第3回宗教の影。
I have a great respect for people who do nothing.
私が大きな敬意を払うのは、
何にもしていない人たちだ。
- ──
- ソール・ライターさんが抱いていたという
「罪の意識」って、
具体的には、どういうものだったんですか。
- ポリーヌ
- ソール・ライターは、厳格な「ラビ」‥‥
すなわち、
ユダヤ教の指導者の家庭に生まれたんです。
- ですから、ゆくゆくは
ご本人も「ユダヤ教のラビになる」ことを、
期待されていたんです。
- ──
- つまり、両親の思いに背いた、と?
- ポリーヌ
- そうです、自分でも文章に書いていますし、
インタビューでも話していますが、
「自分は両親を、
とくに父親を失望させてしまった」って。
- ──
- つまり、ライターさんの家族にとって、
「写真」は、ライターさんを
本来の道から踏み外させる原因だった。
- ポリーヌ
- さらに、それが、
「他ならぬ写真だった」ということも、
家族にとっては「最悪」でした。
- ──
- どうしてですか?
- ポリーヌ
- ユダヤ教を含むいくつかの宗教にとって、
「人間の像を表現する」ことは、
信仰に反する行為とされているからです。
- とくに、ソール・ライターの家庭環境は、
父親がラビであるほど、
宗教心、信仰心の篤いものでしたから。
- ──
- その状況で撮り続けたことを考えると、
自分を売り込まなかったし、
自分の仕事の重要性を
全面的には受け入れられなかったけど、
反面、相当な覚悟を持って、
写真を、撮り続けていたんでしょうか。
- ポリーヌ
- 覚悟というものは、あったでしょうね。
- ソール・ライターは、家族に対して、
決して怒りを抱いていませんでしたが、
その関係性は、
残念ながら一部破綻してしまいました。
- ──
- そうなんですか。
- ポリーヌ
- 彼はそのことに対する「罪の意識」を、
生涯、持ち続けながらも、
でも、写真を撮ること、
そして絵を描くことは、
最後の最後まで、続けていましたから。
- ──
- 先ほど、ライターさんの作品には、
日本的な「心」が見て取れる‥‥って、
おっしゃっていましたが、
その点について、
もうすこし、お話していただけますか。
- ポリーヌ
- わたしは、おさないころの数年間を
日本で過ごしたのですが、
ソール・ライターの写真を見ると、
日本的な「美」や、
日本的な「思考」を感じることがあって。
- ──
- それは、たとえば?
- ポリーヌ
- まず、ライターの好んだ遠近法の感じや
斬新な構図、垂直の空間構成などに、
広重、北斎、歌麿、宗達などの浮世絵や、
本阿弥光悦や
尾形光琳に通じる美的感覚を、感じます。
- ──
- 実際、写真集をめくっていくと、
かなり「タテの写真」が出てきますけど、
じゃあ、それなども‥‥。
ソール・ライター 《床屋》 1956年 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵 ©Saul Leiter Estate
- ポリーヌ
- あるとき、とあるジャーナリストが
「あなたは、どうして
タテの写真ばかり撮るんですか?」
と質問したことがあるんですが、
そのとき、ソール・ライターは
「わたしのことを
<ミスター・バーティカル>と
呼んでくれ」
としか、答えなかったんですね。
- ──
- つまり「ミスター縦長」と(笑)。
- ポリーヌ
- ようするに、質問に対して
正面からは答えなかったんですけど、
浮世絵のみならず、
日本の床の間の「掛け軸」なんかも、
基本的には「縦長」ですよね。
- ですから、批評家だとか、
彼の人間性を分析したいと思う人は、
そいうところに、
日本文化の影響を見て取ることも、
あるかもしれません。
- ──
- 今回の展覧会に関わっている方が、
写真というものには、
「影」が写るのが現実的だと思うけど、
ソール・ライターの写真には、
あまり「人間の影」が写っていない。
- そのことも、浮世絵っぽいと思うって、
おっしゃってました。
ソール・ライター 《郵便配達》 1952年 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵 ©Saul Leiter Estate
- ポリーヌ
- ああ、たしかに。そうかもしれません。
とっても、おもしろい視点ですね。
- ──
- 浮世絵以外には‥‥。
- ポリーヌ
- 日本の音楽も、聴いていたようです。
琴とか長唄、あるいは歌舞伎なども。
- ──
- ずいぶん広い興味があったんですね。
日本の文化に対して。
- ポリーヌ
- 今回、日本でソール・ライター展を
開催することになって、
ソール・ライター財団のマーギット・アーブと
準備のために、
ソール・ライターの遺したライブラリーを
調べてみたんですね。
- ──
- ええ。
- ポリーヌ
- 彼が、19世紀末のパリで活躍した画家の
ボナールやヴュイヤールのことを
大好きだったことは知っていたのですが、
彼の書庫には、
日本美術についての本‥‥
それも、多くは日本語で書かれた書物が、
100冊以上もあったのです。
- ──
- そんなに。
- ポリーヌ
- そのほとんどは、彼のお気に入りだった
ニューヨークのストランド書店で
買い求めた本のようでした。
- 他にも浮世絵をはじめとした日本画、陶器、
とりわけ「書」については、
美術の最も崇高な形式だ、と言っています。
- ──
- へぇー‥‥。
- ポリーヌ
- さらには、鈴木大拙です。日本の、禅の。
- 鈴木大拙の文章からは
「教えるな、ということを教わった」と、
言っていたようですね。
- ──
- それはまた、哲学的な。
- ポリーヌ
- わたしは「教えるな、という教え」って、
まさしく
ソール・ライターの人生を表していると、
そんなふうに感じます。
- ──
- と、おっしゃいますと?
- ポリーヌ
- 彼は人に教えることをしなかったんです。
- なぜなら、
ライターにとって「写真を撮る」行為は、
生き方そのものだったから。
- ──
- 生き方を教えることなど、できないと。
- ポリーヌ
- つまり「美の瞬間」をとらえることが
自分の人生であり、
写真を撮る行為それ自体が、
一種の人生のフィロソフィーであった。
- 説くのではなく、ただ見つめる人だった。
そんなふうに、思うんです。
- ──
- その求道的な精神が、
鈴木大拙の禅の考え方と共鳴するように
感じていたんでしょうか。
- ポリーヌ
- そうかもしれません。
- 彼は、宗教的な家庭環境で育ちながら、
宗教との関わりを切断しました。
- ──
- はい。
- ポリーヌ
- にもかかわらず、ライターの作品には
どこか、神秘的な雰囲気を感じます。
- ──
- ええ。
- ポリーヌ
- そういう意味で、断ち切った宗教の影が、
ソール・ライターという写真家に、
やはり、一面において、
強い影響を与えているのかもしれません。
ソール・ライター 《ペリー・ストリートの猫》 1949年頃
ゼラチン・シルバー・プリント
ソール・ライター財団蔵 ©Saul Leiter Estate
※冒頭のソール・ライターの言葉は
青幻舎刊『ソール・ライターのすべて』から
引用させていただきました。
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