彼女が本当は「たいせつなもの」に
最初から気づいているとしたら、
この物語はどうなるのだろう。
たとえばすべてが、ばいきんまんを振り向かせるための
壮大な作戦であるとしたら。
彼女は、名曲「♪ 私はドキンちゃん」の中で
「この世の終わりが来たときも、わたしひとりは生き残る」
と言ってのけている恐ろしいレディなのだ。
ありえない話ではない。
本当は自らもばいきんまんを愛しながら、
目の前で他の男性に骨抜きにされてみせ、
「あなたはどうか」「悔しくないのか」と挑んで、
やきもきさせる。
ハイリスクだが、ばいきんまんの様子を見るかぎり、
たしかに一定の効果があるのかもしれない。
あるいは、本当は気づいていながら、
その想いと葛藤しているとしたら。
帰る手配もなしに、無人島でしょくぱんまんと
二人きりになろうと模索した様子をみると、
少なくともしょくぱんまんに寄せる想いに
偽りはなさそうである。
けれど、すこしこれは暴走気味だ。
彼女は勝気で負けず嫌い。
ばいきんまんを必要としている自分に気づきながらも、
「まさか」「まさか」と
自分をはぐらかし続けているのかもしれない。
この線は濃厚だ。
彼女を支離滅裂な行動に走らせ追い込んでいるのは、
その葛藤ゆえなのかもしれない。
いずれにしても、ドキンちゃんが城から一度出れば、
すべてが動きはじめることなのに…!
考えれば考えるほどに止まらない。
日がな、とは言わずとも、私は
この歴史あるラブコメディに想いをよせているばかりだ。
ふと思った。
私にとって、「ばいきんまん」はいないのだろうか。
(つづきます)