- 田中
-
ご存じかどうかわからないけれども、
『糸井重里bot』っていうのがあるんです。
糸井さんの言葉を再読するちゃんとしたbotではなく、
糸井さんふうに物事に感心するっていうbotなんですけど。
いろんなことに関して、
「いいなぁ。僕、これはいいと思うなぁ」っていう(笑)。
- 糸井
- はい、はい。
- 田中
-
つまり、糸井さんのあの物事に感心する口調だけを
繰り返しているbotがあるんですよ(笑)。
- 糸井
- もう、そればっかりですよ、僕。
- 田中
-
ですよね。
だから、そのbotは、すごくよくできていて、
何に関しても、「僕はそれいいと思うなぁ」って。
- 糸井
- だいたいそうです。
- 田中
-
たとえば、この水について、
「この水、このボトル、僕は好きだなぁ」
っていうのを伝えたいじゃないですか、相手に。
「僕これを心地よく思ってます」って。
- 糸井
-
そうですね。
それは他のボトル見たときには思わなかったんですよ。
- 田中
- ですよね。
- 糸井
-
そのボトル見たときに「いいなぁ」思ったから選んだ。
また選んでいる側ですよ。
つまり、受け手ですよね。
なんでいいかっていうのは、
あえて自分への宿題にしているんですよっていう。
いずれわかったら、またその話をしますって(笑)。
これはね、雑誌の連載ではできないんです。
インターネットだから、
いずれわかったときに、わかったように書けるんですよね。
- 田中
-
とりあえず、その日は「これがいいなぁ」ってことは
伝えることができますよね。
それで、「つらつら考えたんだけど、
前もちょっと話したけど、何がいいかわかった!」
って話がまたできるんですね。
- 糸井
-
そうです。だから、やりかけなんですよね、全部がね。
うーん‥‥、なんだろう。
「これいいなぁ」っていうの。
「これいいなぁ業」ですよね。
たぶん泰延さんも本当はそれですよね。
- 田中
- もう、「これいいなぁ」ですよ、本当に。
- 糸井
-
今までに誰かいたのかな、そういう人って。
たとえば、吉行エイスケさんとかは、
そんなような人として語られたりするし、
いっぱいいるんだろうけど、どの方もやっぱり、
文壇だとか表現者の集いの中での、
つまり、サロンの人ですよね。
- 田中
-
そうですね。
閉じられた中で「あの人は偉大だった」と言われるような。
- 糸井
-
それは居心地がよさそうだなとかは思うんだけど、
「そのために趣味のいい暮らしをする」
みたいになっちゃうのは、ちょっとなぁ。
僕としては、もうちょっと下品でありたいというか(笑)。
- 田中
-
永遠にバカバカしいことをやるっていうのは、
これは一種の体力ですよね。
- 糸井
- 体力ですね、そうですね。
- 田中
-
でも、これをやらないところに陥った瞬間、
偉そうな人にやっぱりなるんで。
- 糸井
-
なるんですよねぇ。
泰延さんでも僕でも、感心されるツボみたいなのが、
「自分でも悪い気はしないよ」
っていうのが、やっぱりいっぱいあるわけだから。
- 田中
- はい、はい。
- 糸井
- どうしようかって思うんだよ。
- 田中
- 「どうしようか」(笑)。そうですよね。
- 糸井
-
で、グルッと回って「結論は?」ってなると、
「ご近所の人気者」っていうところへ行き着くんだよ。
- 田中
- 本当にそこですね(笑)。「ご近所の人気者」。
- 糸井
-
さきほどのアマチュアであることとね、
「ご近所感」ってね、隣り合わせなんですよ。
- 田中
- うんうんうん。
- 糸井
-
アマチュアだってことは、変形してないってことなんです。
プロであるってことは、変形してる。
- 田中
- 変形?
