田中泰延さんを、紹介します。
担当・マチコマキ
第4回 「偉そうくならない」は大事なこと
- 糸井
-
ぼくはアマチュアなんですよ。
つまり、書いて食おうと思った時に、俺は自分がいる立場が、
つまんなくなるような気がしたんです。
いつまで経っても旦那芸でありたいっていうか、
「お前、ずるいよ、それは」っていう場所からいないと、
いい読み手の書き手にはなれないって思ったんで、
ぼくはそっちを選んだんですね。
で、田中さんはまだ答えはないですよね。
- 田中
-
そうなんです。
僕の「糸井重里論」というのは、好きに、好きに、
旦那芸として書くために組織を作り、
みんなが食べられる組織を作り、回していき、物販もする。
そういう壮大なね、自分のクライアントは自分という立場を、
作り切ったってことですよね。
- 糸井
-
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、
ライ麦畑で捕まる話かと思ったら、
タイトルからして間違った誤訳なんです。
「俺はキャッチャーだから、その場所で自由にみんな遊べ」
っていう話ですよね。
まさしく、ぼくが目指しているのは、
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で。
- 田中
-
見張り塔からずっとなんですね。
- 糸井
-
そうなんです。
それで、その場を育てたり、譲ったり、
そこで商売する人にこう、屋台を貸したりみたいなことが
ぼくの仕事で、その延長線上に何があるかって言うと、
ぼくは書かなくていいんですね。
本職は、管理人なんだと思うんですよ。
- 田中
-
管理人(笑)。
- 糸井
-
その意味では、田中さんもその素質もあると思うんですよ。
- 田中
-
なるほど。
- 糸井
-
ぼくは、やりたいこととやりたくないことを本当に峻別して、
やりたくないことをどうやってやらないか
ということだけで生きてきた人間です。
「やりたいことだなぁ」とか、「やってもいいなぁ」って
思うことだけを選んできたら、こうなったんですよね。
- 田中
-
そういうところ、僕は見ています。
- 糸井
-
どっちに転んでも全然いいわけです。
ぼくがもうちょっと大変だったのは、
書き手っていうものに対して、うーん‥‥、
ある種のカリスマ性を要求しますし、
書くことに順列の目を向けますね
人って。
- 田中
-
はい。
- 糸井
-
なんだろう、大統領よりもアーティストが偉いみたいな。
ぼくは、そんなのどうでもいい。
順列からも自由でありたいなぁっていう。
- 田中
-
わかります。
- 糸井
-
だから、超アマチュアっていうので一生が終われば、
ぼくはもう満足なんですよ(笑)。
- 田中
-
その軽ろみをね、どう維持するかっていう、
糸井さんはずっとその戦いだったと思うんですよね。
- 糸井
-
そうですね。
で、同時に、その軽さはコンプレックスでもあって、
「俺は、逃げちゃいけないと思って勝負してる人たちとは
違う生き方をしてるな」って。
- 田中
-
わかる、メッチャわかる。
- 糸井
-
つまり、俺は受け手として書いてきた人間なんです。
「どうだ!」って言って、たとえば、人を斬っても、
まだ生き返って斬りつけてくるかもしれないから、
もう1回刃を両手でもって突き立てて、
心臓の所にとどめを刺して、まだ心配だから踏みつけて、
「死んだかな」というのを確かめて、心臓をえぐり出して、
ハァハァ言いながら、「勝った」と言うような人たちと
同じことを俺はしてない。
もし生き返ってきたら、「そいつ偉いな」って
思うみたいなところがあって。
- 田中
-
そうですね。
ちょっとでも書くようになって、たった2年ですけど、
書くことの落とし穴はすでに感じています。
つまり、僕はこう考えるっていうことを重ねて
毎日毎日書いていくうちに、
だんだん独善的にやっぱりなっていく。
- 糸井
-
なっていきますね。
- 田中
-
はい。そして、なった果ては、
人間は、九割くらいは右か左に寄ってしまうんですよね。
- 糸井
-
うんうん。
- 田中
-
真ん中あたりでみんなの心が揺れているのを、
うまいことキャッチして書いてくれたなっていう
フレッシュな書き手も、10年くらい放っておくと、
どっちか右か左に振り切ってることがいっぱいある。
- 糸井
-
あのぅ、世界像を安定させたくなるんだと思うんですよね。
- 田中
-
はいはい。
- 糸井
-
でも、世界像を安定させると、
夜中に手を動かしている時の全能感っていうのが起きてて
ご飯食べている時まで追っかけてくるんですね、たぶん。
- 田中
-
なるほど。
- 糸井
-
ここはね、俺は逃げたいっていう。
何もしないで、うーん‥‥、
