ほぼ日手帳2016 PRESENTS 手帳のことば展
似ているふたり、
初めてのことば。
松本隆×糸井重里スペシャルトーク


作詞家の松本隆さんと、
コピーライターの糸井重里。
同年代で、ことばを扱う仕事、
共通の知り合いもたくさんいます。
ただ、これまでに会ったことはありません。
似ているけれど、すれ違ってきたふたり。
そんなふたりの初対面が、実現しました。
「ほぼ日手帳2016」の発売記念イベント
「手帳のことば展」に松本隆さんをお招きして
繰り広げられた、ふたりのトーク。
心のどこかで意識しあってきたふたりは、
どんなことばを交わしたのでしょうか。


松本隆

作詞家。1949年、東京・青山生まれ。
20歳のとき、細野晴臣、大滝詠一、鈴木茂とともに
ロックバンド「はっぴいえんど」を結成し、
ドラムスと作詞を担当する。
「日本語のロック」を立ち上げ、その後の
日本のポップ・ミュージックシーンに多大な影響を及ぼす。
解散後は作詞家に専念し、作詞活動45周年を迎えた
2015年には作詞は2100曲を超え、
オリコンベストテン入りした曲は130曲を超えている。
自身が特集された『BRUTUS』の誌面で、糸井について
「糸井さんとは僕、会ったことがないんだ。
細野さんや大滝さんは仲がいいみたいなんだけど。
もしも僕のことを気にかけてくれているのなら、
どう思っていたのかは聞いてみたいところ」と語る。
とじる
糸井重里

コピーライター。1948年、群馬県生まれ。
雑誌『BRUTUS』の松本隆さん特集号では、
松本隆さんにお会いしたことがないものの、
羨ましさと、嫉妬している気持ちを告白。
「お互いにこのまま一生会わずに死んだとしても、
この誌面で『会えた』からそれで十分かな」と語る。
とじる
第1回 不思議に思われる初対面ーー2015-10-23
第2回 憧れと嫉妬心ーー2015-10-26
第3回 詞と曲の関係性ーー2015-10-27
第4回 妹のランドセルーー2015-10-28
第5回 続けることへの感謝と義務ーー2015-10-29
第6回 共通する、群馬のDNAーー2015-10-30
第1回 不思議に思われる初対面
糸井
松本
いやあ、はじめまして。

