- 天野
-
では、あなたはなぜ台湾?
初めて台湾に行ったのはいつですか?
- 田中
- ちゃんと行ったのは2009年ぐらいですね。
- 天野
- それは旅行で?
- 田中
- 実は最初に行ったのは仕事です。
- 天野
- へぇ―!そうなんだ。
- 田中
-
僕は大学卒業後の一年間、
学校の先生に弟子としてついていました。
当時、日本のクールかわいいポップカルチャーを
海外に持っていくというアプリを作る仕事があって、
ファンシーフロンティアという台湾版コミックマーケットの
取材で出張行きました。
それが初めての台湾です。
- 天野
-
面白いですね、意外と全然違う。
いきなり、落下傘部隊のように、
台湾カルチャーのコアな部分に入ったという話ですね。
- 田中
-
大学時代に旅行で中国とか、タイとか、色々行ったが、
昔から「中華」がすごく好きでした。
高校の時も雑多な感じのアジアにすごく憧れがあって、
大学の頃に中国、香港映画、台湾映画ももちろん観てたが、
その時は台湾映画の良さとか全然分からなかったんですよ。
- 天野
- その時は2000年代…名作とかは観ているのか。
- 田中
-
はい、もちろん侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督とか、
エドワード・ヤン監督とか。
エドワード・ヤン監督の「ヤンヤン 夏の思い出」は
やはり長いな、退屈だなという印象でしたね。
- 天野
-
台湾ニューシネマは全般的に長い、
時間短くても長いです。(笑)
- 田中
-
はい、今思うとそれも一つの良さとして分かるが、
当時は全然分からなかったです。
そのなかで台湾に出張で行きました。
なんとなく、「過ごしやすいな」と感じただけで、
最初の出張で台湾のことが気になって、
そのあとすぐに何回かプライベートで行き始めました。
- 天野
- そうなんですね。
- 田中
-
《LIP》はもともと、《LIPサービス》という2006年に、
アマチュアの人たちで盛り上がって作った雑誌です。
その雑誌などで色々悩んでいた2009年に、
色んな台湾のクリエーターと会った時、
昔の僕らと、同じような感じで色んなことやっていました。
ミュージシャンとか、バンドマンとか、
知り合いのデザイナーがCDジャケットを作ったり、
ミュージックビデオを作ったり、
そのパッションがすごく似ていました。
彼らと昔の自分とつながった時、
なんか彼らの力のなれるメディアになるのが
面白いんじゃないかとまず思いました。
- 天野
- ほう。
- 田中
-
もうひとつは、僕も超日本人的感覚の人なので、
正直、アジアを少し下に見てたりしたと思います。
- 天野
- 時には変なイメージがあるのは事実ですね。
- 田中
-
はい、それに近い自分が、台湾だったらフラッとこう…
馴染んだとか、居心地よかったとか、2010年頃だけど、
これから日本がアジアに目を向かなきゃいけない時代に、
台湾だったら、最初に皆行き始めると思いました。
- 天野
- なるほどね。
- 田中
-
僕はよく言いますが、
台湾の魅力は「半分日本、半分アジア」だと思います。
例えば、カフェで台湾人と話してて、
ちょっと日本語を話すと、
「あ、ここ台湾だった。」と一瞬感じます。
でも外を出て、鍋屋さんで隣のテーブルのおじさんが
お店の人を呼んで、鍋のスープを「打包(持ち帰り)」
したとか、日本と全然違うんですよ。
- 天野
- はい。
- 田中
-
「これがアジアか!」と思いました。
さっきまでカフェで音楽など、
共有できるカルチャーの話をしてて、
「だよね!だよね!」って盛り上がったのに、
外出たら、日本にない「アジア」がそこにありました。
なんかそのバランスが日本人にとって、
とてつもなく心地よい感じだったので、
絶対もっと日本と台湾をカルチャーの部分で繋ぐと
面白いことが起きるというのが確信しました。
台日系カルチャーマガジンとして、
《LIP》を《離譜》にリニューアルして、
2010年からスタートしました。
- 天野
- 2010年からなんですね。
- 田中
- はい、すぐにやりましたね。