ネパールでぼくらは。

#52古賀さんと、鴨さんは、
シャラドがつくった学校を見て、
同じようなことを考えはじめた。
「自分たちに、なにができるだろう?」
ばらばらに考えているふたりが、
同じようなところを
意識しているのがおもしろい。

寄付の先にあるもの。

(古賀史健)

職員室に案内され、
壁にかかったさまざまな
写真を見ながらシャラドの話を聞く。
突然彼は、こう断言した。

「でも、この学校が黒字になることはないです。
 どうやっても、ここは赤字です」

この山村で理想の教育を実現しようとすれば、
どんなにがんばっても赤字になってしまう。
教育の質を高めようとすればするほど、
赤字は膨らんでいく。
「でも」
シャラドは続ける。
「この学校をつぶす気はないです」

コタンのYouMeスクールは、
いわばシャラドの志を示す「象徴」で、
今後は都市部にいくつもの学校をつくり、
そこでの収益でどうにか
スクール全体を黒字化して
持続可能な体制をつくっていきたい。
その第一歩として、
昨年ようやくネパール第二の都市ビラトナガルに
ふたつめのYouMeスクールをつくることができた。
みなさんからの寄付に頼るような学校では、
ぜったいにだめなんです。
シャラドはそう付け加える。

この学校にきて以来、
自分にできることはなんなのか、
ずっと考えている。

たとえば子どもたちの履き古した靴を見て、
靴を送ればよろこばれるんじゃないか、と思う。
ちいさな校庭であそぶ子どもたちを見て、
サッカーボールを送るのはどうか、と思う。
本を送るのはどうだろう。
鉛筆とノートを送るのはどうだろう。
いろんなことを考える。

でも、それはたぶん違うのだ。
そういう「わかりやすいモノ」を送るのは、
かぎりなく「わかりやすく感謝されたい」に近い、
一歩間違うと独善的な欲望だ。

もちろんサッカーボールを10個でも送れば、
子どもたちはこころからよろこんでくれる。
送ったこっちもうれしく、誰も損はしない。

それでも日本からここにやってきて、
実際に赤い帽子の子どもたちと触れあったぼくは、
寄付の先にあるものを考えたい。
自分にしかできないなにかを、考えてみたい。

必要なもの

(浅生鴨)

ユメスクールは確かに新しくて、先生たちも熱心だし、
これまでにないカリキュラムで授業を行っていて、
それはもう本当に画期的なことなのだけれども、
やっぱりまだいろいろなものが不足している。

いちばん足りないのはもちろん
運営資金と優秀な先生なのだけれども、
とにかく光が足りないんだよなあと僕は思っていた。
なんというか、教室の中が暗いのだ。
それはユメスクールに限らず、
近くにある公立の学校へ立ち寄ったときにも感じたことで、
たぶん建築上の問題で、大きな窓がつくれないのだろう。
でも、しょっちゅう停電するこの国では、
たとえ照明器具をつけても充分に灯りをとることはできない。

もう一つは黒板だ。教室の前後にとりつけられている
黒板は小さくて、しかも消しづらいから、
少し離れたところに立つと、
僕の目では何が書かれているのか読みづらい。
もちろん、コタンの子供たちは僕なんかより
圧倒的に視力がいいだろうから、
別に困ってはいないのかもしれない。
それでも、現地の状況をあまり知らないまま、
いろいろな事情を完全に無視して勝手なことを言えば、
たとえば教室の壁がすべて真っ白な、
それこそホワイトボードのような壁紙になっていたら、
光を反射して少しは教室の中も明るくなるし、
もっとたくさんの文字を書くこともできるだろう。

いや、もちろんこれは、何も知らない僕が
勝手に言っているだけのことで、
実現できるかどうかは考えていない。
でも、今ここに何よりも必要なのは、
そういうことじゃないのだろうかと思う。
必要なのは、たぶんノートでも靴でも本でもなく、
アイディアなのだと思う。
ものごとの視点を変え、それを長く持続するための
アイディアが必要なのだと僕には感じられたのだった。

明日につづきます。

2019-08-15-THU

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