですけど、
SNSや連載の読者の方がお店に来てくれるようになって。
もし、あの時にFacebookを始めていなかったら、
店を続けていなかったかもしれない。
第4回 変わっていくもの、残していきたいもの。