ネパールでぼくらは。

#60朝、コタンのホテルのまわりを散歩する
浅生鴨さんの視点を借りよう。
写真家、幡野広志さんはカメラで切り取り、
作家、浅生鴨さんは文章でとどめる。
つくづく、贅沢な旅だと思う。

カップに入った罪悪感

(浅生鴨)

遠くで鐘の音が響き渡ると
カラスが一斉に鳴きはじめた。
どこからか人が歌っているような声も聞こえてくる。
これがコタンの朝なのだろう。
ベランダに出て、あまりの寒さに身震いをしたあと、
僕はとりあえず電気ポットで湯を沸かし、
コーヒーを淹れた。
停電せず電気がちゃんと通じていることも、
飲める水があることも、
日本で暮らす僕たちにしてみれば、
あたりまえのように思えるけれども、
本当は奇跡に近いことなのだ。
今も世界中でこの奇跡を多くの人が望んでいて、
そして、その望みはまだしばらく叶いそうにない。
僕はカップに入った罪悪感を飲み干す。
街全体にうっすらとかかる霧は紫色で、
曇っているせいか日の出は見えそうになかった。

空っぽ

(浅生鴨)

朝食の時間まで、コタンの街をぶらぶらと散歩する。
街というよりも集落といったほうが良さそうな大きさで、
あっというまに端から端までたどり着く。

トタン板で覆っただけの粗末な家の前では、
子供たちが火に当たっていた。
広場では髭面の男たちが、
大きなオートバイにまたがったまま
何やら楽しげに話していた。

また鐘の音が響く。コタンには有名な寺院があるのだ。
集合時間まではまだ余裕があるので、
僕はぼんやりとあたりの風景をビデオで撮影しながら、
寺院に向かった。
寺院へ続く長い長い階段を上っていくのは、
足の悪い僕にとっては少々キツいのだけれども、
やっぱりこういう場合には好奇心が勝つからしかたがない。

階段を上りきると、木でつくられた枠に、
たくさんの小さな鐘が
とりつけられているのが僕の目に入った。
お参りを終えた人たちが、
鐘に触れてガラガランと音を出している。
寺院の周りには土産物を売る店がずらりと建ち並んでいて、
その前で女性たちが、朝もまだ早いのに
すでに訪れている大勢の観光客に向かって声をあげていた。

僕にも声をかけてくる。
どうやら果物を買えと言っているようだ。
ナイフで傷をつけたところに、
ストローを差し込んでそのまま中の果汁を飲むらしい。
「じゃあ一つください」
お金を渡すと、若い女性が大袈裟な千枚通しのような器具で
果物の皮に穴を開け、ストローを差し込んだ。
「ありがとう」
受け取った果物を持って僕はぶらぶらと境内を歩き始めた。
ストローを口にくわえて吸い込む。
けれども、何も出てこなかった。
ストローを深く挿し直してもう一度吸う。
やっぱり何も出てこない。
どうやら僕は空っぽの果物を買ってしまったようだ。
たいして飲みたくもなかったのに、
飲めないとわかると、妙に喉が渇いてくるから不思議だ。

浮気する男

(浅生鴨)

寺院の境内をゆっくり歩いていると、
向こうから何となく
見覚えのある人がやってきた。古賀さんだ。
「おお、こんなところでお会いするとは」
我ながら、どうにもバカバカしい挨拶をしているなと思う。
だってこんなに小さな集落なのだし、
同じところに泊まっているのだし、
集合時間だって同じなのだし、
みんなが訪れる有名な寺院で会うのは
おかしくもなんともない。


古賀さんと言えば犬だ。
古賀さんはそのへんに犬がいれば、すぐ夢中になる。
もはや中毒。もはや犬ジャンキーである。
ネパールはいたるところに犬が落ちているので、
これはもう豆を撒き散らした公園に鳩を放つようなもので、
古賀さんは今のところ見境なく
すべての犬に食いついている。
この境内で寝転んでいる犬にだって色目を使っている。
古賀さんの飼っている犬から見れば、
これはもう完全な浮気だし、どうにも言い逃れはできない。
現行犯なのだ。

明日につづきます。

2019-08-27-TUE

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