もくじ
第1回〝想いが込もる〟というジュエリーの特性 2017-05-16-Tue
第2回学費を稼ぐために飛び込んだ職人の世界 2017-05-16-Tue
第3回厳しさの中にも愛情が溢れる職人気質の親方 2017-05-16-Tue
第4回下町の職人、世界一を目指してパリへ渡る 2017-05-16-Tue
第5回ジュエリーの歴史や文化を伝えていく人に 2017-05-16-Tue
第6回職人が作業員へと変わっていった背景 2017-05-16-Tue
第7回ジュエリーは人に何を与えるのか? 2017-05-16-Tue

ライター/編集者。函館と東京を行ったり来たりしながら、インタビューをしたり、文章を書いたりしています。
Twitter
IN&OUT-ハコダテとヒト-

〝想い〟を形にする</br>ジュエリー職人の仕事

〝想い〟を形にする
ジュエリー職人の仕事

担当・阿部光平

第5回 ジュエリーの歴史や文化を伝えていく人に

━━
誰もが知る有名老舗宝飾ブランドで最高位の職人となり、
ジュエリーの本場・ヨーロッパで活躍していた臼澤さんが、
帰国しようと思った理由は何だったのでしょうか?
臼澤
ん~、やっぱり日本人だからですかね(笑)。
日本語も喋りたかったし、友達とも会いたかったし、
美味しい米を食べたかったし、
理由はいろいろとありましたよ。
 
結局、最後は自分が日本人なんだなって思って。
日本ではまだ浸透していないジュエリーの文化や歴史を
ちゃんと伝えていく人になりたという想いもありました。

━━
帰国後、師匠からはどんな言葉をかけられましたか?
臼澤
会ってないんです。
向こうにいる間に、死んじゃいましたから。
代表作が10作できるまで帰ってくるなって
言われてたんですよ。
「それまでは家にもあげない」って。
奥さんからも
「臼澤くん、今帰ってきても無理よ」って言われてました。
だから、ヨーロッパから帰ってきたのは、
親方が亡くなった後になっちゃったんですよね。
━━
そうなんですか。
では、親方の元を離れてからは、
臼澤さんの作品は見てもらえなかったんですか?
臼澤
いや、見てはくれてたみたいですよ。
僕も写真を撮って、送ったりしてましたから。
━━
作品について、何か師匠からの言葉はありました?
臼澤
「良くなったんじゃねぇ?」とか、そういうことですよね。
「ちょっとは、わかってきたのかねぇ」とか。
 
一番嬉しかったのは、
「客のために動ける職人になってきたな」
って言われた時ですね。
あと、「一端になりました」って言った時に、
「端っこじゃなく、ド真ん中に生きる職人になってくれよ」
って言われたのも、よく覚えてます。
━━
離れていても、臼澤さんのことを気にかけてたんですね。
臼澤
まぁ、ありがたいですよね。
今は奥さんも亡くなっちゃったので、
親方のお墓は僕が守ってます。
自分の父親の墓参りには行ってねえくせに、
師匠の墓参りはしてますね。
あと、あの人の道具は全部、僕が今でも使ってますよ。
━━
道具も、技術も、志も引き継いでいるんですね。
単に師弟というだけでは足りないような、
繋がりの強さを感じます。

━━
仕事の方は、日本に戻ってきてからも順調でしたか?
臼澤
最初は市川市に工房を構えて仕事してたんですけど、
業者と仕事をやっても上手くいかなかったですね。
考え方が違うんだもん。
「誰でもできる仕事なんだから安くしてよ」とか言われるし。
まぁ、独り者だったから、あまり苦労はなかったですけど。
 
だけど、ある時、「ちゃんとビジネスをしよう」
と思ったんです。
その時は、人に騙されたりとか、コケたりとか、
いろいろと大変でした。
━━
「ちゃんとビジネスをしよう」というのは?
臼澤
「上場までもってかないと、
ジュエリーの文化や歴史は伝えられないんじゃないか」
って思った時期があって。
その時はお金をかけて、雑紙にも広告を出したし、
テレビCMまで作ってました。
━━
一工房が、テレビCMまで!
それは、メディア戦略も含め、大々的にやることで
日本のジュエリー文化を変えるという考えだったんですか?
臼澤
はい。
とにかく自分がブランドにならないと、
文化は変わらないんだって思ってましたから。
やってみて、ちょっと違ったかもなとは思いましたけど。
 
ブランドになるかならないかは、ビジネス戦略じゃなくて、
お客さんがわかってくれるかどうかだし、
お客さんに商品の良さをわかってもらうためには、
職人だったら技術しかないんなだって。
所詮、僕は職人だから、
足りない脳みそ使って一生懸命に戦略を考えるより、
自分の仕事だけしっかりとやってればいいんだな
って思いましたね。
━━
思い通りにいかない壁に直面して、
職人として仕事をしていくという原点に
立ち返ったわけですか。
臼澤
そうですね。
仕事に嘘をつかないでやっていれば、
日々食っていけるんだなって。
別に見栄をはりたいわけじゃないし、
優雅な暮らしがしたいわけでもないので。
 
食ってくのに精一杯という生活はしたくないけど、
あんまり余分にお金持っちゃうと、
遊びも覚えちゃうし、仕事やらなくなっちゃうし、
そうなると下手になるし、職人としてはダメだなって。
━━
なるほど。
臼澤
うちの親方もよく言ってたんですよ。
「職人って、持ちつけない金を持つと変わるからな。
金だけ持ってると、頑張ろうって思わねぇから、
上手くなんねぇぞ」って。
だから、稼いだ金はパーっと使っちゃえって。
明日、手を動かせば稼げるんだからっていう。
━━
職人さんらしい、粋な考え方だなぁ。
 
日本でジュエリーの文化や歴史を伝えていくことについて、
今はどのようなスタンスで考えているのでしょうか?
臼澤
作り込まれた、手のかかったジュエリーというのが
どういうものなのか、どんな使い心地なのかを
わかってもらえるために、
とにかく良いものを世に出していきたいですね。
それを続けていった結果、
振り返ってみて、「うちブランドになってんじゃん!」
みたいなのが一番いいかな。
 
繰り返しになるけど、
ブランドって戦略的に作るものではなく、
お客さんに頼られることとか、
わかってもらうことで構築されていくものだと思うんです。
それには、やっぱり仕事の良し悪ししかないですよね。

━━
今、話を聞いてて思ったんですけど、
工業製品なのか趣向品なのかわからないようなものが
溢れているのって、
作る側だけでなく、ジュエリーに対する消費者側の
意識の変化によるところも大きいですよね。
臼澤
もちろん。
だからプロである以上、お客さんも育てなきゃならないし、
自分も育っていかなきゃならないんです。
━━
文化を守る、受け継ぐってのは、
作り手だけが努力しても実現できないというか、
受け手の意識も変わっていかないと
続いていかないですもんね。
臼澤
だからなんですよ。
まず、僕から変わっていかなきゃいけないし、
自分がモノ作りに対して訴え続けていって、
どこでお客さんがわかってくれて、
わかってくれるお客さんをどれだけ増やせるかに
かかっているのかなと。
 
そういうお客さんに対して、職人である以上、
僕は技術で応えていかなきゃいけないし、
納得いくまで付き合いますよってスタンスは崩しません。
そうじゃないと、職人なんてロクな死に方しないですよ。
━━
それが、お客さんから頼られることであり、
お客さんにわかってもらうことであり、
ひいてはブランドになるということなんでしょうね。
臼澤
そうだと思ってます。
第6回 職人が作業員へと変わっていった背景