志村洋子さん+志村昌司さん5
経糸(たていと)が運命、
緯糸(よこいと)が生き方。
- ほぼ日
- これだけ量産品の画一的な商品が出回っている中で、
今回のストールは、
「染めるということは、本来こういうものです」
という意味で、あたりまえのように
「色のばらつき」があります。
1枚のストールに1かせ(糸のひと束)を
緯(よこ)糸に使い、
その1かせ単位で染めていますよね。
この作業は、植物との対話の──。 - 昌司
- はい、それこそ、対話の結果ですね。
- ほぼ日
- また、製品染めではなく糸で染めていますから
織り上がったストールに染めむらはありませんが、
それでも、光の加減で色が変わりますよね。 - 洋子
- 家の中と家の外でも違いますよね。

▲今回、ほぼ日でも販売させていただくストール。
右上にあるのは、今回のためにつくられた絹と綿の混紡糸を、工房で染めたもの。
これを緯糸(よこいと)につかい、経糸(たていと)には白、または生成りの糸をつかっているので、
柔らかな色合いで仕上がっています。

▲工房のみなさんから説明をお聞きしながら、実際に
巻いてみていただきました。外の光が当たるところで見ると、
ふんわりと光をまとって、またすこし違った色合いに見えてきます。
- ほぼ日
- 1日のなかで、朝と夜でも。
その日の気分もあるかもしれません。
落ち込んでるとき、世の中暗く見えますから。 - 洋子
- 全然違うんです。
- ほぼ日
- そのことが面白いと思っています。
ほんとうにこれこそ伝えていきたいと感じます。
そういったものの価値、
それを楽しむこととか、育てるとか、
一緒に歩むっていうようなことを
こうしたコンテンツであわせて
お伝えできればなと思っています。 - 洋子
- 「ほぼ日」さんは、
皆さんの姿に共通点がありますよね。
うちもそうで、
シムラカラーっていうか、あるでしょう? - ほぼ日
- はい、感じます。
- 洋子
- 個々人の個性が光るっていうのはとても大事だけど、
その個性を光らすにはどうしたらいいかっていうと、
器だっていう話をしているんです。
器を心のなかに作って、
どんな器かというと、皆さんは「ほぼ日」っていう器、
うちは、atelier shimuraという器。
ここに盛り込むものは
自分たちの心とか、いろんな熱情です。
この器が美しいと、美しい内容物が盛り込まれる。
でも、そもそも器がないと、
いくら自分を盛り込もうと思っても、
ダダ漏れになるでしょう。
うちに来て喜んでくれる生徒や弟子は、
みんな器を探しています。
自分の熱情とか、思いとか、感性を
使ってほしいと思うんだけれど、使い場がない。
だから、グルグルグルグル空回りするんですよ。
でも、これだけの器があるから、
ここに盛ってごらんって言った途端、すごく頑張るの。

▲アルスシムラで織りの自習をされていた生徒さん。生徒は一人一台、
じぶん専用の織機をつかうことができます。
「私が染めて 私が織って 私が着る」が学校のコンセプト。
じぶんで制作した着物と帯を着て、卒業式に出席します。

▲織り糸はすべて梅で染め、鉄・石灰・ミョウバンの3種類の媒染違いで
色のバリエーションを出していました。水墨画を意識してトーンを決め、
模様は雲や鳥をイメージしたのだそう。
- 器がなければダメなんです。
とくに日本人っていうのは器の民族だと思うんです。
川端康成が言っておりますけどね、
日本人の民族の型っていうのはたいへん美しいものだと。
その形が本来美しいのに、
もったいないと私は強く思っています。
日本民族は猛々しく、海外でも経済力でやれるとか、
すごく競争していく強さっていうのもあるんだけれど、
いっぽうで美しい器をつくろうという心も、
両方あるんですよね。
おもてなしとか、きれいに掃除したりとか、
サッカー行っても、みんなきれいにしてるとか、
震災があっても、みんなとても礼儀正しいという、
それもあるのが、私たちの魂の形なんです。
魂の形っていうものがしっかりあれば、
盛り込む時に、きれいなものが
盛り込まれると思っているんです。
「ほぼ日」さんがすごいなと思うのは、
糸井さん一代でよくここまで美しい器を
お作りになったなということです。
いびつなところもあるかもしれませんけどね、
でも、ほんとうに現代にマッチしてて、しかも軽快で、
本質的なことを突いてらしてっていうのが、
本人も気づいてらっしゃるかどうかわかりませんけど、
ひとつの器を作ってらっしゃる。
無理にはめようとか、そういうのではないんですよ。
知らず知らずにそういうことになってるっていうのが、
美しいものの原型じゃないかなと思う。
器がないと、頑張りようがないですよ。 - ほぼ日
- 学校、アルスシムラは
途中で辞めてしまうひとはいますか。 - 昌司
- やめた人はいないですね。
- ほぼ日
- 教えて下さいって思っていることと
全然違うとショックを受ける人もいるでしょうが、
でも、ちゃんと変化していくわけですね。 - 昌司
- そうです。あと、講師が誠心誠意なんですよ。
そういう講師に恵まれました。
基本的には志村ふくみや洋子のお弟子さんなんですけど、
まず上から目線じゃないんです。
一緒に悩んで、一緒に考えて。
だから、共同‥‥同士っていうか、
学校といってもひとつの共同体なんですよ。
先生が来て、今から授業始めるっていうよりかは、
基本が制作なので、木を取ってきて、焚き出しして、
みんなでわーっと進めたり。
もうほんとうに共同体の同じメンバーとして、
講師のほうがちょっと技術的に知ってるから教える、
ていう、そういう感じなんです。
横のつながりがすごく強いです。
卒業の時のアンケート読むと、
もちろんふくみ先生や洋子先生に
教えてもらってよかったということはありますが、
友だちに助けられたとか、
友だち同士の絆がすごく嬉しいとか、
そういう横のつながりを持っているんですね。
一緒に作業して、一緒にご飯食べて、一緒に制作して、
発表して‥‥、こういうふうにやってってなるなかで、
かけがえのない時間というのが
できるんじゃないでしょうか。

