もくじ
第1回ぼくの人生、不安しかない。 2017-05-16-Tue
第2回サウンドクリエーターのK君 2017-05-16-Tue
第3回CMプランナーのN君 2017-05-16-Tue
第4回設計事務所代表のD君 2017-05-16-Tue
第5回放送作家のT君 2017-05-16-Tue
第6回コピーライターのM君 2017-05-16-Tue
第7回5人の取材を終えて 2017-05-16-Tue

自転車と山歩きが好きなコピーライターです。40歳を前にフリーになりました!どうしましょう。

39歳フリーランス1年生、不安に向き合う。

39歳フリーランス1年生、不安に向き合う。

担当・足立 遊

第5回 放送作家のT君

38歳・妻子あり
2001年 広告代理店入社
2003年 放送作家の道へ
筆者との関係:広告代理店時代の新卒同期

代表作
BSスカパー!『BAZOOKA!!!』(構成)
NHK Eテレ『ゴー!ゴー!キッチン戦隊クックルン』(アニメ脚本)
テレビ東京系列『山田孝之の東京都北区赤羽』(構成)
テレビ東京系列『そのおこだわり私にもくれよ』(脚本)
テレビ東京系列『山田孝之のカンヌ映画祭』(構成)
NHK Eテレ『天才テレビくんYOU』(構成、脚本)

ー「40歳のフリーランス」をテーマにしようと思うんだけど。

それよりも、40代ってモテるのかどうか聞きたいな。
いま、40歳の人ってモテてるのかな?
俺は、もっとモテてるはずだったのに全然モテてない。

とはいえ、もう結婚したし子供もいるからね。
だけどさ、もっとこう、
チヤホヤしてもいいんじゃないかなって。

ー俺を、ね(笑)
 でも、売れっ子すぎてモテるヒマないでしょ。
 いま、レギュラーって何本抱えてるの?

いまは週に13、4本あるよ。
たくさん仕事させてもらえるのは
本当にありがたいんだけど、
気をつけなきゃいけないと思うのは、
無意識のうちに、
アタマの中に「型」ができちゃうことなんだよね。
こういう番組なら、じゃあここはクイズにして、
こっちはランキング形式にしよう、みたいな、
なんとなくフォーマット化されてきちゃう。
型があったほうが楽だし、考えなくて済むからさ。

で、問題なのは、
それでそこそこ面白い番組ができちゃうんだよね。
糸井さんがやってた「ヘタウマ」の反対で、
いちばん最悪なのが「ウマヘタ」なんだと思う。
変に器用になっちゃって、上手いんだけど、
それが結果的に下手になっているというか、つまらない。
今って、芸人さんもすごく優秀で面白いから、
どんな企画でも面白くしてくれちゃうんだよね。
でも、それは芸人さんが面白いのであって、
決して企画が新しいわけじゃない。

いま、Eテレ(NHK)の番組が新しく見えるのは、
企画の出発点が「テーマ」じゃないことがあるから。
普通、番組の企画を考えるときって、
「お金」とか、「法律」とか、
番組のテーマから入ることが多いんだけど、
それってもうやり尽くされていて、そうなるともう、
視点とか言い方がちがうだけの大喜利大会になってくる。

でもEテレって、
「Tさん、いまこんな技術があるんですよ。
この技術で番組やりませんか?」って、
それがまた見たこともない技術だから、
どんな番組をやっても新しくなるんだよね。
だから、そういう企画の発端というか、
企画の立ち上げ方を変えていかないと、
新しい番組はできないんじゃないかって思う。

ーやっぱり、視聴率も重要なんでしょ?

視聴率取らないと、番組が終わっちゃうからね。
番組が終わったら、仕事なくなっちゃうから。
最近は、オリジナリティあふれる番組を作るんじゃなくて、
説明のいらない、どこかで見たことのある番組を
作る方向にシフトしてると思う。

だから、『カンヌ』とか『赤羽』では、
あえてその真逆をやりたかった。
どう見ればいいのか分からない番組を作ろうと。
実際、見方が分からないっていう意見もあったよ。
でも、ルールや正しい見方なんて気にせず、
自分の好きなように見てほしい。

ー世の中に対して何か、
 そういう問題意識とかあるの?

