- 私
- 今日は、ゆとり世代仲間の美大で映画制作を専攻している木崎さん、理系女子の志村さん、文系私立大の横山さんに集まってもらいました。
- 3人
- よろしくお願いします。
- 私
-
今日は、皆がゆとり世代をどの様に捉えているのかを聞きたくてお呼びしました。
今私達がゆとり世代として一括りにされていること、ゆとり世代を生んだ環境要因の一つであるSNSとの関わり方、そしてゆとり世代がどんな大人に将来なりたいのか、憧れの大人像の3つについて聞きたいなと、思っています。
さて、みんなは自分がゆとり世代として括られることに対してどう思ってる?
- 木崎
- とりあえず、私たちってゆとりなの?
- 志村
- 私たちは最初から最後までゆとり教育を受けた最後の年だよ。
- 木崎
- ぎり、ゆとりなんだ。
- 私
- それで、ゆとりとして括られることについてどう考えている?
- 志村
-
うーん。やっぱり、学校でならったことって、社会に出てそのまま役に立つことじゃないじゃない。微分の仕方とかさ(笑)それなのに、学校での教育を基準としてゆとりでしょって言われてもあんまり実感わかないよね。
そういうのゆとりの悪いところだよって大人から注意されることって、協調性とかもっと社会的な面の話だから、実際学校教育によって今のゆとり世代が生まれたって言われるのは疑問を持っているかな。でも大人にそういうのゆとりの悪いとこだよって注意されたときとか、ゆとりのせいにできるのは便利から、いい免罪符になっていると思う。逆にこっちの都合の良いように使っていくっていうのがいいような気がする。だって、大人が勝手にゆとりを作って定義しているだけで私たちには自覚ないじゃん。
- 横山
- そうだね。
- 木崎
- 自覚がないからポジティブに捉えるか、自覚がないから嫌で憤るか。そこは個人の性格によるんじゃいかな。
- 一同
- 確かに。
- 横山
- 私もゆとりって括られているのはラッキーだなって思う。ゆとりに対するイメージが悪すぎるから、もう上がるだけっていうか。失敗してもゆとりのせいにできるし、成功したらゆとりなのにすごいねって持ち上げてもらえるし。そういう意味でゆとりも案外悪くないなって思うかな。
<つづきます>