忙しいお店の仕込み時間にお邪魔してインタビューを続けるのも申し訳なり思い切って飲みにお誘いしてみました。
返事はOK。
場所はご主人が営む「居酒屋YAMATO」お酒の力も少し借りつつ(笑)
ここから中華そば向日葵のママさん店主大橋さんの本音にせまるインタビューがはじまります。
- ——
- 放送作家としてラーメンの番組も作ってきましたけど、こんな風に、お店の人と飲みに出かけるのって初めてですよ(笑)
- 大橋さん
- ハハハハハ(笑)
- ——
-
今回は向日葵のラーメンの魅力を伝えたい気持ちもありますけど、それ以上に大橋さんのまわりにある「やさしさみたいなもの」というか、働くママさんや、いろんな人が、自分のことのように感じてもらえるといいな〜と思ってます。
そんな日常の中のささやかな「やさしさ、つよさ、おもしろさ」を伝えたいというのがありまして・・・
通常のラーメンの取材とは、ぜんぜん違うんですけど(笑)
- 大橋さん
- そうですね。
- ——
- 今日は大橋さんの本音が出るとよいかな〜と思ってます。お酒のちからも借りて(笑)
- 大橋さん
- はい、そうですね。
- ——
- まずは、群馬から上京した時の話を聞かせてもらえますか?
- 大橋さん
- わかりました。
- ——
- 群馬のどちらで生まれたんですか?
- 大橋さん
- 吉岡町ってところなんですけど、前橋と渋川の間です。
- ——
- 高校までは地元で?
- 大橋さん
- そうです。前橋の高校でした。
- ——
- その後は?
- 大橋さん
- 女子栄養大学の短期大学に進学しました。
- ——
- 東京の?
- 大橋さん
- 東京です。駒込にあったんですけど、そこに群馬から通ってました。
- ——
- え!? 群馬からですか?
- 大橋さん
- はい。家計の問題と、親から東京に住むのはダメだと言われまして・・・
- ——
- 時間ってどのくらいかかりました?
- 大橋さん
- 鈍行で通ってたので(笑)片道3時間くらいでしたかね。
- ——
- サークルとか大学生っぽいことは?
- 大橋さん
- 一切してなかったです。
- ——
- アルバイトは?
- 大橋さん
- バイトは地元のクリーニング店でやってました。
- ——
- でも、栄養大学に通ってたんですね。じゃあ、料理のことは・・・
- 大橋さん
-
そうなんです。
基本はあるんです。栄養士の資格を持ってまして。
- ——
- なるほどね、はいはい。少しラーメンとつながりました(笑)
- 大橋さん
- まったくの素人ってわけではないんですけど。
- ——
- はいはい。
- 大橋さん
- 栄養士の資格は取ったのに、アパレルに就職しまして。
- ——
-
アパレルにね〜(笑)
そもそも栄養大学に行こうと思ったのはどうしてなんですか?
- 大橋さん
- う〜ん、あの〜、高校時代に極度にダイエットをしたことがありまして。
- ——
- 極度のダイエットって、それで身体、壊しちゃったんですか?
- 大橋さん
- はい。10キロくらい痩せたんですけど身体を壊しました。
- ——
- どう壊したんですか?
- 大橋さん
- とにかく風邪をひきやすくなりました。すぐ体調を崩すようになっちゃって。抵抗力が弱ったんだと思うんですけど。それでもう「よくないな〜」と思って栄養に興味を持ったんでしょうね。健康的に痩せる方法を学びたくて。
- ——
-
なるほど。
でも、それからなんでアパレルの道に進んだんですか?
- 大橋さん
-
短大のあった駒込から原宿って近いじゃないですか。
原宿を歩いてると雑誌関係の人から声をかけられることもありまして・・・カットモデルもやってたことがあったんですけど、そういうのから、なんだかファッション業界のことがおもしろくなっちゃいました。
- ——
-
なるほどね〜。
アパレルの時は、どこで働いてたんですか?
- 大橋さん
-
いろいろ行きましたね。
最初は群馬で、埼玉、新潟、福島、栃木、長野。
- ——
- じゃあ、その土地土地でラーメンの食べ歩きを?
- 大橋さん
- そうです。
- ——
- 主には関東甲信越だったんですね。
- 大橋さん
- アパレルの店舗展開がそうだったので。
- ——
- アパレル業界には何年間くらいいたんですか?
