鈍色(にびいろ)の空の下
あひるガァガァ 公園で
ともだちと 待ち合わせ
これから先 どうするのかしゃべる
走る剣道部 さぼるライトバン
ともだちも 金はない
池の周り ぐるぐる歩いてた
「ゆうがたフレンド」より
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── |
さて! |
慶一 |
さて。
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── |
ここまで、バンドを解体的なまでに
語ってまいりましたが、
そんなふうに30年やってきた
ムーンライダーズが
自分たちでレコード会社をつくり、
「ゆうがたフレンド」をうみました。
なんというか、歌詞の世界観にも、メロディにも
「演歌」的な要素が入っているくらいの
「超・カッコつけてない歌」ですよね。
それを、シングル、iTunes、アルバムと、
3バージョンもつくって
自分たちだけの力で世に出す‥‥
そういうことについて、
なにか大きな希望のようなものを感じるのです。
「ゆうがたフレンド」のような曲が、
いま、あって、
それをいまのムーンライダーズが
やっているということは、
とっても素敵なことなんじゃないかと。 |
慶一 |
ライブバージョンもあるし
ショートバージョンもあるし、
もっともっとあるんだよ。
ファンクラブのイベントだけでやった
演歌バージョンとか。
なんだろうね、そんなふうに、
「滅多にない曲」になっちゃったね。
そしてじっさいに
いっぱい人が聴いてくれている
曲になったと思うよ。
あの曲でNHKのPOP JAMにも出るんで
ますますたくさんの人が聴いてくれると思う。
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── |
長く、聴かれる曲になるといいと思います。 |
慶一 |
うん、そういう匂いを感じるし、
ぼくらもずっと長く
やっていく曲になるといいなと思う。
個人でも、ライブでやりたい曲だ。
それはなにかっていうと
若い人が聴いても懐かしいとか
年取った人が聴いても懐かしいとか
言ってくれるんだよ。
舞台がいまなのかどうなのかわからない、
ともだちは若い人なのか、
としより対若い人なのか、
としより同士のともだちなのかも
わからないんだけれど、
そういうことのすべてが
歌詞の最後に出てくる
「葬式」って言葉で
ひとくくりになると思うんだ。
まだまだ死なないが、とりあえず遺言だ。 |
── |
たしかに不思議な歌詞ですね。 |
慶一 |
糸井さんとムーンライダーズって
同年代‥‥いや、微妙だな、
俺は団塊の世代じゃないし。
古いつきあいだからっていうものでもない、
職種も違う、けど、
どこか奇妙にリンクしているところが
人生に何度かあったわけじゃない?
「ニットキャップマン」然りで。
「ゆうがたフレンド」はね、いきなり
「鈍色(にびいろ)の空の下」
って始まるんだけれども。 |
── |
はい。 |
慶一 |
1973年、はちみつぱい時代の曲で
「塀の上で」というのがあって。 |
── |
矢野顕子さんも歌っていますね。 |
慶一 |
そこに「空はまだ群青色の空
外はそぼ降る鈍色の雨」っていう
歌詞があるんだ。だから読んだとき
「鈍色、って来たか!
これって、はちみつぱいを
意識しているのかな?」
って思ったりもしたよ。
「塀の上で」は当然糸井さん聴いてるから、
どこかに入っていたのかもしれないね。
たがいのすり込み合いみたいなね。
それも偶然だと思うんだけれど、
「鈍色」で始まったことで
「馴染みのある言葉が来たなあ」って。
微妙に年齢も違うけど、何かわからない、
同じモノをどこかで
見たに違いない、という確信があるなあ。 |
── |
ムーンライダーズに
歌われる運命をもった
歌かもしれませんね。 |
慶一 |
それにしてもこの歌詞ってさ、
1980年前後のコピーライターの
書く歌詞じゃないよね、もはや。
「TOKIO」とかの持っている
広告の世界とリンクしている感じはないしね。
でも糸井さんって1980年に
「ペンギニズム」を作ったときに、すでに、
のちにあっこちゃんが歌った
「スーパーフォークソング」
を生んでいるわけで、
‥‥すごいアバンギャルドだよね、
糸井さんって。 |
── |
はい、そうかもしれません。 |
慶一 |
「金はない!」っていう歌詞にしても、
これまた微妙な金のなさだからね。
まったくないわけじゃない、
っていう感じもするじゃない?
赤貧の歌ではないじゃない?
