- 田中
-
ご存じかどうかわからないのですが、
今、糸井重里botっていう
糸井さんふうに物事に感心するっていうのが
ツイッターにあるんですよ。
いろんなことに関して、
「僕はこれは好きだなぁ」って言う(笑)。
- 糸井
-
そればっかりですよ、
僕もう。
- 田中
-
ですよね。だから、そのbot、
何に関しても
「僕はそれいいと思うなぁ」。
- 糸井
-
だいたいそうです。
受け手ですよね、という日々ですよ。
なんでそれがいいかっていうのは、
自分の宿題にしています。
わかったら、
いずれまたその話をしますよ(笑)。
これはね、
雑誌の連載ではできないんですよ。
インターネットだから、
いずれわかった時に
わかったように書けるんですよね。
- 田中
-
でも、その日はとりあえず
「これがいいなぁ」ってことは
伝えることができますよね。
- 糸井
- そうです、そうです。
- 田中
-
それは、
ツラツラ考えたんだけど
何がいいかわかったって話が
またできるんですね。
- 糸井
-
そうです。だから、
やりかけなんですよ、全部が。
田中さんがやっているのも
だいたいパターンは同じですよね。
- 田中
- はい。
- 糸井
-
うん、このことをね、言いたかったんですよ。
僕はたぶんずっと。
自分がやっていることの癖や
形式みたいなものが
飽きるっていうのもあるし、
なかなかいいから
応用しようっていうのもあるし、
それをずっと探しているんだと思うんですね。
田中さんはそこでつけてしまった癖が
20何年分あって、
- 田中
- はい。
- 糸井
-
自分が名前で出していくっていう
立場になってこれ、変わりますよね。
- 田中
- そうなんです。
- 糸井
- (笑)。
- 田中
-
これがむずかしい。
今、「青年失業家」として
岐路に立っているのは、
会社でコピーライターをやっている
そのついでに何かを書いてる人
ではなくなりつつあるので、
じゃあどうしたらいいのかっていうことで、
すごい岐路に立っているんですね。
- 糸井
-
2つ方向があって、
書いたりすることで
食っていけるようにするっていうのが、
いわゆるプロの発想。
それから、
書いたりすることっていうのが
食うことと関わりなく自由である
ことっていうことで書けるから、
そっちを目指すっていう方向と
2種類分かれますよね。
- 田中
- そうですね。
- 糸井
-
僕もきっとそれについては
ずっと考えてきたんだと思う。
僕はアマチュアなんですよ。
つまり、書いて食おうと思った時に
自分がいる立場が
つまんなくなるような気がしたんで
いつまで経っても
旦那芸でありたいっていうか。
「お前、ずるいよ、それは」っていう
場所からいないと、
いい読み手の書き手にはなれないって
思ったので僕はそっちを選んだんですね。
田中さんはまだ答えはないですよね。
- 田中
- そうなんです。
- 糸井
- どうなるんだろうねぇ。
- 田中
-
僕の「糸井重里論」っていうのは、
そういう好きを旦那芸として
書くために組織を作り、
みんなが食べられる組織を作り、
そして回していき、
で、物販もした上でその立場を作るっていう
壮大な、
自分のクライアントは自分っていう立場。
それを、作り切ったってことですよね。
- 糸井
-
『キャッチャーズ・イン・ザ・ライ』という
小説の話にたとえるんだけど
これ、ライ麦畑で捕まる話かと思ったら、
タイトルからして間違った誤訳で、
本当は「俺はキャッチャーだから、
その場所で自由にみんな遊べ」ですよね。
まさしく、僕が目指しているのは、
『キャッチャーズ・イン・ザ・ライ』で。
- 田中
- ずっと、見張り塔なんですよね。
- 糸井
-
そうなんです。
その場を育てたり、譲ったり、
そこで商売する人に
屋台を貸したりみたいなことが僕の仕事で、
その延長線上に何があるかって言うと、
僕は書かなくていいんですね。
本職は、
管理人なんだと思うんですよ(笑)。
- 田中
- 管理人(笑)。
- 糸井
- 田中さんはその素質もあると思うんですよ。
- 田中
- なるほど。
- 糸井
-
