- 糸井
-
居心地よさそうでしたよね。
電通には20何年?
- 田中
-
24年です。
もう、居心地よすぎて。
- 糸井
-
長いですよね。
実際に仕事もたくさんして。
- 田中
- はい。
- 糸井
-
僕は田中さんに対して
ものを書く人っていう認識がもともとなかったんですが、
最初に意識したのは、東京コピーライターズクラブの
リレーエッセイみたいなページで。
- 田中
-
はい。
リレーコラムでした。
- 糸井
-
そのリレーコラムを誰かが紹介してたんですよ。
思えば僕もコピーライターズクラブの人間だったんで、
今はこんなことやってるのかって
読みはじめたらおもしろくて、
「誰これ?」って思ったのが田中さんでした。
まだせいぜい2年くらい前かなあ。
- 田中
-
たぶんそうですね。
2015年の4月くらいに書きました、
そのコラムは。
- 糸井
-
じゃあ、それ以後ですね、
明らかにね。
- 田中
- はい。
- 糸井
-
それまで、田中泰延名義で、
ああやって個人のなにかを
書くことはなかったんですか?
- 田中
- 一切なかったんです。
- 糸井
- (笑)。
- 田中
-
僕たちの仕事って、
キャッチコピーをせいぜい20文字程度、
ボディコピー200文字とか、
- 糸井
- はいはい。
- 田中
-
それ以上長いものを書いたということが、
人生のなかで全くないですから。
- 一同
- (笑)。
- 糸井
- みんな笑ってます(笑)。
- 田中
-
それまで一番長かったのが
大学の卒論で、原稿用紙200枚くらい書きました。
これは人の本の丸写しですから
書いたうち入らないですね。
- 糸井
-
ちなみに、
それはなんの研究なんですか?
- 田中
-
芥川龍之介の『羅生門』の小説だけで
200枚くらい書きました。
- 糸井
- ほぉ。
- 田中
-
いろんな人の、
こうね、丸写し。
- 糸井
- 切ったり貼ったり?
- 田中
-
切ったり貼ったり、
切ったり貼ったりして。
でも、担当教授にそれを見せたら
「私は評価できません」と。
とりあえず卒業させてあげますけど、
私は知りませんって言われたんですよ。
だから、その時から多少、変だったんでしょうね。
- 糸井
-
いわゆる、
「博覧強記」っていう
ジャンルに入りそうなものを書いたんですね。
- 田中
-
まぁ、
とんでもないところから
切ったり貼ったりしようっていう
意識はあったんですよ。
- 糸井
- あぁ。
- 田中
-
例えば、芥川龍之介の小説の
ほんの1行、
「きりぎりすが泣いている」っていう
ことに関して、これはなんていう種類のキリギリスが
この1100年代くらいの時代の京都にはいるかとか、
まったく無関係なことを
たくさん書いたんですね。
- 糸井
- あぁ‥‥。
- 田中
-
だから、
今と近いかもしれない。
- 糸井
-
のちに、僕らが「石田三成研究
(:秒速で1億円稼ぐ武将 石田三成
~すぐわかる石田三成の 生涯~)」で
読んで味わったようなことを、
大学の先生が味わったわけですね。
- 田中
- 無関係なことを書くと。
- 糸井
- それしか書いてないんですか?
- 田中
- それしか書いてない。
- 糸井
- ラブのレターも?
- 田中
-
まったく、苦手で。
その後、書くって言ったら、
2010年にツイッターに出会ってからですね。
あれ、140文字までしか書けないので
広告のコピーを書いてる身としては、
こんな楽だっていうことではじめました。
- 糸井
-
文章の長さが
ちょうどいいんですよね。
- 田中
- はい。
- 糸井
-
じゃあ、広告の仕事をしてる時は、
いわゆる広告人だったんですか?
- 田中
-
もう真面目な、ものすごく真面目な。
これ、録音で
伝わるかわかりませんけど。
- 糸井
- どうぞ、どうぞ。
- 一同
- (笑)。
- 田中
- ものすごく真面目な広告人。
- 糸井
-
それはコピーライターとして
文字を書く仕事と
プランナーもやっていたんですね。
- 田中
- はい、テレビコマーシャルを。
- 糸井
-
その分量配分は
どんな感じですか?