観客
(笑)
糸井
きっと、冗談に聞こえるんでしょうね。
僕ら、打ち合わせもしていませんから。
まったくの初対面で、
そこの角でいま会ったんです。
松本
はい、何も聞いてません。
会場に来てからも呼ばれないから、
嫌われてるんじゃないかと(笑)。
糸井
「今日、初めて会います」ということになって、
なにか考えていたことってありますか?
松本
いや、ちゃんとね、
予習しようと思ったんです。
糸井
予習?
松本
糸井さんの本を読んだりしようと思っていたんです。
でも、ライブ(松本隆 作詞活動45周年記念
オフィシャル・プロジェクト『風街レジェンド2015』
が終わって完全燃焼しちゃって。
いまは、歩く灰みたいなものなんです。
人間の形してますけど、中身は灰ですよ。
糸井
作詞家がメインに立って
企画されたコンサートなんて、
過去にも、なかなかありませんよね。
松本さんの作詞した曲は、
全部で2,000曲でしたっけ?
松本
いや、2,100曲ですね。
もうちょっと増えてるかもしれません。
糸井
はああ。普通に考えても、ものすごい数字ですよね。
松本
ほとんど80年代に作ったんですけどね。
最近はもう、ほとんど作ってませんから。
糸井
ということは、1日に何曲も、何曲も、
詞を書いていたってことですか?
松本
多い時には、ひと晩で6曲とかですね。
糸井
すごい。プロの作詞家になる前には、
1日に6曲も書くような
仕事だってことを知っていましたか?
松本
いや、それが全然知らなくて。
「はっぴいえんど」の頃は、
1年で10曲くらいしか作っていなかったんです。
夏ぐらいに取りかかりはじめればできるかな、
みたいな感じだったんですよね。
糸井さんは、どうやって作詞を始めたんですか。
糸井
松本さんが作詞を始めた頃には、
僕は、一切そんなことしてませんでした。
喫茶店みたいな所で隣に座った人から、
「作詞してみない?」って誘われたんですよ。
松本
それは『TOKIO』の時?
糸井
『TOKIO』ではなくて、もっと前なんです。
「東京キッドブラザース」という劇団の‥‥。
松本
あっ、東京キッドなら
僕も関わり合いありますよ。
糸井
本当ですか?
松本
「はっぴいえんど」の前の
「エイプリル・フール」時代に
ニッショーホール(日本消防会館)で
東京キッドのミュージカルがあって、
その時の音楽を全部、生バンドでやっていたんです。
糸井
はあ、そうでしたか。
僕の場合は「東京キッドブラザース」の
音楽をやっている方の名前を出されて。
僕はその方を知らなかったんですけど、
「その人の曲に詞をつけてみないか?」って。
松本
あぁ。
糸井
「タイトルは、『あなたが欲しい』です」
って言われたんですよ。
松本
あれ、先に決まってるんですか?
糸井
決まってました(笑)。
それはディレクターの勘なんだと思うんです。
僕は自分でやってる仕事がまだ曖昧で、
できるんだったら何でもやってみたい時期だったので、
「はい!」って答えたんです。
松本
それは「おいしい生活」の前ですか?
糸井
もうずっと前です。73年とか74年ぐらいですかね。
でも、音沙汰なくて、
どうなったかなと思っているうちに
消えちゃったのが、僕の作詞第1号です。
松本
あぁ、作品にならなかったんですね。
糸井
僕が『BRUTUS』の特集で松本さんに対して、
「うらやましい」だとか「嫉妬する」だとか
あんなにおもしろがって言ってますけど、
その頃は、うらやましいって言う権利もないくらい、
なんにもしてなかったんですよね。
松本
「うらやましい」っていうのは
もうやめなさいよ(笑)。
糸井
でも、しょうがないんです。
本人にはわからないけど、
人が自分の作ったものを歌ってくれる喜びって、
最初の最初は、新鮮に思えるじゃないですか。
松本
うん。
糸井
それが仕事になっている
似たような年代の人がいるっていうのは、
すごく羨ましかったんですね。
松本
でもさ、ジュリーもやったわけだし(笑)。
糸井
まあ、それはやりましたけどね。
バンドの人が自分たちで曲を作って、作詞して、
シンガーソングライターっていう流れのバンドが
あるにはあったんだけど、
そこから「作詞はアイツに頼もう」って思われる存在に
松本さんがなっていったじゃないですか。
松本
僕の場合、ある日突然
バンドが解散しちゃったんですよ。
解散するからなって言われて。
糸井
相談はなかったんですか?
松本
まったくなかった(笑)。
大滝(詠一)さんと細野(晴臣)さんが決めたんですね。
糸井
ええっ!?
松本
とげとげしい空気感の中で続くのは
無理だと思ってたんだけど、
あと1枚か2枚はやれるかなとか思ってたんです。
それなのに細野さんから、
「解散するって決まったから」って言われて。
糸井
そんな受け身だったんですか?
松本
けっこう受け身ですね、未だに‥‥。
これで、筆を取られた画家みたいになっちゃった。
困ったなぁ、どうしようって。
吉野金次さんというレコーディング・エンジニアがいて、
その方は「はっぴいえんど」とかアグネス・チャンとか、
天地真理の録音をしていたので相談してみたんです。
「生活に困ったんで、どうしましょう」って。
糸井
ずいぶん具体的な(笑)。
松本
彼に相談したら「わかりました」って言うんです。
でもそのとき吉野さんは、
CMソングを、作詞だと誤解したんですよね。
「アグネス・チャンのアルバムの詞を書いてくれないか」
って言うから、いいですよって応えてね。
当時のアグネスは、シングルを作るのに、
作詞・作曲チームが5チームくらいで共作するんですよ。
糸井
売れっ子ですからねえ。
松本
そうそう。僕はアルバム用の作詞なんで、
そのチームの下に位置してるわけ。
糸井
下請けの下請け(笑)。
松本
まあ、最初はこんなもんかなと思ってやったら、
いつまでも返事が来ないわけ。
ある日突然「松本君のが選ばれたから」って言われて。
アルバム用に作った『ポケットいっぱいの秘密』がね、
シングルのA面になっちゃった。
糸井
はあーー。
ひみつ
ないしょにしてね 指きりしましょ
誰にも いわないでね
ひみつ
ちいちゃな胸の ポケットのなか
こぼれちゃいそうなの

アグネス・チャン『ポケットいっぱいの秘密』
(詞)松本隆(曲)穂口雄右(編曲)キャラメルママ
松本
だから、下積みゼロだったんです。
申し訳ないですね(笑)。
糸井
しょうがないです、もう終ったことだし(笑)。
物語としては、下積みかもしれないところから
スタートしてるんですね。
松本
「かもしれない」ところですね。
糸井
それがたまたま飛距離の大きい
ホームランになったっていうことですよね。
松本
「代打に出てみろ」って言われて立ってみたら、
いきなりホームランになっちゃった。

(続きます)
2015-10-23-FRI