そういうのはないよ。
ただ自分なりに、そこに抵抗しようとはしてるかも。
勝手に自分に使命感を与えてやってる感じかな。

もともと放送作家になりたいと思ったきっかけは、
90年代のフジテレビの深夜番組が面白かったから。
『カノッサの屈辱』とか『IQエンジン』とか、
『やっぱり猫が好き』とか、
『世にも奇妙な物語』の前身番組の『奇妙な出来事』とか。
それこそ糸井さんが出ていた『TVブックメーカー』とか。
エッヂの効いた番組がたくさんあって、そういう番組を見て、
「こういうの作りたい!」って思った。
だからまた自分みたいな放送作家に出てきてほしいから、
それまでは自分が、その人のきっかけとなるような番組を
作り続けるしかないかなあと。

ーそんなに放送作家になりたかったのに、
 なんで広告代理店に入ったの?

放送作家のなり方がわからなかったから(笑)
夢は、夢のままでいいかって。
それに広告も好きだったしね。
俺たちが就活してた2000年頃って、
電通から独立した人たちが
「タグボート」っていうクリエイティブ会社を作ったりして、
広告もかっこいいと思っていたし、
CMを作るのも番組作りに近いような気がしてたしね。

それで広告代理店で営業をしていたんだけど、
たまたま知り合った出版社の人が、
元々有名なタレントのマネージャーをしていた人で、
テレビの業界にもすごく詳しかったんだよ。
その人に、放送作家になりたかったんですって話したら、
「じゃあ放送作家を紹介してあげるよ」って言われて、
会わせてもらったのが、
当時の俺でも名前を知っているような方で、
今も続く、某ゴールデン番組の
チーフ作家をしている人だった。
「T君、放送作家になりたいなら、番組の企画を
20個考えてきてよ」って言われて、
企画を出してみたら1個ずつ丁寧に添削してくれて。
「じゃあ、また来週20個考えてきて」って、
それが3週続いて、3週目のときに、
「1回、会議に来てみれば?」って言われて。

それで当時まだ麹町にあった日テレで、
その番組の定例会議に出てたんだよね。

ーでも、まだ広告代理店の社員だよね?(笑)

入社3年目です(笑)
営業だったし、そこはなんとかやりくりして…

テレビの会議ってみんなラフな格好してるのに、
突然、見知らぬスーツのやつがひとり入ってきて、
しかもネタ出しまでしていたから、
こいつは一体誰なんだって思われてたと思う。
それでも毎週、毎週、半年くらい出てたんだよね。

で、あるとき会議が終わって、
その作家さんとプロデューサーに呼び出されて、
「T君にやる気があるなら、
番組の作家として入れてあげるよ」
って言われて、次の日の朝、
上司に「会社辞めます」って言ったんだよね。

ー放送作家って、すごく大変そうなイメージがあるんだけど、
 どれくらい仕事してるの?休みはあるの?

いま、毎日会議が5本〜7本あって、
ひとつの会議が1本2時間。
最後の会議は22時頃から始まるから、
それを24時ぐらいまでやって、
それから次の日の宿題を片付ける感じ。

子供が生まれてからは、できるだけ
日曜日は仕事を入れないようにしているけど、
月曜締め切りが多いからね。
子供が寝たあと21時くらいに六本木のルノアールに行って、
そこが23時で閉店だから、けやき坂のスタバに移動して。
けやき坂のスタバって、きれいな女の子が多いんだよ。
誰かが俺のこと見てるかもしれないと思うと、
全然サボれなくて、仕事がはかどるんだよね(笑)

逆に、休みがあっても、何をしていいか分からない。
仕事が生きがいになってる、
一番ダメなパターンかもしれないけど、
放送作家として仕事できている自分が嬉しいから、
そこまで苦じゃないんだよね。
だから、仕事が嫌で断ったことは一度もないよ。

それに、どんな仕事にも、どこかに楽しみはあると思う。
番組スタッフの中には、自分の感覚と合う人が
きっと1人はいるはずだから、会議のネタ出しでも、
その場で笑いを取るためだけの「会議ネタ」と、
実際にオンエアできそうな「リアルネタ」を出すように
意識してる。
誰かが「アイツ、おもしろいな」って思ってくれて、
この番組では無理だけど、
あっちの番組ならできるかもって思ってくれれば
それでいいからね。

ーやりたいことができた!っていう番組は?