そぼろ丼を作ってくださいました。
- 洋子
- 講師は伴走者ですよね。
ともに走る人。
それに、うちは、70いくつから10代まで、
ひとつの教室の年齢差が素晴らしいんですよ。 - 昌司
- 3世代が一緒に学んでいます。
- 洋子
- その年齢差がいいなって、私はすごく思います。
おばあちゃんに糸が通らないところを通してもらったり、
それはお互いがすごく嬉しいですよね。
予科の人は半年、週1回なんですけど、
半年間一緒にいるだけで、友だちになれるっていうのも、
すごくいいですよね。 - 昌司
- 新幹線で、東京とかから通ってこられてますからね。
- 洋子
- 学校や工房で変化していく生徒たちを見ていると、
糸を触るのがいい、ということを実感します。
人間にとって、健康なことみたいですよ。
蚕さんの糸を触ることも、
木綿の糸を触ることも。
糸って──、絡まるでしょう?
でも、それは1本の糸が絡まるので、
ほどけた時の解放感ってないんですよ。
私は「それは自分の人生だと思ってほどきなさい」
って言っているんです。
人生と同じで最初と最後があるよって言って、一所懸命。
ガンジーがインドの独立運動の時に
糸巻車で糸を取りながらみんなで議論したというのが、
糸のすごさだと思います。
だから、議論も深まるの、糸を触ってると。
それで、けっして人殺しをしようというふうには
ならないっていうのが、
思想的に素晴らしいものだと思うんです。 - 昌司
- 普段の仕事では手作業が減っていますよね。
木を運んだりとか、畑仕事などはせずに、
基本的にはパソコンの事務仕事が多くなっていますから、
自分の体をあんまり使わなくなってきてると思うんですよ。
たぶんアルスシムラに来る人もそうだし、
今の工房の人たちもそうだったと思うんですけど、
ここに来たら、毎日毎日、織機をトントンやったり、
腰をかがめて染めたり、体をいっぱい使うんですよね。
そういうことがないと、
人間としてのバランスっていうかが
たぶん本当は悪いんだろうなと思うんです。
当然パソコンもやるんですけど、
1日の半分は機織ったり、いろいろな作業をしている。
畑仕事もするし、水も汲んでくる。
人間にとっての仕事の意味っていうのは、
ぼくはすごく大事だと思うんですけど、
それは単にお金を得るための手段だけじゃないですよ。
それだとけっこうつらいと思うんですよ、その8時間が。
むしろ、その仕事から何か喜びが得られたり、
実際に自分の成果が目に見えて表われるといいですよね。
そういう意味で染めて織る仕事って、
ほんとうに幸せだろうなと思うんです。

▲atelier shimuraの着物のなかでも代表的な「暈し(ぼかし)」の技法をつかった着物。
水色から、白になるまでのグラデーションのなかに、黄色やピンクなども少しずつ混ざっています。
茜雲、茜空といった夕焼けの空をイメージして織っていったんだそうです。
- 大きい組織に勤めてる人っていうのは、
自分の仕事の意味っていうのが
わかりにくいじゃないですか。
全体のなかでどういう役割をしてるんだろう? と。
手仕事の場合だったら、はっきりものが応えてくれるし、
そういう仕事っていうのが
もっと増えていけばいいんじゃないかなと思うんです。
もの作り的な仕事っていうのが。 - 洋子
- そうそう、きょう帯の合評会があったんです。
帯1本織ったのね、みんなが。
で、1人ずつ発表があるわけですよ、
ここはどうで、この部分はどうで、って、
そうすると、だんだんだんだん泣けてきちゃうの。
胸いっぱいになってきて、自分でしゃべりながら。
自分が生まれたところからしゃべる人もあるし、
ここは海だとか、山だとか言う人もあるし、
いろいろですけど、
長く手作業をしてのことですから、
どこかから胸がいっぱいになってくるみたいで。 - 昌司
- 心の旅路なんですよね、帯を織るのって。
- ほぼ日
- きっと、いきなりただ織っても
そうはならないんでしょうね。
学校でいろんなことを得たからだと思います。
しかもそんなふうに泣けるというのは、
自分をさらけ出せるというか、
自分でも見たことのない自分を
さらけ出せる場所だっていうことですよね。 - 昌司
- 経糸(たていと)が運命、緯糸(よこいと)が生き方、
今の自分っていうふうに、
これは志村ふくみの言葉ですけれど、
それを思うと。
‥‥張られた経糸は、
一度張っちゃったら張り直しができないんです。 - ほぼ日
- 運命は変えられない。
- 昌司
- そこに織り込んでいく緯糸は、
心の旅路になってきますよね。
ぼくでも覚えています、
このへんでこの色を入れた時の気持ちとか。
皆さん、背負っているものが違うじゃないですか。
仕事を辞めて来ている方は、
ここに懸けて来られてるんで、
やっぱりもうそれは万感の思いなんでしょう。

(昌司さんと洋子さんのお話は、これで終わりです。 次回は、染めを担当する次男の宏さんのお話です。)
2016-10-21-FRI