- 大橋さん
- 13年間です。大学を卒業して20歳のときに入りました。
- ——
- それで、ご主人と東京で出会ったのはアパレル時代の終わりの方ですよね。
- 大橋さん
- そうです。
- ——
- 東京のどこに住んでたんですか?
- 大橋さん
-
昭島市です。
会社が契約したマンションに住んでました。
- ——
- いつ東京に来たんですか?
- 大橋さん
-
転勤になって来たのは、東日本大震災の翌日・・・
2011年の3月12日です。
- ——
- え〜〜〜。
- 大橋さん
- 車で来たんです。
- ——
- なんでそのタイミングで上京になっちゃったんですか?
- 大橋さん
- そのタイミングで、昭島市に新店舗が出店だったので。
- ——
- あんな世の中がバタバタしてる時に?
- 大橋さん
-
そうなんですよ〜。
最初はすごくたいへんでしたけどね。
- ——
- ・・・ですよね。
- 大橋さん
- 群馬も震災で震度6弱だったんですけど、もう次の日に引越が決まってたので。自分で車に荷物を積んで、ひとりで運転して上京したんですよね。そうそうそう。それはよく覚えてます。
- ——
- あの時って、お店はふつうに営業してたんですか?
- 大橋さん
- 計画停電があったりして、早めに閉めてました。
- ——
- よりによって、そのタイミングで新店がオープンって・・・すごいですよね。
- 大橋さん
-
そうですね。
食料がなくて、コンビニにも水は置いてないし、まだ群馬の方があったので会社からお米を送ってもらってました。
- ——
- しかも、はじめての東京暮らしだから、スーパーの場所とか、どこになにがあるかもわからないですもんね。
- 大橋さん
-
そうですね。
わからなかったですね。目の前のコンビニがすべてでした。でも品薄っていう・・・
- ——
- それはきついですよね〜。かなりの荒波の中での船出ですよね。
- 大橋さん
- 考えてみたらそうですね。
- ——
- 淋しかったですか?
- 大橋さん
- 淋しかったといえば、そうですね。知り合いは誰もいないので。
- ——
-
そうですよね。
震災の3/12って土曜日でしたけど、出てきたその日に働いてたんですか?
- 大橋さん
- はい。ニューオープンですから。アパレルは土日勝負なんですよ。
- ——
- お客さん、来ました?
- 大橋さん
- いや。
- ——
- 震災から3日間って、余震は続いてるし、原発で事故は起こるし、のんきに服、買ってる気持ちになりにくいと思いますけど・・・
- 大橋さん
-
ん〜、確かに。
でも、会社の決めごとなので、やらないわけにはいかないんですよね、こっちも。
- ——
- 難しいですよね〜。
- 大橋さん
-
たしかにその時は売上も数万円くらいだったですけど・・・
でも、逆に、こんな状況でも「服を買いにくる人はいるんだな」ってことはわかりました。
- ——
- そうなのか〜。
- ——
- 自分が高校生とか20代前半のときに、ラーメン屋さんの店主になってるっていう未来は想像できました?
- 大橋さん
-
まったくできなかったです。
そんなわけがないですよね(笑)つい最近も想像してなかったです。
- ——
- どうやってラーメン屋さんの開業に気持ちが傾いていったんでしょうね?
- 大橋さん
-
ん〜〜〜〜〜〜。
でも主人と結婚してからですかね。
- ——
- それはどういう影響があったんですか?
- 大橋さん
- ラーメン屋さんっていうカテゴリーではなくて、飲食店をひとりでやりたいっていうのは前からあったんですよ。
- ——
- 20代のころからですか?
- 大橋さん
- それは30代になってからです。
- ——
- はい。
- 大橋さん
-
アパレルにいて年齢的な限界も感じるようになり、次になにしようかって考えたときに栄養士の資格もせっかく持ってるし、
「飲食業をやりたい」
「接客も好き」
だから自分で飲食店を持てたらいいなって思ってました。31、32歳くらいのときでしたね。
- ——
- それで?
- 大橋さん
-
いちばんはじめに思ってたのは・・・
小さい店でひとりでもまわせるくらいの「小料理屋」みたいなお店です。
- ——
- なるほど。
- 大橋さん
- そんなことを思ってるときに、たまたま主人と出会って結婚して「現実的になったな」って思いました。
- ——
- はい。
- 大橋さん
-
子供ができて育休をとってる間にアパレルを退職して・・・
その育休中に主人の居酒屋を手伝いながら大きな鍋でいちばん好きなラーメンを試しで作っていったという・・・
(つづきます)