
どうしてこんなところに。
(永田泰大)
シャラドは目がとてもいい。
たぶん、2.0どころじゃないと思う。
たとえば、険しい山道を走っている車の中で、
遥か遠くの山肌を指さして、
「ほら、あんなところに」などと彼は言う。
指さす方向を見ても、ぼくにはなにも見えない。
ただ、ごつごつした茶色い山肌があるばかりである。
「あの上です、道をずっとたどって‥‥
あんなところにひとつだけ家があります」
よーーーく探してみると、
ああ、なるほど、たしかに山の上の方に、
ぽつんと一軒だけ家がある。
ネパールの山は木が少ないから
その家の回りに集落があるわけではない
ということがよくわかる。
ほんとに、ぽつんと、その家はある。
「どうしてあそこに住むのか」とシャラドは笑う。
ほんとにそうだ。
あそこに住むということは、
どこに出かけるとしても、
あの山を下りてどこかに出かけ、
帰り道はあの山をのぼらなくてはいけない。
よくあんなところに住むなあ、とたしかにぼくも思う。
でも、すごく正直にいえば、
ぼくはコタン全体にだって、
いや、ネパールのほとんどの場所について、
似たような感想を抱くのだ。
「どうしてこんなところに住むんだろう」
標高約1500メートルの高地。
舗装されていない山道を
何時間もかけて移動するような立地。
少ない資源。危険な環境。岩と砂埃。
ここじゃなくてもいいだろうに、と、
もちろん口には出さないがぼくは思ったりする。
しかし、すぐに、「あ」と気づく。
たぶん、日本も同じことなのだ。
どうしてこんなところに住むんだろう、と、
きっと多くの外国人が思うだろう。
狭くて、人が多くて、地震がやたらに多くて、
台風が年に何本も上陸するようなこんな場所に、
どうして日本の人は住むんだろう?
だって、日本に住むぼくですらよく思うし、
角度を変えて言うなら、
「あなたはなぜそんなところに住んでるの?」と
誰かにいきなり訊かれて
すぱっとうまく答えられる自信はない。
新幹線に乗ると窓の向こうに流れる景色のなかに
ぽつぽつ灯る家の灯りを見つけて、
あの灯りひとつひとつに暮らしがあるのかと感じて
途方に暮れそうになることがある。
職場の同僚の出身地を訊いて、
そんなばらばらのところからやってきた人が
よくこんなところで同じように働いてるなと
不思議な気持ちになることがある。
長い、複雑な、歴史と理由の重なりの果てに、
それぞれの人は世界中のそれぞれの場所で生きている。
そういう当たり前にばらばらな問答無用の前提を、
旅に出るとあらためて痛感することになる。