もくじ
第0回課題3をはじめるにあたって。 2016-06-28-Tue
第1回売れる→天狗?じつはもっと複雑で。 2016-06-28-Tue
第2回仕事はだれのため?何のため? 2016-06-28-Tue
第3回震災は、考えかたそのものを変えた。 2016-06-28-Tue
第4回結局は、ちかくの人に褒められたい。 2016-06-28-Tue
第5回あらためてお金のはなしをしましょうか。 2016-06-28-Tue
第6回古賀さんと糸井、それぞれのシゴト論。 2016-06-28-Tue

AUTOCAR というサイトの編集部に所属しています。

もう一度、古賀さんと糸井の対談を。

担当・上野太朗

第3回 震災は、考えかたそのものを変えた。

古賀
震災を通して気づいたこと……。
糸井
たとえばですよ。
「君達が、このままじゃダメだろう」なんていえば
「じゃあお前どうしてるの」って、いつも聞かれる。
それで、俺は思いつづけていることが1つあるんです。

みんなが優しくしてくれる時に、
素直にその行為を受け取れるかってことです。
あの時、被災した人たちと友達になりたいって
早く言った理由って、そういうことなんです。
つまり、友達が言ってくれたことだったら
まっすぐと受け取れるじゃないですか。

古賀
うんうん。
糸井
友達ではない人から気をかけてもらっても
「ありがとう」のあとに「ございます」が
つくんだよね。
古賀
あぁ、なるほど。

糸井
友達として「ありがとう」って言ってくれる関係に
俺はなれたのかなぁ。
逆に、俺が普通のありがとう以上のことを
恩着せがましくやったとしたら、彼ら/彼女らは、
また別のリアクションになると思うんですよね。

あげればあげるほどいいと思ってる人も
やっぱりなかには、いるじゃないですか。

古賀
そうですね。
糸井
でも、それは絶対違いますよね。
被災者側から僕を見て、‘余計なことを’ って
思えるようなことしてないかなっていうのを、
いつも考えるようになったですね。

東北で震災が起きる遥か前から、
東京大震災というのはいわれていますよね。
もしそれが起こった時に、
手を差し伸べてくれる人っていると思うんです。

ありがとうって言いっぱなしで
何年間も生きていけるだろうか、
なんていうことも考えますね。

そして、結果的にものすごく焦って、なんかね、
事業欲が湧いてくるような気がする(笑)

古賀
(笑)
糸井
ここからすごい成功してみせる、みたいな。
それは、俺の本能なんだと思うんだけど、
でも冗談ぬきで、震災を通して、
東京という場で刺激されたような気がしますね。
古賀
うーん、なるほどぉ。
糸井
古賀さん、その辺の時は、
どう自分の考えを納めようと思った?
古賀
僕は、本を作ってる時で、このまま震災に触れずに、
5月ぐらいに出版する予定だったんですよね。
もうすぐ〆切というぐらいのタイミングで。
だけど、このまま何事もなかったように、
その本がポンと出てくるというのは
明らかにおかしいよねっていう話をして。

全然その本のテーマとは関係なかったんですけど、
とりあえず現地に行って取材をしようってなった。
著者の方と一緒に3人で現地を回って、
その時はほんとに瓦礫がバーッとなってる状態で……

糸井
その時期はまだ、震災後そのまんま。
行くだけで大変ですよね。

古賀
そうです、そうです。
交通手段も限られてるような状態だったので。
その時に思ったのは、もう今のこの状況は、
ほんとに自衛隊の方とかに任せるしかなくて、
とにかく東京にいる僕らにできるのは、
自分達が元気でいることだなと思ったんですよね。

自分達がここで下を向いて、つまんない本作ったり、
自粛したりとかするんじゃなくて、
どういうふうに聞こえるかわからないですけど、
東京の人間が東を向いて何かをやるというよりも、
西の人達に、俺達ちゃんと頑張ろうよというような、
俺達がやらないと、東北の人達も立ち直ることが、
なかなか難しいだろうからっていうことで、
意識を逆に西に向けていたんだと思います。
みんなが意気消沈してという時に。
瓦礫を見た時の迫力……

糸井
自分にできることの小ささですよね、まずはね。
あの、何もできないという思いは、
ずっと形を変えて、小さく僕の中にも残ってますね。
やった人達に対する感謝とね。
古賀
はいはいはい、そうですね。
糸井
あの瓦礫って今ほとんどないんですよ。
古賀
20年ぐらいかかるだろうなと思いました。
糸井
自粛っていうのとはまったく違うんですけど
お節介に周囲をとめたことがあったですね、結構。
まだ出番はあるから、みたいな言い方して。
それは自分に言ってた気がする、同時に。

そういうことしたくなっちゃうよな、というの。
その時にもう、自分の肩書きって結構あれで。
ライターだとか編集者だから自分のできることは、
こういうことだなって思うのが、
そこを起点に考えるって発想を、僕、なるべく
やめようと思ったんですよ、実は。

その辺りが、さっきの古賀さんの、
ライターっていうものって考えると、
違ったとこなんですよね。
個人の名前としてどうするかっていうのを、
とにかく先に考えようと思ったんですよね。
そうじゃないと結局、職業によっては、
今何も役に立たなくて、来てもらっちゃ困るとこに
行くようなことだってあるわけで。

古賀
わかると思います。
糸井
間違っちゃダメだと思ったんですよね。
僕は歌い手だからって、ギターを持っていった、
という人がいっぱいいたけど、
生きなきゃいけないといった状況で、
ほんとうに必要だったものってあったと思うんです。
古賀
そうですね、うん。
糸井
だから僕は、豚汁配る場所で列を真っ直ぐにするみ
たいな手伝いとか(笑)
その発想で、その延長線上で何ができるだろう
みたいなことを、考えたかったんですよね。

でもずっと悩んでました、わからなかったから。

ほんと震災がなくて、そういう話を考えなかったら、
今僕らはこんなことしてませんよ。
もっとつまんない、虚しい小競り合いをしたり。
あるいはちっちゃな贅沢、カラスがガラス玉集める
みたいなことをしてたんじゃないかな。
それに思想を追っかけさせたんじゃないかな。
もたないですよね、それじゃ。

古賀
そうですね。

でも、震災に関わるっていうふうに決めた時に、
世間からの見え方として
いい面と悪い面とあるじゃないですか。
糸井さんとか、ほぼ日の活動を見てると、
そこをすごく上手くコントロールしてる、
というと、またちょっと言い方が変ですけど、
しっかりと正しい道を選んでるなという感じがして。
だから、その友達っていう最初の起点が、
たぶん他とは違ったんだろうなと思いますね。

糸井
やっぱり吉本隆明さんの考えが根底にあったと
思うんです。今振り返ってみても。
第4回 結局は、ちかくの人に褒められたい。