だから、僕は、
やりたいこととやりたくないことを
峻別してきた。
燃えるゴミと燃えないゴミみたいに。
で、やりたくないことをどうやって
やらないかっていうことだけで
生きてきた人間で、
「やりたいことだなぁ」とか、
「やってもいいなぁ」って思うことだけを
選んできたらこうなったんですよね。
田中さんは僕のことを
そこのところよく見てるわけだから、
- 田中
-
その軽ろみをね、
どう維持するかっていう。
糸井さんは
ずっとその戦いだったと思うんですよね。
- 糸井
-
そうですね。
同時に、
その軽さはコンプレックスでもあって、
俺は逃げちゃいけないと思って
勝負してる人たちとは
違う生き方をしてるなって思う。
- 田中
- わかる、メッチャわかる(笑)。
- 糸井
-
つまり、
僕は受け手として書いてきた人間なんで、
「どうだ!」って言って
たとえば、人を斬っても心臓の所にとどめを刺しても
まだ心配だから踏みつけて、
「死んだかな」っていうのを確かめながら
心臓をえぐり出してハァハァ言いながら、
「勝った」というような人たちと
同じことをしていないんでですよ。
もし、生き返ってきたら、
僕は「そいつ偉いな」って
思うところがあって(笑)。
- 田中
-
そうですね。
ものを書くようになって
たった2年ですけど、
書くことの落とし穴はすでに感じていて、
それは、つまり、
僕はこう考えるっていうことを重ねて
毎日書いていくうちに
だんだん独善的になっていく。
- 糸井
- なっていきますね。
- 田中
-
そして、なった果ては、
人間の九割くらいは
右か左に寄ってしまうんですよね。
- 糸井
- うんうん。
- 田中
-
どんなにフレッシュな書き手が現れて、
ど真ん中で心が揺れているのを
その揺れているのものを
うまいことキャッチして書けた人も、
10年くらい放っておくと右か左に
振り切ってることがいっぱいあって。
- 糸井
-
世界像を安定させたくなるんだと
思うんですよね。
- 田中
- はいはい。
- 糸井
-
でも、世界像を安定させると、
夜中に手を動かしている時の
全能感っていうのが起きてご飯食べている時まで
追っかけてくるんですね、たぶん。
- 田中
- なるほど。
- 糸井
-
ここはね、僕は逃げたいと思う。
「生まれた」、「めとった」、
「耕した」、「死んだ」っていう、
4つくらいしか思い出がないのは
みんなが悲しいことだって
言うかもしれないけど、
これ、
やっぱり一番高貴な生き方だと思うので。
- 田中
- なるほど。
- 糸井
-
そこからずれる分だけ歪んでいるんですよ。
世界像を人に押し付けられるような
偉い人になっちゃうのは、
拍手はする時がいっぱいあるんだけど、
読み手として拍手はしても、
人としてはつまんないかなって。
- 田中
-
恐ろしかったりしますね、
それは。
- 糸井
- しますよねぇ。
- 田中
-
そこで書く行為自体が、
はみ出したり、怒ってたり、
ひがんでたりするということを
忘れる人が危ないですよね。
- 糸井
-
書き手として生きてないのに、
そういうことを考えてる読み手ですよね。
- 田中
- そう、そう、そう(笑)、
- 糸井
- ややこしいよね。
- 田中
-
僕はさっき言ったような
世の中をひがむとか、
言いたいことがはみ出すとか、
政治的主張があるわけではなくて。
読み手ですから。
だから、よく言われるのは、
映画評とか書いてたら、
「そろそろ小説書きましょうよ」。
- 糸井
- 言いますよね。
- 田中
-
それを読みたいっていう人はいるだろうし、
商売になるって思っている人もいる。
だけど、やっぱり別にないんですよ。
心の中にこれが言いたくて
俺は文章を書くというのはなくて、
常に、「あ、これいいですね」
「あ、これ木ですか?」
「あぁ、木っちゅうのはですね」っていう。
ここから話しがしたいんですよ、いつも。
- 糸井
-
なんだろう、
「これいいなぁ業」ですよね。
- 田中
- はい。
- 糸井
- たぶん泰延さんも本当はそれですよね。
- 田中
-
「これいいなぁ」ですよ、
本当に。
(つづきます)