転機になった作品が3つあって。

1つめは、『全日本コール選手権』っていう、
テレビ番組じゃなくてDVD作品。
いろんな大学のサークルが飲み会で使う「コール」を
競技化して大会を開催するっていう企画で、
初めて自分のやりたいことが形になって、
それがちゃんと話題になって、DVDも売れたんだよね。
それが、放送作家になって5年目くらいかな。

2つめは、BSスカパー!で放送されている
『BAZOOKA!!!』っていう番組。
BSスカパー!というチャンネルが
初めて自前のオリジナル番組を作るときに、
「地上波では放送できないような番組」というお題で
番組の企画募集があって、応募したら通ったんだよね。
ひとつのチャンネルの世界観まで作る仕事だったし、
この番組から、「高校生ラップ選手権」とか
「地下クイズ王決定戦」とかのヒット企画も生まれたしね。

3つめは、やっぱり『赤羽』と『カンヌ』。
『赤羽』も、企画ができてから決定するまでに、
1年近くかかったんだよね。
テレビ局の人にも意味が分からない企画だったし、
自分たちでもどうなるか分からなかったからね。

結局俺がやりたいことって、オリジナルのDVD企画か、
BSスカパー!か、テレ東の深夜か。
だいたいわかるよね(笑)
全然ゴールデン番組がないっていう。

ーやっぱり、そういう番組を、
 ゴールデンでやりたいという気持ちはあるの?

もちろん話が来ればやりたいけど、
ゴールデンじゃ難しいだろうなっていう思いもある。

でも俺は、自分のやりたいことが、『君の名は』みたいな
メガヒットにならないことはよく分かっているよ。
よくてカルトヒット止まりだろうな、と。
それでいいと思う反面、やっぱり、ジレンマというか、
コンプレックスというか、うらやましさというか。
なんだろうね。
ちゃんと狙ってすごいヒットを飛ばす
川村元気さんみたいなプロデューサーもいるわけだし、
そういう人とはいつか仕事をしてみたいと思う。

やっぱり、ゴールデンから目を逸らすのはズルいんだよね。
カルトヒットより、メガヒットのほうがぜんぜん難しいから。
ちゃんと向き合ってメガヒットに挑戦しないとね。
「過激にするのは簡単だから」ってよく言われるし、
最初からマニアックを狙うのは一種の逃げでもある、
っていう考え方は理解できるしね。

だから今回、『カンヌ』でギャラクシー賞をもらったのは、
めちゃくちゃ嬉しかった。

ーおめでとうございます!

ありがとう。
視聴率でしか評価されない世界にいるぶん、
視聴率じゃないところで認められたのは嬉しかった。
『カンヌ』なんて、視聴率2%もなかったからね。

今まで、誰に向かってボールを投げているのか
分からない企画ばっかりだったけど、
ようやく間違ってなかったというか、
ちゃんと認めてもらえたというか。
すごく意外だったし、
肯定してくれる人がいるっていうことの嬉しさは大きい。

それにしても、まさか賞なんてね。
『カンヌ』って、
そういう権威に対するアンチテーゼだったのに、
自分たちが賞をもらって喜んでる(笑)
本物の反骨精神を発揮するなら、
「賞なんていらねーよ。そんなの獲るためにやってねーよ」
って辞退するのがカッコいいのかもしれないけど、
「え、ウソ?もらえるの?」って(笑)

俺が「ギャラクシー賞もらいました」っていうツイートをしたら、
まったく面識のない糸井さんがどこかでそれを拾って、
「これはいいニュース」って、リツイートしてくれたんだよ。
いろんな人の反響の中で、それがいちばん嬉しかった。
その糸井さんのツイート、ちゃんと保存したもん。
いつかお会いしたい!

ーそうだね、会えるといいね。
 最後に、今後の展望を聞かせてください。

具体的なビジョンはないんだよね。
やりたいことはたくさんあるけど、
放送作家としての寿命って短いからね。
若い感性には勝てないと思うし。
昔は、放送作家の寿命40歳説っていうのがあったくらいで、
いま第一線で活躍しているベテランの方たちが、
その寿命を延ばしてくれているイメージがある。

糸井さんの言葉で好きな言葉があって、
「本当に強い人は、いつか
自分の強みに賞味期限が来ることを知っている。
だから、つねに新しい強みを磨いている」っていう言葉。

最近嬉しいのは、
「Tさん、次は何やるんですか?」って
言われるようになったこと。
いつまでも次回作を期待される人でありたいとは思う。

だから、具体的なビジョンはないけれど、
面白いか面白くないか、というよりは、
今まで見たことがないかどうか、にこだわりたい。
見たことあって面白い番組より、
見たことなくてつまらない番組のほうを選びたい。
スベってもいいから、新しいことやってるほうが面白いし、
自分もそうありたいと思ってる。
今までも、いっぱいスベってきてるしね。

ーその行く着く果てが、
 最初に言ってたモテるってことなのかもね。

あ、そうかもしれない。

ーどれくらいモテたいの?

困るくらいモテたい。
誰も困らせてくれないんだもん。困りたいよ。

第6回 コピーライターのM君