ー そして今、
阪井さんは、前を見て歩きはじめました。
もちろん香取さんだけでなく、
大変な日々を、たくさんの人たちが支えてくれました。
「次は、淡路島や」
阪井さんはすぐに目標を掲げます。
「大阪の工房もお気に入りでしたが、いわゆる町工場でした。
海の見える、空の広い、いい環境のところに、
工房を建てるのが夢でしたから、
もう次はその夢を叶えるために、淡路島やな、と」
燃えた工房は消火で全壊し、後片付けが必要でしたが
たくさんの人がお見舞いも兼ね、
駆けつけてくれました。
「本当にいろんなひとが手を貸してくれましたね。
しゃれで焼肉のタレを持ってくるような人もいましたけど(笑)。
無残な現場で、淡路島の構想について話したり、
『ダイハード』の真似ごとなんかしてたもんですから、
『なんか勇気もらえたわ』とちょっと泣いてくれたりする人もいて。
そのあとみんなで焼肉食べにいきました(笑)」
どこまでもポジティブに。
それが阪井さんらしい乗り越え方でした。
そして、もうひとり、阪井さんには味方がいました。
「弟を亡くして以来、自分に起きる出来事にいつも
特別な意味みたいなものを感じるようになったんですよね。
『これも縁か』というような。
自分でも気づけてない、本当に望んでたことが
勝手に集まってくるような感覚もありますし、
なにより、ぼくは今『2人分を生きてる』つもりでいるので、
いっしょに毎日を感じていっしょに残り超えて、
2人分楽しまないと」
阪井さんには、いつもたくさんの仲間がついています。
「いろいろありますけど、どこからともなく
助けてくれる人が集まってきてくれることには本当に感謝ですよね。
そして香取さんのような、思いもよらないすごい人が
背中を押してくれたりもする。不思議ですよね。
全部無くなった! なんて言っても、
再起に、こんなにたくさんの人が手を貸してくれました。
とてもありがたかったです」
阪井さんが家具づくりを通して、さがしているのは
「共感してくれる人」です。
「自分や『ROOTS FACTORY』の価値観、センス、
そういったものに共感しておもしろがってもらえたりすることが
すごくうれしいので。
家具っていっしょに過ごすものですから、
暮らしをたのしくする力もあると思うんですよ。
家具で、たのしい気持ちを伝染させたいですよね。
だって今、めちゃくちゃ幸せだから。
ぼくは、はみ出た部分を個性だと受け入れてもらえる
ものづくり・アートと出会えて本当に良かったんです。
徐々にまた忙しくて手が回らなくなってきましたけど、
きっとどうにかなりますから。
たのしく一生懸命向き合ってれば、
助けてくれる人もいるし、道も開ける。
なにも心配は要らないんです」
阪井さんにはいつか、丘の上に
最高の体験を提供できる「ゲストハウス」付きの家具工房をつくりたい、
という目標もあります。
世界にひとつの家具をつくる「オーダメイド体験」を、
おもてなしと、つくる家具で
人生の「特別な体験」にするのが、阪井さんの夢です。
失うものもありましたが、再起した男は
どこまでも強いのでした。
香取慎吾さん、このお店の方の名前は「阪井信明」さんです。
あなたが背中を押した家具屋さんは今、
ものづくりと出会えた喜びを本当に大切にしながら、
素敵な仲間といっしょに新しいスタートを心から楽しんでいます。
そしてあなたに心から感謝をしています。
いま、たくさんの人があなたのスタートも応援しています。
だって、変化を楽しみ、前向きの貪欲に新しいことにがむしゃらになる、
そんな魅力的な人を、誰も放っておけるわけがないから。
今日、阪井さんという素敵な家具屋さんと出会うことができました。
そしてお話を伺う中で、現在の「ROOTS FACTORY」さんの活躍と
あの日の感謝の気持ちを、香取さんに伝えることができたなら、
そう願わずにはいられず、
わたしの心と筆が走り出しました。
わたしも、どこかスタートしような気分があるのです。
たくさんの感謝が、
どうか届きますように。
(おわり)