手塚治虫×ほぼ日ハラマキ

秘蔵の手塚治虫グッズ、みせてください!ワタシのお宝手塚グッズ大募集

抽選でハートがかわいい、ほぼ日オリジナルのホッカイロをプレゼント!
募集は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました。
お宝発表のところまで一気に読み飛ばす

2018年、生誕90周年を迎える日本を代表する漫画家、手塚治虫先生と「ほぼ日ハラマキ」がコラボ!

鉄腕アトムやピノコ、リボンの騎士火の鳥、メルモちゃん、ユニコなど、人気キャラクターがおなかに大集合しますよ。

手塚先生はどんなに忙しくても、ファンに会えるときは全力でサインをされたそうです。

きっと、世の中には、まだ知られていない手塚グッズとすてきなエピソードがあるはず。

そこで「ワタシのお宝手塚グッズ」を大募集ー!

サイン色紙でも、古いおもちゃでも、ずーっと家に眠っているものでも、親のものでも、大切にされているグッズなら、なんでもOKです! 

みなさまから届いた一部のメールは、こちらのページできらびやかにご紹介します。

ありったけの愛をこめて、投稿ください!

みなさまの「お宝手塚グッズ」発表~!!

『彼の所有していた本』


一緒に暮らしている彼の実家から、
彼の所有していた本が届きました。
その中に、お宝がありましたので
お送りします。
(さとこ)

『白いパイロット』『旋風Z』『花とあらくれ』。
これらすべて知らない作品でした。
調べてみたら『旋風Z』は1957年の作品、
『花とあらくれ』は1959年、
『白いパイロット』が1961年の作品なんですね。
これを機に手塚先生の年表を見ていたのですが、
その仕事量に圧倒されました。
一人の人間がこれほどの仕事をし続けるって‥‥。
自分のことを振り返って身が引き締まります。
ところで、右下の『花とあらくれ』は
ホチキス留め(?)までしても捨てずに、
とても大切にしていたことがわかります。
レアなお宝を、ありがとうございました。

『おまけのシール』

キャラクター:鉄腕アトム

「マーブル♪マーブル♪マーブル♪マーブル♪マーブルチョコレート。ポン!(ふたを開ける音)」と明治マーブルチョコレートのCMをしていたのは、初代マーブルちゃんの上原ゆかりちゃん。
マーブルレートが生れたのは1961年で、手塚先生の「鉄腕アトム」のアニメが始まったのは1963年。当時アニメのスポンサーは明治製菓だったそうで、1964年からおまけに鉄腕アトムのシールを入れていました。
ビニール包装した長方形の黄色い台紙のシール(3.5×6)が、筒形容器の側面に沿わせて入っていたのです。
ビニール袋は取ってしまいましたが、1枚だけ残っている当時のシールです。
「鉄腕アトム」のアニメが始まる日に、同じ幼稚園の賢い信ちゃんという男の子が「今晩から、すごい漫画が始まるんだよ」と色々と説明してくれました。
ゆかりちゃんと同世代の私も今年還暦です。物知りの信ちゃんもいいオジさんになっていることでしょう。
「ジャングル大帝」の時も、親たち大人が「すごい漫画が始まる」と騒いでいました。手塚治虫先生は本当に画期的なことをなさっていたのですね。
(アッコちゃん)

アトムとうさぎの表情がたまらないです。
こういう質感のおまけシールも懐かしい。
わたしはタンスに貼るのが好きでした。
「すごい漫画がはじまる」って噂になるなんて、
手塚先生は本当にすごい存在だったんですね。

『残念なお宝~火の鳥イベントTシャツ』

キャラクター:火の鳥

1987.8. 2
<アスペクタ(グリーンピア南阿蘇)落成記念フェスティバル>にて、スペースファンタジー「火の鳥」上演。

地味なイベントですが、手塚治虫公式HPにきちんと記されていたので嬉しくて。
当時、大学合唱団員だった私は大勢の中の一出演者として参加していました。
お宝は、そのときに衣装として渡されたスタッフTシャツです。

阿蘇で野外フェスができると話題になっており、本番直前の早朝、「ズームイン!朝」という、当時非常に人気のあったテレビ番組に出演することになったのですが、集合に遅れてしまった私は、置いてけぼりを食らって、アパートで友だちや先輩の演技を見ているだけ。
実家で見ていた家族にも「ごめん。出とらんけん」と。

本番には無事に出演でき、ステージエンディングで、2m前にメディアでおなじみのベレー姿を見たときには
「近い!漫画の神様とおんなじ空気を吸っているのだ!」と
とても興奮しました。

