第2回罪の意識。
I take photographs in my neighborhood.
I think that mysterious things happen in familiar places.
We don’t always need to run to the other end of the world.
私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。
神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。
なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ。
- ──
- ずっと「知る人ぞ知る」みたいな存在だった
ソール・ライターさんですが、
1950年代後半から60年代にかけては、
ニューヨークを拠点にして
『ハーパーズ・バザー』『エル』『ヴォーグ』
といったファッション誌で活躍する、
売れっ子フォトグラファーだったんですよね。
- ポリーヌ
- はい。
ソール・ライター 《映画『Beyond the Fringe』のキャスト(ダドリー・ムーア、
ピーター・クック、アラン・ベネット、ジョナサン・ミラー)と
モデル『Esquire』》
1962年頃 ゼラチン・シルバー・プリント
ソール・ライター財団蔵 ©Saul Leiter Estate
- ──
- でも、ファッションの世界って、
その後のソール・ライターさんの歩み‥‥
つまり、ほとんど隠遁生活に入って、
まるで仙人みたいに、
人知れず
ニューヨークの街角や人を撮り続けた、
という歩みを考えると、
すごく「遠い世界」に思えるのですが。
- ポリーヌ
- ある意味では、ええ。
- ──
- ライターさんは、なぜ、他の分野、
たとえばジャーナリズムなど‥‥ではなく、
ファッションを選んだのでしょう。
- ポリーヌ
- ソール・ライターは、
報道、ジャーナリスティックな写真より、
ファッション写真のほうに
むしろ、なじみを持っていたと思います。
- というのも、ひとつには、彼自身、
政治には、さほど関心を持っていなかった。
- ──
- なるほど。
- ポリーヌ
- わたしが、ライターとの共通性を感じる
アンリ・カルティエ=ブレッソンや
同時代のロバート・フランクなどは、
なんらかの
政治的な考えを持っていたと思うのですが、
ソール・ライターは、その点ちがう。
- 政治からは、距離を置いていたんです。
- ──
- そうなんですね。
- ポリーヌ
- そして、もう一点、
ライターは、ファッション写真を撮って、
生活の糧を得ていたわけですけれど、
その仕事と並行して、
ストリートフォトグラフィも撮っていた。
- 60年におよぶキャリアのほとんどを
家の近所‥‥すなわち
ニューヨークのイーストヴィレッジ界隈で
撮っているんですが、
つまり「美しいものを撮る」という点で、
50年代のファッション写真と、
数十年後に、彼をいちやく時の人にした
ストリートフォトグラフィの間には、
それほど、へだたりはなかったと思います。
ソール・ライター 《カルメン、『Harper’s Bazaar』》
1960年頃 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵 ©Saul Leiter Estate
- ──
- ニューヨークのストリートの写真でも、
ファッション写真でも、
どっちも「美の瞬間」をとらえていた。
- ポリーヌ
- そう。
- ──
- そのことの他に、
「写真家ソール・ライター」の特徴には、
どういった点がありますか?
- ポリーヌ
- まず、ソール・ライターという写真家は、
自分の作品について、
とにかく「何も語らなかった」という点。
- そして、その「語らない」という姿勢を、
声高に主張しても、いなかったこと。
- ──
- 徹底的に「黙して語らず」だった。
- ポリーヌ
- たしかに一風変わった人ではあったかも
しれませんが、
決して反社会的ではなかったし、
他人との関係を拒んでいるということも
なかったんですけど、
孤独で‥‥世間からは孤立していました。
- ──
- はい。
- ポリーヌ
- 写真をマーケティング的に考えることも、
メディアに
自分の作品を売り込んだりすることも、
やらなかった‥‥
おそらく「できなかった」ので、
晩年は、貧乏な生活を送っていたんです。
- ──
- ファッション誌で活躍していた時代は、
売れっ子で、有名だったのに。
- ポリーヌ
- そうですね、でも、たとえば、
同時代のアーヴィング・ペンほどには
有名ではなかったですし、
もちろん、
当時ライターが撮った写真そのものは、
素晴らしい出来栄えですが、
「成功していた」と言っても、
「ニューヨークで
暮らしていけるだけの収入があった」
というほどのことだと思います。
- ──
- 積極的に「成功を追求」しなかった。
- ポリーヌ
- イタリア、フランス、英国‥‥
ヨーロッパへ撮影旅行に行ったりなど、
ファッション業界というのは、
華やかな世界ですが、
そこでのし上がって、
ガッポリお金もうけをすることなどは、
ライター自身は求めていませんでした。
- 自分にとって、
心地のよい生活のできる収入があれば、
それでいいという人だったんです。
- ──
- なるほど。
- ポリーヌ
- つまり、彼の関心の中心にあったのは、
お金や成功じゃなく、
美、美しいもの‥‥もっと言えば
「美しい色」に、大きな関心があった。
- ──
- 色。やっぱり「色」なんですね。
- ポリーヌ
- ソール・ライターは、絵も描いたんです。
実際に、たくさんの作品を残しています。
- 日本の浮世絵にも興味を持ってましたし、
ある意味で、
彼の本質は「絵描き」であると言っても
いいかもしれないほど、
絵に対するライターの気持ちは強かった。
ソール・ライター 《ジェイ》
写真1950年代 ・ 描画1990年頃
印画紙にガッシュ、カゼインカラー、水彩絵具
ソール・ライター財団蔵 ©Saul Leiter Estate
- ──
- だからこそ、
美しい色に強い関心を持ってたんですね。
- 雪景色に真っ赤な傘とか、
色にハッとするような写真も多いですし。
- ポリーヌ
- 思うに「本質的には絵描き」だったから、
違和感はなかったと言いながらも、
どこかの段階で、
何かと華美なファッション業界のことを
トゥーマッチに感じはじめ、
やがて、
隠遁的な生活に入っていったのでしょう。
- ──
- 静かに、美しい色を求める生活へ‥‥と。
- ポリーヌ
- そして、リチャード・アヴェドンや、
アーヴィング・ペンといった、
世界的に有名なフォトグラファーたちが、
ソール・ライターへのリスペクトを
表明していますけれど、
彼自身は、
自分はそれほど偉い人間ではないんだと、
つねに、考えていました。
- ──
- その理由って、何か思いつきますか?
- ポリーヌ
- はい、それはおそらく
ライターの「罪の意識」だと思います。
- ──
- 罪?
- ポリーヌ
- 彼の育った家庭に関係あることですが、
彼は、その「罪の意識」のために、
自分がやってきた「写真」という行為や
生み出してきた作品のことを、
完全には、受け入れることが
できなかったのではないかと思うんです。
ソール・ライター 《スカーフ》 1948年頃
ゼラチン・シルバー・プリント
ソール・ライター財団蔵 ©Saul Leiter Estate
※冒頭のソール・ライターの言葉は
青幻舎刊『ソール・ライターのすべて』から
引用させていただきました。
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