もくじ
第1回台湾は、居心地よかった。 2016-12-06-Tue
第2回台湾の魅力は「半分日本、半分アジア」。 2016-12-06-Tue
第3回台湾人って、「ハコ」作るのが上手と思う。 2016-12-06-Tue
第4回本は面白いことに、台湾好きじゃない人も読める。 2016-12-06-Tue
第5回日常に台湾を 2016-12-06-Tue

台湾高雄出身、高校卒業後に日本留学し、2016年で来日10年です。普段は会社員。週末は台日系雑誌『LIP』
主催の中国語教室「カルチャーゴガク」で、Q先生として台湾の中国語を教えています。「Q」は名字の「邱(きゅう)」が由来です。日本語と中国語と翻訳が好きです。

台灣高雄人。高中畢業後到日本留學,現工作於東京。2016年即來日本滿10年。平常是上班族,週末則在台日系雜誌《LIP 離譜》主辦的中文教室「Culture gogakuカルチャーゴガク」教台灣中文。「Q」這個名字來自本名姓氏「邱」的日文發音。喜愛日文中文以及翻譯。

台湾と日本の間の二人が</br>「台湾カルチャー」を語る</br>翻訳家 天野健太郎×『LIP』編集長 田中佑典

台湾と日本の間の二人が
「台湾カルチャー」を語る
翻訳家 天野健太郎×『LIP』編集長 田中佑典

担当・Q

第2回 台湾の魅力は「半分日本、半分アジア」。

天野
では、あなたはなぜ台湾?
初めて台湾に行ったのはいつですか?
田中
ちゃんと行ったのは2009年ぐらいですね。
天野
それは旅行で?
田中
実は最初に行ったのは仕事です。
天野
へぇ―!そうなんだ。
田中
僕は大学卒業後の一年間、
学校の先生に弟子としてついていました。
当時、日本のクールかわいいポップカルチャーを
海外に持っていくというアプリを作る仕事があって、
ファンシーフロンティアという台湾版コミックマーケットの
取材で出張行きました。
それが初めての台湾です。
天野
面白いですね、意外と全然違う。
いきなり、落下傘部隊のように、
台湾カルチャーのコアな部分に入ったという話ですね。
田中
大学時代に旅行で中国とか、タイとか、色々行ったが、
昔から「中華」がすごく好きでした。
高校の時も雑多な感じのアジアにすごく憧れがあって、
大学の頃に中国、香港映画、台湾映画ももちろん観てたが、
その時は台湾映画の良さとか全然分からなかったんですよ。
天野
その時は2000年代…名作とかは観ているのか。
田中
はい、もちろん侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督とか、
エドワード・ヤン監督とか。
エドワード・ヤン監督の「ヤンヤン 夏の思い出」は
やはり長いな、退屈だなという印象でしたね。
天野
台湾ニューシネマは全般的に長い、
時間短くても長いです。(笑)

田中
はい、今思うとそれも一つの良さとして分かるが、
当時は全然分からなかったです。
そのなかで台湾に出張で行きました。
なんとなく、「過ごしやすいな」と感じただけで、
最初の出張で台湾のことが気になって、
そのあとすぐに何回かプライベートで行き始めました。
天野
そうなんですね。
田中
《LIP》はもともと、《LIPサービス》という2006年に、
アマチュアの人たちで盛り上がって作った雑誌です。
その雑誌などで色々悩んでいた2009年に、
色んな台湾のクリエーターと会った時、
昔の僕らと、同じような感じで色んなことやっていました。
ミュージシャンとか、バンドマンとか、
知り合いのデザイナーがCDジャケットを作ったり、
ミュージックビデオを作ったり、
そのパッションがすごく似ていました。
彼らと昔の自分とつながった時、
なんか彼らの力のなれるメディアになるのが
面白いんじゃないかとまず思いました。
天野
ほう。
田中
もうひとつは、僕も超日本人的感覚の人なので、
正直、アジアを少し下に見てたりしたと思います。
天野
時には変なイメージがあるのは事実ですね。
田中
はい、それに近い自分が、台湾だったらフラッとこう…
馴染んだとか、居心地よかったとか、2010年頃だけど、
これから日本がアジアに目を向かなきゃいけない時代に、
台湾だったら、最初に皆行き始めると思いました。
天野
なるほどね。

田中
僕はよく言いますが、
台湾の魅力は「半分日本、半分アジア」だと思います。
例えば、カフェで台湾人と話してて、
ちょっと日本語を話すと、
「あ、ここ台湾だった。」と一瞬感じます。
でも外を出て、鍋屋さんで隣のテーブルのおじさんが
お店の人を呼んで、鍋のスープを「打包(持ち帰り)」
したとか、日本と全然違うんですよ。
天野
はい。
田中
「これがアジアか!」と思いました。
さっきまでカフェで音楽など、
共有できるカルチャーの話をしてて、
「だよね!だよね!」って盛り上がったのに、
外出たら、日本にない「アジア」がそこにありました。
なんかそのバランスが日本人にとって、
とてつもなく心地よい感じだったので、
絶対もっと日本と台湾をカルチャーの部分で繋ぐと
面白いことが起きるというのが確信しました。
台日系カルチャーマガジンとして、
《LIP》を《離譜》にリニューアルして、
2010年からスタートしました。
天野
2010年からなんですね。
田中
はい、すぐにやりましたね。
第3回 台湾人って、「ハコ」作るのが上手と思う。