本番終了後、ママさんコーラスおばさま隊をかき分けて、Tシャツにサインをいただく勇気が、若かった私にはありませんでした。

実は、本番で着用していたのは「女性は赤、男性は白」
女性である私は赤Tだったのですが、サインもいただけなかったことだし、赤を欲しがっていた先輩と交換しました。(憧れていた先輩でもなんでもなく)

というわけで、もろもろのエピソードがほろ苦く、かえって忘れられず、ただただ、漫画「火の鳥」のファンとして今も捨てられない、何とも切ないお宝なのです。
(ろぜった)

今着てもオシャレなデザイン!
これがスタッフTシャツだったなんて、
うらやましいです。
ろぜったさんの当時のエピソードも
緊張が伝わってくる文面でした。
思い出も含めてお宝ですね。

『おおきなサイン色紙』

キャラクター:ブラック・ジャック、ピノコ

物心ついた時には、手塚治虫さんのおおきなサイン色紙がありました。
わが家はその昔、漫画喫茶を営んでいたので、いろんな漫画家さんの色紙がありました。
それでもわが家の住人は、ものの価値がちっとも分かってはおりませんでした。
ニセモノか、ホンモノか、分からないままずっと一緒に生きてきました。
それでも、いろんな場面で、住む場所が変わっても、どんな場面に遭遇しようとも、ブラックジャックとピノコのこの大きな大きなサイン色紙は、私たちと一緒に年月を生きてきました。
価値も分からないし、ホンモノかニセモノか分からないけれど、わが家の住人にとっては、それよりも、一緒に生きて、黄ばんだり、傷んだりする過程を共に過ごしてきた、お互いの背景になっているように思うのです。

「ただいま」と言えば、必ず居て
「おかえり」のそばでもいつも居てくれた。

ニセモノだろうと、ホンモノだろうと、
手塚治虫先生がもたらせてくれた数々の作品は、
そしてこのおおきなサイン色紙は、
私にとっても、わが家にとっても、
この家の、この家族にとってなくてはならない存在です。
(すけたび)

こちらも大きな絵とサイン!
人気のブラックジャックとピノコはすごいお宝です。
これからの人生にも欠かせない存在ですね。

一体どのくらいの早さで
描かれたものなのかが気になります。
きっとサラサラと描かれていたのだろうなぁ。
この、ピノコのうっとりした表情が
なんとも愛らしいです。

書家の石川九楊さんが、
書というのは「触覚の芸術」であって、
「なにを書いているのか」ではなく、
「どう書いているのか」を体験することが
大切だとおっしゃっていました。
ひとつ前のオルガのイラストと、
このブラックジャックとピノコを見ると、
そこに座り、サインペンを動かす
手塚先生が感じられるようです。
すごく時間のないなかで、やるべきことを、
要点だけは逃さないようにしながら、
一人でも多くの人に
たのしさやよろこびや誠意を届けようと
されていたのではないかなぁ。
ああ、長くなってすみません。
よいものをありがとうございました。
石川九楊さんと糸井重里の対談は、
こちらからお読みいただけます。

『直筆の絵(サイン入り)』

キャラクター:オルガ

37年前、福岡に住んでいた15歳の僕は毎日漫画ばかり描いていた。
当時の僕にとって手塚治虫は神だった。
『漫画の描き方』がバイブルだった。
ある日その手塚治虫が映画『火の鳥2772愛のコスモゾーン』のキャンペーンで福岡に来た。
神に初めて会った瞬間だった。
神は大きなケント紙にマジックでスラスラとキャラクターのオルガを描いた。
天才だ!アトム、サファイヤ、ヒゲおやじ、お馴染みのキャラクターが次々と出来上がる。
魔法のようだ。
抽選でオルガが友達に当たった。
僕は外れた。
羨ましい~。
でもあの手塚治虫に会えただけでも十分だった。
何年か経って、なんと友達が「ヨシダ君のほうが手塚すきやろ。」と言ってその絵をくれたのだ。
それ以来、命の次に大切な宝物である。
あれから37年、手塚先生、50歳を過ぎた僕はいまだに漫画を描いています。
(ヨシダシンヤ)

これもすごいなあ。手塚先生の一発描き。
タッチの荒々しさがかえって貴重。
『火の鳥2772愛のコスモゾーン』は
ご自身がかなり力を入れていた作品ですから、
絶対に忙しいに決まってますけど、
プロモーションもきちんと
こなされていたんでしょう。
そういった、先生のまわりの「時間」が
込められているような生々しい絵です。
すばらしいものを教えていただき、
ありがとうございます。

こんな大きな、大迫力の絵!なかなかみないですね。
手塚さんにあこがれて、今でも漫画を描かれている、
というエピソードもすてきです!!