「生まれた」、「めとった」、「耕した」、「死んだ」
という、4つくらいしか思い出がないというのは、
みんなが悲しいことだって言うかもしれないけど、
これ、やっぱり一番高貴な生き方だと思うんです。
- 田中
-
なるほど。
- 糸井
-
そこからずれる分だけ歪んでいるんで。
世界像を人に押し付けられるような偉い人になっちゃう
というのは、拍手はする時がいっぱいあるんだけど、
読み手として拍手はするんだけど、
人としてはつまんないかなっていうのが。
- 田中
-
恐ろしかったりしますね、それは。
- 糸井
-
しますよねぇ。
- 田中
-
そこで書く行為自体が、はみ出したり、怒ってたり、
ひがんでたりするということを忘れる人が危ないですよね。
- 糸井
-
それ、書き手として生きてないのに、
そういうことを考えてる読み手ですよね。
- 田中
-
そう、そう、そう、そうなんです。
- 糸井
-
ややこしいよねぇ。
- 田中
-
僕はさっき言ったような、
世の中をひがむとか、言いたいことがはみ出すとか、
何か政治的主張があるとかはないんですよ、読み手だから。
よく言われるのは、何か映画評とかを書いてたら、
「じゃあ、田中さん、そろそろ小説書きましょうよ」。
- 糸井
-
言いますよね、必ず言いますよね。
- 田中
-
まぁそれは読みたいっていうのもあるだろうし、
あと、商売になるって思っている人もいる。
だけど、やっぱり別にないんですよ、心の中に。
なんかこれが言いたくて俺は文章を書くというのはなくて、
常に「あ、これいいですね」、「あ、これ木ですか?」、
「あぁ、木っちゅうのはですね」っていう、
ここから話がしたいんですよ、いつも。
- 糸井
-
お話しがしたいんですね(笑)。
- 田中
-
そうなんです。
「この水、このボトル、僕好きだなぁ」っていうのを
ちょっとだけ伝えたいじゃないですか、相手に、
「僕これを心地よく今思ってます」って。
- 糸井
-
そのあたりは、たぶん永遠の問題かもしれないんだけど、
うーん‥‥、ずっと考えてることですよね。
自分の中に、そういうことに対しての見方自身が
ちょっとこう、育ち方の中で歪んでいるものが
あるんだろうなというのは思うんです。でも、
「糸井さんは、もう本当にいろんなものから
吹っ切れているようだけど、やっぱりちょっと
作家を偉いと思ってる」って、よしもとばななさんが。
- 田中
-
って言うんだ、よしもとさんは。
- 糸井
-
「それはものすごく惜しいことだと思う」というのを、
たしかポロッと言ったんだよね。
- 田中
-
あぁ、あぁ。
- 糸井
-
それはお父さんの吉本隆明さんも言ってたんですよ。
要するに、「思う必要がないのに」っていう。
- 田中
-
本当そう思います、僕も。
- 糸井
-
俺もそう思うんですよ。
それで、残っているとしたら、しょうがないなぁ、
拍手してる自分っていうところに、
拍手に力がこもっちゃうのかなぁみたいな。
だから、絵描きにも拍手するし、映画作ってる人にも
全部するんだけど、やっぱり表現者に対する拍手が
ちょっとでかすぎるかなみたいな。
- 田中
-
はぁはぁ、なるほど。
- 糸井
-
だから、時になんかこう、
もっとしょうもないものへの拍手というのが
同じ分量でできてるはずなのに、人に伝わるのはね、
やっぱり表現者に対する拍手だから、
そこはしょうがないのかなぁ。
でも、自分の仕事やろうって思うんですよね。わかんない。
- 田中
-
前ね、吉本さんのお話でしたっけね、お花見の時の。
午前中からいらして、いろいろセッティングをしていると。
- 糸井
-
そう。自転車でブルーシートを背中に背負って、
1冊読む本を持ってくるんです。
場所取らなきゃいけないから、全部ブルーシートに
石を置いて、自転車止めて、
夜に人が集まるまで本読んでるんです。
- 田中
-
はぁ。
- 糸井
-
うーん‥‥、すごいねぇ。
- 田中
-
すごいですね。
- 糸井
-
たしか鍋のセットとかを持って行ったんじゃないかな。
で、欠点は、鍋が上手じゃなくて。
「さぁやろう」って、火が点いてグツグツ言い出すと、
鍋の具材を、一遍に入れちゃう。
- 一同
-
(笑)
- 糸井
-
それで、「ちょっと、吉本さん、それはどうかと思いますよ」。
「あぁ、そうか、そうか」って。
- 田中
-
(笑)
- 糸井
-
「そうか、そうか」っていうことで、すぐ謝っちゃうんです。
- 田中
-
すぐ謝る。
- 糸井
-
いや、そういう見本を見てたせいがあると思う。
その、間違わない場所みたいなのを、僕はなんか
吉本さんを見てたのがすごくでかいような気がしますね。
- 田中
-
「偉そうくならない」本当にすごい大事なことです。
これは大阪弁ですけど、「偉そうくならない」って、
すごい大事だなって思います。