- 糸井
-
これは吉本隆明さんの受け売りで、
吉本さんはマルクスの受け売りなんですけど、
「自然に人間は働きかけ、働きかけた分だけ自然は変わる」
と。
- 田中
- はい。
- 糸井
-
「作用と反作用で変わった分だけ、自分が変わっている」
っていうのが、マルクスが言ったことなんですね。
それで、吉本さんは
「仕事とか、何かをするっていうのはそういうことで、
相手が変わった分だけ自分が変わっているんだよ」
と言うんです。
わかりやすい例でいうと、
「ずっと、ろくろを回してる職人さんがいたとしたら、
座りダコができているし、
あるいは、指の形やらも変わっているかもしれない。
長らく茶碗をつくってきた分だけ、
自分の腰は曲がっているというふうに、
反作用を受けてるんだよ。
1日だけろくろを回している人に、それはないんです」
って。
- 田中
-
そうですよね(笑)。
1日で座りダコはできないですもんね。
- 糸井
-
つまり、「ずっと、ろくろを回している人は、
ろくろを回す体になっているんです。
それがプロになるっていうことである」と。
- 田中
- なるほど。
- 糸井
-
「体が何かに特化するというのは、10年あったらできるよ」
っていうのは励みでもあるし、
同時に、「体が何かに特化することからは、
もう自由ではあり得ないんだよ」っていうことでもあって。
だから、何かに特化した人は、
「生まれた」、「めとった」、「耕した」、「死んだ」
みたいな生き方からは、
もう離れてしまう悲しみの中にいるわけです。
世界を詩で表す人は、
その分だけ世界が詩的に変化してしまっているわけですよ。
- 田中
- なるほど。
- 糸井
-
僕と泰延さんの「超受け手でありたい」という気持ちも、
すでにそういうふうに特化してしまっているわけですよ。
その意味では、そこはもうアマチュアには戻れないだけ
体が歪んでしまってるわけです。
- 田中
- はいはい。
- 糸井
-
それで、「どの部分で歪んでないものを維持できているか」
っていう指針のひとつに、
「ご近所の人気者」っていうのがあるんだと思います。
- 田中
- なるほど(笑)。
- 糸井
-
たぶん、吉本さんが「大衆の原像」っていうふうに
言われていたことが手がかりなんでしょうね。
- 田中
- 「原像」ですね。
- 糸井
-
そこを心の中に置いておいて、
「お前、そんなことやってると、笑われるよ」
っていう意識を持ち続けられるかどうか。
だけど、それは「持ってりゃいいんだよね」くらいで、
雑に考えたほうがいいような気がするんです。
誰も彼もが、飢えた子の命を救えるわけではないわけで。
- 田中
- はいはい。
- 糸井
-
落語の中の、「そういうことは天が許しませんよ」
っていうようなさ。
それを持っているかどうかみたいなのは、
自分で意識しておきたい部分ですね。
うちは、夫婦ともアマチュアなんですよ。
だから、そういう意識をちょっと持ってるような気もする。
- 田中
-
えぇ? 奥様は、僕らから見ると、
プロ中のプロのような気がするんですけど。
- 糸井
-
違うんです。
「プロになるスイッチ」を入れて、
その仕事終わったら、アマチュアに戻る。
そういうタイプの人は、世の中にやっぱりいて、
それはプロから見たら卑怯ですよね。
- 田中
- うーん‥‥。
- 糸井
-
「あんた、いいとこ取りじゃない」みたいな。
でも、スイッチ換えて、2つの人格を持つのって、
なかなかしんどいし、心臓に悪いんですよね。
だから、アマチュアは体力が要るんですよね。
- 田中
- そうですよね。
- 糸井
-
プロだと、「次もあるから、それやっちゃダメだよ」
とか考えちゃうようなことや、
「そこで120パーセント出したら、
そういうイメージが付いちゃうからダメだよ」
みたいなことでもへっちゃらなんですよね、
アマチュアって。
僕はどこかで「自分が演技したくない」というのがあって、
だから、泰延さんに渡された日本酒っていうのも、
ちょっとあれは、ものすごくむずかしいんですよ、僕には。
- 田中
- なるほど。
- 糸井
-
一方で、カミさんとかはそれをやってる人なんで、
僕は、もっとすごいことしてる人がいるなぁと思うから、
その部分では自分がアマチュアでいられるんでしょうね。
- 田中
- あぁ。
- 糸井
-
「プロって弱みなんですよ」っていうのは
肯定的にも言えるし、否定的にも言えるんです。
ただ、「何でもない人として生まれて死んだ」っていうのが
人間として一番尊いことかどうかっていう価値観は、
僕の中にはどんどん強固になっていきますね。
- 田中
- なるほど。
- 糸井
-
たぶん、泰延さんは、今、
生きていく手段として問われていることが今山ほどあって。
みんな興味を持っているのは、
泰延さんが社会に機能するかどうかっていうことでしょう。
「何やって食っていくんですか?」
「何やって自分の気持ちを維持するんですか?」
って聞かれるんですよ。
面倒くさい時期ですよね。
- 田中
-
そうですね。
今まで担保されていたものがなくなったので、
みんなが質問するし、
僕も時々、「どうやって生きていこう?」って考えてます。