『鉄腕アトムクラブのバッジ』

キャラクター:鉄腕アトム、ウラン

ワタシのお宝手塚グッズは
義兄からもらった
鉄腕アトムクラブのバッジです!
私には9歳年の離れた姉がおり
私が中3のとき結婚しました。
当時のわたしからすると
姉と結婚した姉より年上の義兄は
“おじさん”(失礼)で近寄りがたく
受験生だったこともあり遠巻きに‥‥
高校生になり学校帰りに家に遊びに行き
学校のBAGにたくさんの
バッジ(流行ってた)をつけていたのを見て
「これいる?」とくれました。
15才も年の離れた遠巻きにしてる
私とお近づきのしるしにくれた?
と思ってますが本心はわかりません。
義兄にはビートルズとか洋画とか
新しい世界をいっぱい教えてもらい
バッジをきっかけに親しくなりました。
ずっと大切に持っていたので
義兄に感謝して紹介しました。
サイトで紹介されたら
義兄に知らせたいと思いま~す!
(yoshi_textile)

かわいいですねー!
年齢の離れた義兄さんから
もらったものとのこと。
きれいな状態で、
大切にされているのがよくわかります。
年代性別問わず、「鉄腕アトム」が
愛されているのがよくわかる
エピソードも素敵でした。

『手塚治虫オンデマンドマガジン』


小学生の時、記憶がおぼろげなのですが、
確か手塚治虫作品の感想文を送ると
優秀なものを書いた人に
これがもらえるという企画があり、
結局全員がもらえたので
ポンコツな作文を書いた私も
手に入れられたのです。
私も手塚治虫さんと同じく宝塚育ちで、
小学生の頃、のびのびパスポートという
兵庫県のカードで
何度も手塚治虫記念館に行きました。
手塚治虫さんの作品は深く、
色々と考えさせられるメッセージ性があり、
今でも大好きです。
(宝塚のものぐさ太郎)

『手塚治虫0マガジン』という本を
ぼくは知らなかったのですが、
「編集・藤子不二雄A」「編集・小松左京」「編集・浦沢直樹」とかがあって、
それぞれ収録作品がまるで違うみたい。
そんななか、
宝塚のものぐさ太郎さんのお宝は
「編集・時東ぁみ」!!
手塚作品に心惹かれる方々の層の厚さ、
多彩さがこんなところにも。

『サイン入り色紙』

キャラクター:火の鳥、ほか

中三の文化祭で火の鳥のヤマト編を影絵劇でやったのですが、それを保護者の方がビデオに撮って手塚先生に送ってそれに反応してくれたみたいで、サイン入りの原作本とこの色紙を送っていただいて私は声の出演で参加したのですが、先生からお前が貰っとけと言われて頂いたお宝です。
(すぎやん)

人気のキャラクターが集合したサイン色紙、贅沢ですね!
手塚先生がファンを大事にされていたというエピソードを耳にしますが、
本当にそうだったんだなぁというのが分かります。
きれいに額装されて、投稿者さんも
このサインを大切にされていたのも伝わりました。
そして火の鳥の影絵劇、とっても気になりますー。

『手塚先生からの年賀状』


小学生のころ、大好きだった手塚治虫先生に頂いたお宝を紹介します!

ジャングル大帝レオが大好きだった私は、ある年先生に応援の年賀状を出しました。
すると、先生から年賀状が送られてきたのです!
が、これが、どう見ても小学生にはエッチな絵にしか見えない、持ってるのも恥ずかしいぐらいの年賀状で、大ショック!
なんで先生はこんなエッチなものを送ってきたんだろう?先生はドスケベなのかも知れない、これは私だけの秘密にしなくては、、、という衝撃で頭がいっぱいに、、、!
友達に見せびらかしたいのですが、恥ずかしくて見せられない、親にも先生がスケベと分かったら、「もう漫画は禁止!」と言われそうで怖くて見せられない、とにかく、誰にも見せられないまま、大人になるまで引き出しの奥にしまい込んでしまった、誰にも見せられなかった、内緒の年賀状なのです!

大人になってから見ると、オシャレで粋な大人の雰囲気のする絵だと分かるのですが、果たして、やっぱり、小学生にはどうだったのか~~?
いまでも疑問が、、、(^_^;)
(mimi)

これ!いいねぇ。レア!
2色の版が微妙に重なっている印刷も味があるし、おしゃれなポスターみたい。
恥ずかしくて誰にも見せられず、引き出しの奥にしまい込んでたのがよかったんですね。
とてもいい状態で残った、これぞ、お宝!

