もくじ
第1回手土産研究家の田中さん 2017-03-28-Tue
第2回読んでいる人として、書いている 2017-03-28-Tue
第3回ブルーハーツと釣りの共通点 2017-03-28-Tue
第4回「偉そうくならない」は大事なこと 2017-03-28-Tue
第5回僕のこれから、やっぱり変わってくる 2017-03-28-Tue

フリーで編集とライターをしています。
鳩サブレ勉強家です。

田中泰延さんを、紹介します。

田中泰延さんを、紹介します。

担当・マチコマキ

第4回 「偉そうくならない」は大事なこと

糸井
ぼくはアマチュアなんですよ。
つまり、書いて食おうと思った時に、俺は自分がいる立場が、
つまんなくなるような気がしたんです。
いつまで経っても旦那芸でありたいっていうか、
「お前、ずるいよ、それは」っていう場所からいないと、
いい読み手の書き手にはなれないって思ったんで、
ぼくはそっちを選んだんですね。
で、田中さんはまだ答えはないですよね。
田中
そうなんです。
僕の「糸井重里論」というのは、好きに、好きに、
旦那芸として書くために組織を作り、
みんなが食べられる組織を作り、回していき、物販もする。
そういう壮大なね、自分のクライアントは自分という立場を、
作り切ったってことですよね。
糸井
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、
ライ麦畑で捕まる話かと思ったら、
タイトルからして間違った誤訳なんです。
「俺はキャッチャーだから、その場所で自由にみんな遊べ」
っていう話ですよね。
まさしく、ぼくが目指しているのは、
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で。
田中
見張り塔からずっとなんですね。
糸井
そうなんです。
それで、その場を育てたり、譲ったり、
そこで商売する人にこう、屋台を貸したりみたいなことが
ぼくの仕事で、その延長線上に何があるかって言うと、
ぼくは書かなくていいんですね。
本職は、管理人なんだと思うんですよ。
田中
管理人(笑)。
糸井
その意味では、田中さんもその素質もあると思うんですよ。

田中
なるほど。
糸井
ぼくは、やりたいこととやりたくないことを本当に峻別して、
やりたくないことをどうやってやらないか
ということだけで生きてきた人間です。
「やりたいことだなぁ」とか、「やってもいいなぁ」って
思うことだけを選んできたら、こうなったんですよね。
田中
そういうところ、僕は見ています。
糸井
どっちに転んでも全然いいわけです。
ぼくがもうちょっと大変だったのは、
書き手っていうものに対して、うーん‥‥、
ある種のカリスマ性を要求しますし、
書くことに順列の目を向けますね
人って。
田中
はい。
糸井
なんだろう、大統領よりもアーティストが偉いみたいな。
ぼくは、そんなのどうでもいい。
順列からも自由でありたいなぁっていう。
田中
わかります。
糸井
だから、超アマチュアっていうので一生が終われば、
ぼくはもう満足なんですよ(笑)。
田中
その軽ろみをね、どう維持するかっていう、
糸井さんはずっとその戦いだったと思うんですよね。
糸井
そうですね。
で、同時に、その軽さはコンプレックスでもあって、
「俺は、逃げちゃいけないと思って勝負してる人たちとは
 違う生き方をしてるな」って。
田中
わかる、メッチャわかる。
糸井
つまり、俺は受け手として書いてきた人間なんです。
「どうだ!」って言って、たとえば、人を斬っても、
まだ生き返って斬りつけてくるかもしれないから、
もう1回刃を両手でもって突き立てて、
心臓の所にとどめを刺して、まだ心配だから踏みつけて、
「死んだかな」というのを確かめて、心臓をえぐり出して、
ハァハァ言いながら、「勝った」と言うような人たちと
同じことを俺はしてない。
もし生き返ってきたら、「そいつ偉いな」って
思うみたいなところがあって。
田中
そうですね。
ちょっとでも書くようになって、たった2年ですけど、
書くことの落とし穴はすでに感じています。
つまり、僕はこう考えるっていうことを重ねて
毎日毎日書いていくうちに、
だんだん独善的にやっぱりなっていく。
糸井
なっていきますね。
田中
はい。そして、なった果ては、
人間は、九割くらいは右か左に寄ってしまうんですよね。
糸井
うんうん。
田中
真ん中あたりでみんなの心が揺れているのを、
うまいことキャッチして書いてくれたなっていう
フレッシュな書き手も、10年くらい放っておくと、
どっちか右か左に振り切ってることがいっぱいある。
糸井
あのぅ、世界像を安定させたくなるんだと思うんですよね。
田中
はいはい。
糸井
でも、世界像を安定させると、
夜中に手を動かしている時の全能感っていうのが起きてて
ご飯食べている時まで追っかけてくるんですね、たぶん。
田中
なるほど。
糸井
ここはね、俺は逃げたいっていう。
何もしないで、うーん‥‥、
「生まれた」、「めとった」、「耕した」、「死んだ」
という、4つくらいしか思い出がないというのは、
みんなが悲しいことだって言うかもしれないけど、
これ、やっぱり一番高貴な生き方だと思うんです。
田中
なるほど。
糸井
そこからずれる分だけ歪んでいるんで。
世界像を人に押し付けられるような偉い人になっちゃう
というのは、拍手はする時がいっぱいあるんだけど、
読み手として拍手はするんだけど、
人としてはつまんないかなっていうのが。
田中
恐ろしかったりしますね、それは。
糸井
しますよねぇ。
田中
そこで書く行為自体が、はみ出したり、怒ってたり、
ひがんでたりするということを忘れる人が危ないですよね。
糸井
それ、書き手として生きてないのに、
そういうことを考えてる読み手ですよね。
田中
そう、そう、そう、そうなんです。
糸井
ややこしいよねぇ。
田中
僕はさっき言ったような、
世の中をひがむとか、言いたいことがはみ出すとか、
何か政治的主張があるとかはないんですよ、読み手だから。
 