- 田中
-
大阪、関西は、
いわゆる平面ポスター、新聞、雑誌っていうのは
すごく少ないんですよね、仕事自体が。
- 糸井
- はい。
- 田中
-
出版社も新聞社もぜんぶ東京なんで、
いわゆる文字を書くコピーっていう
仕事がほとんどなくて。
- 糸井
- うん。
- 田中
-
実質20年くらいは
テレビCMの企画ばっかり。
もちろんテレビCMの最後には、
何かコピーが載りますけど。
- 糸井
- 「来てね」とかね(笑)。
- 田中
-
「あります」「当たります」とか(笑)。
だから、ツイッターができた時には、
文字を打った瞬間に活字になって
人にばらまかれるっていうことに関して、
俺は飢えていたっていう感覚はありました。
- 糸井
-
友達同士でのメールのやりとりとか、
そういう遊びもしてないんですか?
- 田中
- あんまりしてなかったですね。
- 糸井
- すごい溜まり方ですね。
- 田中
-
溜まってましたね。
もうすごいんですね。
溜めに溜まったなにかが(笑)。
- 糸井
-
っていうことは、筆下ろしは、
コピーライターズクラブの。
- 田中
- はい。
- 糸井
-
あれ、どのくらいでしょうね、
600字くらいの感じかな。
- 田中
- 800字くらいじゃないですか。
- 糸井
- 800字くらいですか。
- 田中
- はい。
- 糸井
-
で、そのうちの中身に
あたるものはほとんどなくて。
- 田中
- まったくないですね。
- 糸井
-
800字のうち600字くらいは、
どうでもいいことだけが
書いてあるっていう文章。
- 田中
-
今でも全然変わらないですね、
それ。
- 糸井
-
ねぇ。
おもしろかったんですよ。
- 田中
- ありがとうございます。
- 糸井
- でも、27、8の若い人だと思っていて。
- 田中
- (笑)。
- 糸井
-
これから、
こういう子が出てくるんだ、
いいなぁって。
- 田中
- (笑)。
- 糸井
-
この子、もっと書かないかなって思っていて。
いつ頃だろう、
27、8じゃないってわかったのは。
- 田中
- 46、7のオッサンだったっていう(笑)。
- 糸井
- 20歳開きがある(笑)。
- 田中
- ヒロ君のまま保存されているからですね。
- 一同
- (笑)。
- 糸井
-
そうですね。
まだ触ると敏感みたいなね。
- 田中
-
そうなんですよ。
あの組織(電通関西支社)に入った
23歳のヒロ君のまま今まで来ちゃってるから。
- 糸井
-
それが、ついこのあいだの2、3年前。
やがて、
映画評を書くのが次ですか?
- 田中
- はい。
- 糸井
-
西島さん(:西島知宏)のところですよね。
「街角のクリエイティブ」を立ち上げた編集長。
- 田中
- はい。
- 糸井
-
あの方は、
電通にいたんですよね。
- 田中
- はい。
- 糸井
-
先輩、後輩で言うと、
田中さんが先輩?
- 田中
-
はい。
7、8年先輩なんです。
- 糸井
-
じゃあ、
若手の人として付き合ってたんだ。
- 田中
-
いや、彼も電通に在籍していたのも
辞めたのも知っていましたが、
なんの付き合いもなかったですね。
- 糸井
-
えっ。
そうなんですか。
- 田中
-
そうなんですよ。
2年前くらいのある日。
突然、大阪の僕のところに訪ねて来て、
彼が「明日会いましょう」っていうから
大阪のヒルトンホテルに翌日行ったら
すごくいい和食が用意してあって、1人前6,000円くらいの。
うわぁ、たっかぁ(高)って思いながら食べたら急に。
「食べましたね。食べましたね、今」
だから、「食べましたよ」って言ったら、
「つきましてはお願いがあります」と。
糸井さんが見られたのと同じ、
東京コピーライターズクラブのリレーコラムと、
ツイッターでときどき2、3行書いていた
映画評みたいなのを見たらしく
「うちで連載してください」と言われました。
- 糸井
- うんうん。
- 田中
-
分量はどれくらいですかって聞いたら、
「ツイッターみたいに2、3行でいいです」
- 糸井
- (笑)。
- 田中
-
「えっ、いいの?映画見て2、3行で?」
ってびっくりしたら
「そうです」って言うから、
映画を観て次の週に
とりあえず7,000字書いて送りました。
- 糸井
- あぁ、溜まったものが。
- 田中
-
そう。書いてみると、
やっぱり。
- 糸井
-
2、3行が(笑)。
7,000字、多いですよね。
書きはじめたらなっちゃったんですか?
- 田中
- なっちゃったんです。
(つづきます)