1975年の「スカンピン」のときは
もう赤貧がダイレクトだったけど、
そのダイレクト感がないんだ。
だから、なんてったらいいんだろうな、
「オシャレすぎない」ところが
いいと思うんだよ。 |
── |
ギターの白井良明さんによる
メロディにも、懐かしさを感じます。 |
慶一 |
メロディ、すごく昭和っぽいよね。
あれをつくるにあたって、
「ニットキャップマン」のように
6人で競作したんだけれど、
歌詞が多いので
いろいろなアプローチがあったんだ。
俺の作った曲は
ほんとに組曲みたいになっちゃったけど、
ほかの人はラップみたいだったりね。
白井の場合、これだけ長い歌詞なのに
聴いてて歌詞がつまった感じがしないでしょ。
あれは白井のメロディのよさだよね。 |
── |
ライブで歌っていて、
いかがですか。 |
慶一 |
曲がドラマチックに変化していくんで
すごくいろんなことを考えるよ。
そして歌詞が意外と、
ああ見えてわかりやすいんだよ、すごく。
自作の曲を歌ってるときは
歌詞のことあまり考えずに歌ってるけど、
「ゆうがたフレンド」はね、
「あ、今日は、夕焼けの公園が見えた!」
って感じだよ。これウソじゃなくて!
その風景が、毎回ちがうんだよ。
だからね‥‥みんなにも歌ってほしい、
早いとこカラオケに入って、
長く歌われてほしい、と思うんだ。
曲が長いし、いろんなパートがあるし、
何人かでもできるよ。
カラオケに入れるのってどうするんだろう?
カラオケ屋さん、ぜひ、入れてください、
と鈴木慶一が頼んでおります。
長く歌ってほしいなあと。
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── |
ムーンライダーズとしてはこれから
「いちばん理想的にはこういうことをしたい!」
というのは、なんでしょう。 |
慶一 |
そうだな、ぜったいに、
ムーンライダーズのメンバー6人とも、
ヒットは望んでいると思うよ。
「ゆうがたフレンド」だって、
インディーズチャート何位、とかさ、
そういう情報が入ると、
「おっ、これは、なにか、
ヒットの兆しがあるような気がする!」
って、喜ぶもん。
喜びを表に表さない人もいるけれどね。
音楽をやっていていちばん理想的な形は、
自分らのつくる音楽だけで生きていくという
ことなんだと思うよ。ふつうはね。
ムーンライダーズというバンドだけで
生きていけると。
ただ、もしそうなっても、この6人は、
ほかの人をプロデュースする仕事だとかを
辞めるとは思わないけれどもね。
それで、これからの展望を
考えたときに言えることは、
去年、自分たちでレコード会社を作って、
インディーズとしてのスタートを
ちゃんと切ったわけで、
「まだそのキャリアは始まったばっかりだ」
ってことなんだよ。
その始まったばっかりのキャリアを
どういうふうにしていこうかなっていうのが
将来の課題だと思うんだよね。
‥‥ただ感じるのは
「こっちほうがいいな」ってことだね。
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── |
自由だから? |
慶一 |
ダイレクトだから。
俺ね、「職業はムーンライダーズ」って
書いてもいいんだよ。
ムーンライダーズっていう
バンドのための仕事は
本当に最大の情熱ならびに
愛情を注いで労働しているから。
もちろん、それ以外を
そうしてないっていうわけじゃないけど、
ムーンライダーズには万難を排す。
ムーンライダーズって、
こんなにやりにくいことはないんだな。
やりにくいっていうか
そんだけある情熱をもってやらないと
エゴや自己嫌悪に弾き返されちゃう。
ムーンライダーズっていう名前で出る
アルバムにおいて、
やはりクオリティをあげないと
いけないっていう気持ち、
これ愛情であると思うんだよ。
これが強いんだよ。
だから仕事か趣味か
どっちなのよっていわれると、
非常に難しいよね。
俺、遊んでいるのとね、仕事しているのと、
わりと常に同じレベル、同じ音量じゃないと
生きていけないんだな、これ。
だから飲みにいっちゃうし、
サッカーやっちゃうし。
あと、よく考えると、
たいへん忙しいと言いつつも、
きっと、仕事として
何をしているかっていうのは
よくわかられていないんだろうね。 |
── |
いや、そんなことはないですけれど!
最後に糸井重里になにかあれば。
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慶一 |
古い話になるけど、
インターネット接続を熱心に勧めてくれたのと、
最近では、我々のバンドは
「昼間の喫茶店にたむろする男達の顔役」
だっけ、そう書いてくれたのに、
心から感謝してます。
もうひとつ『MOTHER』で
英国録音の旅に出してくれたことも、
忘れられないな。 |
── |
ありがとうございました。
いやぁ、ディープな企画になってしまいましたが、
今回が最終回です。
なんだか慶一さんと糸井重里が
仲が悪いんじゃないかと
思われてしまうといけないのですが、
そんなことはないですよね(笑)。 |
慶一 |
まったくそんなことはないよ(笑)。
大事な数少ない年上のともだちだもの。
これからも甘やかさないで欲しいよ。 |
── |
このあいだもジョアン・ジルベルトを
隣の席で仲良く観てらっしゃいました。 |
慶一 |
ありゃ、見られてた。
そうですそうです。
これからもどうぞよろしく。
(ぜひ一度、『ゆうがたフレンド』をお聴きください。
どうもありがとうございました)
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