よく言われるのは、何か映画評とかを書いてたら、
「じゃあ、田中さん、そろそろ小説書きましょうよ」。
糸井
言いますよね、必ず言いますよね。
田中
まぁそれは読みたいっていうのもあるだろうし、
あと、商売になるって思っている人もいる。
だけど、やっぱり別にないんですよ、心の中に。
なんかこれが言いたくて俺は文章を書くというのはなくて、
常に「あ、これいいですね」、「あ、これ木ですか?」、
「あぁ、木っちゅうのはですね」っていう、
ここから話がしたいんですよ、いつも。
糸井
お話しがしたいんですね(笑)。
田中
そうなんです。
「この水、このボトル、僕好きだなぁ」っていうのを
ちょっとだけ伝えたいじゃないですか、相手に、
「僕これを心地よく今思ってます」って。

糸井
そのあたりは、たぶん永遠の問題かもしれないんだけど、
うーん‥‥、ずっと考えてることですよね。
自分の中に、そういうことに対しての見方自身が
ちょっとこう、育ち方の中で歪んでいるものが
あるんだろうなというのは思うんです。でも、
「糸井さんは、もう本当にいろんなものから
 吹っ切れているようだけど、やっぱりちょっと
 作家を偉いと思ってる」って、よしもとばななさんが。
田中
って言うんだ、よしもとさんは。
糸井
「それはものすごく惜しいことだと思う」というのを、
たしかポロッと言ったんだよね。
田中
あぁ、あぁ。
糸井
それはお父さんの吉本隆明さんも言ってたんですよ。
要するに、「思う必要がないのに」っていう。
田中
本当そう思います、僕も。
糸井
俺もそう思うんですよ。
それで、残っているとしたら、しょうがないなぁ、
拍手してる自分っていうところに、
拍手に力がこもっちゃうのかなぁみたいな。
だから、絵描きにも拍手するし、映画作ってる人にも
全部するんだけど、やっぱり表現者に対する拍手が
ちょっとでかすぎるかなみたいな。
田中
はぁはぁ、なるほど。
糸井
だから、時になんかこう、
もっとしょうもないものへの拍手というのが
同じ分量でできてるはずなのに、人に伝わるのはね、
やっぱり表現者に対する拍手だから、
そこはしょうがないのかなぁ。
でも、自分の仕事やろうって思うんですよね。わかんない。
田中
前ね、吉本さんのお話でしたっけね、お花見の時の。
午前中からいらして、いろいろセッティングをしていると。
糸井
そう。自転車でブルーシートを背中に背負って、
1冊読む本を持ってくるんです。
場所取らなきゃいけないから、全部ブルーシートに
石を置いて、自転車止めて、
夜に人が集まるまで本読んでるんです。
田中
はぁ。
糸井
うーん‥‥、すごいねぇ。
田中
すごいですね。
糸井
たしか鍋のセットとかを持って行ったんじゃないかな。
で、欠点は、鍋が上手じゃなくて。
「さぁやろう」って、火が点いてグツグツ言い出すと、
鍋の具材を、一遍に入れちゃう。
一同
(笑)
糸井
それで、「ちょっと、吉本さん、それはどうかと思いますよ」。
「あぁ、そうか、そうか」って。
田中
(笑)

糸井
「そうか、そうか」っていうことで、すぐ謝っちゃうんです。
田中
すぐ謝る。
糸井
いや、そういう見本を見てたせいがあると思う。
その、間違わない場所みたいなのを、僕はなんか
吉本さんを見てたのがすごくでかいような気がしますね。
田中
「偉そうくならない」本当にすごい大事なことです。
これは大阪弁ですけど、「偉そうくならない」って、
すごい大事だなって思います。
第5回 僕のこれから、やっぱり変わってくる