わー、すごいです!
エピソードも、いいですね。
年賀状もいま見てもとてもおしゃれで、あらためて手塚先生の凄さを感じました。

こ、これはすごい。
1968年の手塚先生からの年賀状が
ほとんど新品(?)の状態で!
作品のアーカイブや復刻はあるけど、
こういうものはもう、どこにもないのでは。
作品のしばりから解放された
手塚先生の自由なデザイン、いいなー。
ちなみに1968年はぼくの生まれた年で、
この年は、さる年なんですよね。

『ファンレターのお返し』

キャラクター:写楽保介(三つ目がとおる)

これは私の大好きな漫画「三つ目がとおる」連載当時、手塚先生に送ったファンレターのお返しにいただいたものです。
こんなプレゼントがいただけるなんて思ってもいなかったので、ものすごくうれしかったです。
以来40年、大事に宝物として保存していました。
当時はブラックジャックの方が人気があり、写楽くんファンとしては少し寂しい思いをしていたものです。
(和登さんになりたかったおばさん)

ファンレターのお返しにサインだなんて、なんと心優しい先生なんでしょう。

『ヤクルトのノベルティグッズ』

キャラクター:鉄腕アトム

手塚先生のもので、どうしても捨てられないものがあります。
義母がまだ若いころ、ヤクルトレディをしていたころのノベルティグッズだそうです。
古いものを捨てていく生活をしている中で、どうしても捨てられずに大切にとっていたらしく‥‥
私もこれから大切にしていきたいです。

こんなにきれいな状態で何個も持っているのはまさにお宝だと思いました。
デザインもかわいくて、今ほしい。

うわっ!ヤクルトアトムズ!!
こどものころ、これと同じコップが家の洗面所にあったのを覚えてます。
いま調べてみたら、ヤクルト・スワローズになる前の4年間だけアトムズの時代があったみたいですね。

『夢中になってよんだ漫画』

キャラクター:鉄腕アトム

来年、還暦を迎える私の宝物です。
七才のころ買ってもらい、夢中になって読みました。
私の息子と娘も大好きで、今も捨てずに持っています。
上の二冊が、みんなのお気に入りです。
読みすぎてボロボロですが、修復しながら大切にしています。
(スピカ)

背表紙など丁寧に修復されながら、
大事によんでいる感じが伝わってきますー。
お子さんまで、アトムの物語が伝わっているなんて、漫画を残しておいたおかげですね!

『いちご新聞』

キャラクター:ユニコ

これは、サンリオから出ている「いちご新聞」で、昭和53年9月1日と15日、11月1日発行のものです。
当時、父が毎月買ってきてくれたもので、小学生だった18号から、これは88号。
このあと、暫く高校生になる頃まで父が買ってきてくれてました。

ユニコのことは、頭の片隅にありましたが、今回納戸を探して見つけました。
同じく、「りりか」という雑誌の創刊号もありますが、目下探しているところです。

リボンの騎士の出た時には、当時珍しかった初めの何頁かがカラーの紙だった記憶もあり、不思議なメルモは、まさに小学一年生だったときの雑誌で名前を公募したものです。
ちなみに、小学一年生から六年生までも毎月父が買ってきてくれました。

グッズとは言えないかも知れませんが、この新聞は、今は他界した父との思い出でもあり、ずっと捨てられずに持っています。

手塚治虫作品は、まさに私くらいの年代ならタイムリーな身近な存在でしたね。
こうして、ちょい出せて良かったです
(青ちゃん)

ユニコが掲載されていたことを知りませんでしたが、きっと女の子が大好きな漫画だったのでしょうね。
お父さんとの思い出を大切にされているのを読んで、じぶんも子供のころ「いちご新聞」を買ってもらっていたのを思い出しました。

『昔ながらの目覚まし時計』

キャラクター:リボンの騎士

初めて自分専用に買ってもらった目覚まし時計です。
軽く30年以上は経ってます。
それほど手塚作品に思い入れがあるわけでもありませんし、リボンの騎士に関しても、ちょっと世代が違うのでアニメ等で見ていた記憶もなく、なんとなく「サファイアちゃんが、本当はお姫様なのに男の子のふりをして戦っている」程度の知識があるだけです。
でも、かわいくてとても気に入っていました。
今でも電池を入れたら動くのかもしれませんが、止まったまま。
でも捨てることなどは考えられずに部屋に置いてあります。

昔ながらの、ベルがジリジリなる目覚まし時計で、とても大きな音で、当時は心臓が止まるかと思うくらいでした。
その後私はいろいろな理由から聴力が衰え、今ではこの目覚ましの音では起きることができません。
それでも何となーくこの時計と一緒にいるのでした。
電池、久しぶりに入れてみようかしら?
それと同じものを持ってる人がいるかな、と少し気になりました。
(ちゅん)

ベルがとんでもなく大きいですね。
これはたしかに音が大きそう。
しかしピンクと緑色のコントラストといい、キャラクターイラストといい、味があってかわいいです!