糸井重里×田中泰延 対談 書いて食べていくって、どんなこと?
担当・逸見栞
第3回 読み手として、書いている。
- 糸井
-
コピーライターズクラブの文章は、何回書いたんですか?
- 田中
-
えーと、1週間、月曜から金曜までなので、5回分を書いて、
次の年も書いたので10回書いてますね。
- 糸井
-
じゃあ、それしか、はけ口がなかったわけだ。
それで、田中さんは嫌々風に書いてるけど、
全然嫌じゃなったんですか?
- 田中
-
「あ、なんか自由に文字書いて、
必ず明日には誰かが見るんだ」と思うと、
うれしくなったんですよね。
- 糸井
-
あぁ、それは、うれしいなぁ。
- 田中
-
糸井さんはそれを、
18年ずっと毎日やってらっしゃるわけでしょう?
休まずに。
- 糸井
-
うーん‥‥でも、それは、たとえば、
松本人志さんがずっとお笑いやってるのと同じことだから。
「大変ですね」って言われても、
「いや、うん、大変?みんな大変なんじゃない?」って。
だから、そこは、あえて言えば、
休まないって決めたことだけがコツなんで。
あとは、なんでもないことですよね。仕事だからね。
おにぎり屋さんはおにぎり握ってるしね。
- 田中
-
なるほど‥‥。
- 糸井
-
たぶん、田中さんは今、そうなんじゃないかなぁ。
- 田中
-
大してね、食えないんですよね、これが。
この間の塩野さんとの対談でもそうでしたけど、
これからの時代、文章っていうのをお金出して読もう、
っていう人がどんどん減るから、僕は全然儲かってないし、
何を書いても生活の足しにはならないんですよね。
- 糸井
-
そうですねぇ。
だけど、自分が文字を書く人だとか、
考えたことを文字にするっていう認識そのものがなかった時代が
20年以上あるって、不思議ですよね。
「嫌いだ」とか「好きだ」とかは思ってなかったんですか?
- 田中
-
読むのが好きで。
- 糸井
-
あぁ。
- 田中
-
それで自分がまさかだらだらと何かを書くとは
夢にも思わなかったんですよね。
- 糸井
-
今の言い方をどういうふうに、その、
自分が感じているんだろうっていうのを、
頭の中でちょっとこう考えていたんですけど、
読み手として書いてるっていうタイプの人っていうのかなぁ。
そういう表現を初めてしましたけれど、
自分にもちょっとそういうところがあって。
コピーライターって、書いてる人っていうより、
読んでる人として書いてる気がするんですよ。
- 田中
-
はい、すごくわかります。
- 糸井
-
だから、うーん‥‥。
視線は読者へ向かってるんじゃなくて、
自分が読者で、自分が書いてくれるのを待ってる、みたいな。
- 田中
-
おっしゃる通り。いや、それすごく、すっごくわかります。
- 糸井
-
これ、説明するの難しいですねぇ。
- 田中
-
難しいですね。でも、発信してるんじゃないんですよね。
- 糸井
-
受信してるんです。
で、自分に言うことがない人間は書かないって
思ってたら大間違いで。
- 田中
-
うん、うん。
- 糸井
-
読み手というか、受け手であるということを、
思い切りのびのびと自由に、「味わいたい!」って思って、
「それを誰がやってくれるのかな」「俺だよ」っていう感じ。
- 田中
-
そうですね。映画を観たら、いろんな人が
今はネットでも雑誌でも評論をするじゃないですか。
そうしたら、
「なんでこの中に、この見方はないんだろう?」って。
で、それを探して見つかったら、
もう自分は書かなくていいはずなのに、
「この見方なんでないの?じゃあ、今夜俺書くの?」
っていうことになるんですよね。
- 糸井
-
あぁ。なんで、あんなにおもしろいかっていうのと、
書かないで済んでた時代のことが今やっと、わかった。
広告屋だったから、なんですね。
- 田中
-
そうなんです。広告屋はね、発信しないですもんね。
- 糸井
-
しないですね。
でも、受け手としては感性が絶対にあるわけで。
- 田中
-
はい。
- 糸井
-
で、そこでぴたっとくるものを探してたら、
人がなかなか書いてくれないから、
「え、ぼくがやるの?」って。
それが、仕事になってたんですよね。
- 田中
-
そうですね。
- 糸井
-
自分がやってることも、今わかりました。
- 田中
-
(笑)