
寄付の先にあるもの。
(古賀史健)
職員室に案内され、
壁にかかったさまざまな
写真を見ながらシャラドの話を聞く。
突然彼は、こう断言した。
「でも、この学校が黒字になることはないです。
どうやっても、ここは赤字です」
この山村で理想の教育を実現しようとすれば、
どんなにがんばっても赤字になってしまう。
教育の質を高めようとすればするほど、
赤字は膨らんでいく。
「でも」
シャラドは続ける。
「この学校をつぶす気はないです」
コタンのYouMeスクールは、
いわばシャラドの志を示す「象徴」で、
今後は都市部にいくつもの学校をつくり、
そこでの収益でどうにか
スクール全体を黒字化して
持続可能な体制をつくっていきたい。
その第一歩として、
昨年ようやくネパール第二の都市ビラトナガルに
ふたつめのYouMeスクールをつくることができた。
みなさんからの寄付に頼るような学校では、
ぜったいにだめなんです。
シャラドはそう付け加える。
この学校にきて以来、
自分にできることはなんなのか、
ずっと考えている。
たとえば子どもたちの履き古した靴を見て、
靴を送ればよろこばれるんじゃないか、と思う。
ちいさな校庭であそぶ子どもたちを見て、
サッカーボールを送るのはどうか、と思う。
本を送るのはどうだろう。
鉛筆とノートを送るのはどうだろう。
いろんなことを考える。
でも、それはたぶん違うのだ。
そういう「わかりやすいモノ」を送るのは、
かぎりなく「わかりやすく感謝されたい」に近い、
一歩間違うと独善的な欲望だ。
もちろんサッカーボールを10個でも送れば、
子どもたちはこころからよろこんでくれる。
送ったこっちもうれしく、誰も損はしない。
それでも日本からここにやってきて、
実際に赤い帽子の子どもたちと触れあったぼくは、
寄付の先にあるものを考えたい。
自分にしかできないなにかを、考えてみたい。