ネパールでぼくらは。

#63古賀さんはこの旅のなかで、
何度も何度もシャラド・ライについて考える。
そしていろんな角度から書く。
それは、たぶん、
なにかにこころが惹きつけられれば
惹きつけられるほど、
ことばで表さずにはいられないという、
彼の優秀な特質によるものなのだろう。

聖なる洞窟で。

(古賀史健)

ヒンドゥー教徒にとってのハレシ、
仏教徒にとってのマラティカ、
その聖地中の聖地ともいえる地下の洞窟に、
シャラドの案内で降りていく。

それだけ神聖な場所だからだろう、
写真撮影が禁止された洞窟は、
天井から無数のコウモリがぶら下がり、
キーキーキーキー不協和音のような声をあげている。

とにかく失礼があっちゃいけない。
神妙な面持ちで歩いていると、
突然シャラドが何事か大声で叫んだ。
「なんて言ったの?」
「神さまに『こんにちは!』って言ったんですよ」
それは敬虔な信徒が捧げる祈りというよりも、
神社であそぶ子どもが賽銭箱の前で
ガンガンガラガラ鈴を鳴らしている音に近い。

うん、ここでシャラドの話をしよう。

シャラドは日本で「ライくん」と呼ばれている。
おそらくは読みやすさ、
憶えてもらいやすさを優先して、
本人も「ライくん」を認め、それで通している。
日本のぼくらが知る「ライくん」は、
純真で、あかるくて、まっすぐで、穢れを知らない、
どこか聖人君子のような元留学生だ。

それはもちろん彼のパーソナリティなのだけど、
ネパールで毎日接するなか、
少しずつ知っていった「シャラド」は、
いたずら好きで、冗談も大好きで、
やんちゃで負けず嫌いな、
ちゃんとした喜怒哀楽をもった
いわば普通のネパール人青年でもある。

ぼくはその「普通の青年」としてのシャラドに、
深く感銘を受けた。

たしかに彼はすごい人だ。
すでにとんでもなくすごいし、
この先もっともっとおおきなことを、
やろうとしている。
そのための準備を進めている。

このコタン郡に生まれた彼が、
なんでもない「普通の青年」である彼が、
これだけのことを成し、
もっとおおきなことを成そうと前を向いている。

なんというかそれは、
普通の人間であるぼくらが
みんな持っているはずの可能性を、
教えてくれているように思えるのだ。

そうだよな、
そもそもYouMeスクールって
そういうことを教えるための場所なんだよな。

選ばなかった人生に。

(古賀史健)

洞窟を出て地上に上がると、
一匹の茶色い山羊が立っていた。
山羊特有の車両進入禁止マークみたいな目で、
ぼくらを怖がるでもなく、ただ立っていた。

シャラドによると、
ここハレシ寺院にいる山羊は、
山羊であって山羊ではないのだという。
ここにいる山羊は、
すでに「シヴァ神のもの」であり、
神聖な、傷つけることの許されない、
特別なものなのだ。

地面には山羊の糞がたくさん落ちている。
わあ、踏んじゃったかも、
なんて騒いでいるとシャラドが、
「山羊の糞じゃないです。
 これも『シヴァ神のもの』です」
と付け加える。

10代の一時期、シャラドは
出家して「サドゥー」と呼ばれる
ヒンドゥー教の修行僧になろうとしたそうだ。

自分はなぜ生まれたのか。
生まれる前、自分はどこにいたのか。
この命が終わったあと、自分はどこに行くのか。
哲学の本を読んでも、
宗教の本を読んでも、
満足できる答えはどこにも書かれていない。
だからぼくはサドゥーになろう。
真理の探求に、この生涯を捧げよう。
そう思ったのだそうだ。

しかし学校の先生から、
「きみにはまだ、
こっちの世界でやるべきことがある」
と引き止められ、サドゥーの道をあきらめた。

その結果、日本に留学もしたし、
学校教育のたいせつさをあらためて痛感したし、
こうしてYouMeスクールをつくることにもなり、
日本人の奥さんとも結婚し、
かわいい子どもにも恵まれた。
あのとき引き止めてくれた先生には、
こころから感謝している。

「でも、ですね」
寺院をあとにしながらシャラドは付け加えた。

「いつかぼくは、やるでしょうね。
 どのタイミングかわからないけれど、
 サドゥーになると思いますね。
 もうひとつの人生、はじめると思いますね」

きっとそれまでにシャラドは、
引き止めるひとが誰もいないような状況を、
つくってしまうのだろう。

ネパールという国の教育に、
ちゃんと道筋をつくるところまでやりきって、
あのころ夢見たサドゥーの道に、
ふたたび進んでいくのだろう。

このひとは、どこまで遠くをみているのだろうか。
シャラドの強さの秘密が、
またひとつわかった気がした。

次回の更新は9月2日(月)です。

2019-08-30-FRI

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