- 糸井
- 僕はよく社内で
「昔はみんな立ちションベンしてたんだよ」
って話をします。
今のような街が作られてく過程には、
田んぼと都市の境目のような場所が
いっぱいあって、
その重なってる領域みたいな所で
みんな生活していたんです。
都市でもなく、田舎でもない、
曖昧な場所が
たくさんあったわけなんですよね。
それから、
今倫理的にものすごくあちこちで追求されるけど、
お妾さんのいる人も、いくらだっていました。
- 古賀
- はい。
- 糸井
- 僕が思うに、
今の基準で良い、悪い、って
決めつけるのは簡単ですよ。
答えが最初からわかってるわけだから。
少し前までは、
日本も結構ハードな部分はあって。
オヤジたちが女子供のいる所で
タバコ吸いまくって、そのモクモクの中で、
なんか偉そうなことをしゃべってて、
「あ、酒こぼしちゃった」って言えば、
「あらあら」なんて拭いてもらう。
ああいう時代の尻尾が、
未だに僕の中にも残ってますからね。
でもあのままそっち行ってたら、今頃袋叩きだよね。 - 古賀
- そうですねぇ。
- 古賀
- 今ってスタートラインからリセットして、
最初からお互い「前歯に青のりついてない?」
って確認してから始めるようなところ、
あるじゃないですか。
だから逆に前歯に青のりついてる人の方が
健全なんじゃないかって思うんですよ。 - 古賀
- うんうん。
- 糸井
- ネットは華やかに見えるって言うけど、
あれ、やってる当人たちは、
痙攣的に楽しいんじゃないですかね、
ピリピリするような。
相手に追い抜かれるってわかっていて
自分があえて足踏みして待ってる、
で、次は自分が追い抜いて。
その繰り返し。
僕がコピーライターやってる時にも、
浅い部分でそういうことはありましたよ。
僕の時代が月刊誌の尺度で動いてたとしたら、
今は週刊さえ超えて、
時間単位になってると思う。
そんな時間単位で、お互い腹の探り合いしながら
裏の裏まで読んでるんだぜ、っていうのを
ピリピリしながらやってるというのは
何にも育たない気がするんだよね(笑) - 古賀
- すごくわかります。
先日糸井さんが3年後の話、というのを
書かれてたじゃないですか。
“船に乗っているものとしては、
向こう岸の景色を見ながら進むように、
目の前の海ばかりじゃなく、
水平に見える三年先を、見ていることはできるし、
するべきだと思っている”
ってすごく共感したんです。
- 糸井
- あれ、自分で書いて言うのもなんだけど、
すごくビリビリきた(笑) - 古賀
- (笑)。
でも、そこの時間軸を
どういうふうに設定できるかというのが、
すごく大事だと思って。
見えもしない10年後、20年後を語りたがる人って… - 糸井
- まずそれは嫌だね。
- 古賀
- そうですよね。
でもそこで満足してる人達というのは、
若い人にも、ある程度年が言ってる人にも
意外とたくさんいて。
ぼくもどちらかというと今まで、
今日か明日しかない、
だって先のことなんてわからないじゃん、って
そういう立場だったんですよね。
でもそこで糸井さんのおっしゃるように、
きちんと考えに考えたら、
3年先にこっちに向かってるとか、
あっちに向かってるとかの
大まかなハンドルは切れるんだ、と感じたんですよね。 - 糸井
- それを僕は今の歳でわかったわけです(笑)
古賀さんの歳でも、わかる人はいるかも知れない。
だけど、
そんなに簡単にその考えになりたくない、
もっと刹那的でいたい、
みたいな意地があって
たぶん抵抗するんですよね。 - 古賀
- うんうん、そうですね。
- 糸井
- だから、
大きな災害があった後とかは特に、
ああいう想定外のこともあるんだから、
今日という日を充実させていこうと思う。
それはそれで立派な考え方だと思うんですよ。
そこにしっかりと重心を置いた上で、
「3年後はわからないから今をやり残すことなく、
1日1日を精一杯ちゃんと生きようよ」
というのはとても説得力あるんです。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- たぶん僕も、
本当にそう思えたんじゃないかな。
一旦そう考えて暮らしていました。
そしたらそのうちに、
「この先どうしましょう?」って
聞かれることが多くなってきて。
「俺もいまはわかんないけど…」
っていうのをずっと言ってきたんだけど、
でもふと気づいて。
その確実な1日を積み重ねることができるならば、
今日という日のことは
3年前からしたら実は見通せてたな、っていうことが
実感できるようになったんですよ。
✒️糸井さん、古賀さんが改めて自分の生き方について
問い直すきっかけになったこと、
それは東日本大震災でした…
第3回へ続きます。