昔と変わらず、大将はかっこいい。
久々にお会いして、話を聞いて、そう思った。
ただ、そのかっこよさは高校時代に感じたそれとは違う。
もちろん焼いてくれたうなぎは
おいしくて、きれいで素晴らしかったし
仕事における圧倒的なかっこよさは例外なんだけれども
がんばって、がんばって手を伸ばしたら
ちょっぴり届きそうな「かっこよさ」を感じたのだ。
おこがましい言い方だけど。
なんだろう。
過去のエピソードから感じる熱量だったり。
話をしている時のまっすぐなところであったり。
わたしに今が一番、人生で悩んでいて
不安な時期なのだと包み隠さずに話をしてくれたり。
話してくれたこととその姿から
大将を「かっこいい大人」というより
「かっこいい人」に思えた。
そして、そう感じた時が、わたしが少なくとも
自分は子どもではないと思えた瞬間でもある。
なにより「こんなことを小僧に言っても
分かんないだろう」って大将が思ったら
仕事のことや父の存在、結婚について
168分も話をしてくれなかったはずだから。
大将の目にわたしが昔より成熟して、
おおきくなってるように映ってたなら
それはうれしい。
でも、結局のところ
自分が大人になれてるかどうかは分かっていない。
それは困ったことだけれど、いまは大人どうこうじゃなくて
「かっこいい人」を目指す心づもりだ。
それでも「大人って何よ?」という
自分の問いに答えを出すとすれば
色々な悩めることが増えていくことこそ
大人になるということなのかもしれないと考える。
50歳に近づいている年齢の大将でさえも
今まで抱えたことのない悩みがあって
苦しむときもあるだろうし、不安なんだ。
きっと何歳になっても、それは訪れるんだろうと思う。
だから23歳のわたしに
たくさんの悩みと選択すべき課題が
降り注いでくるのは当然なのだ。
なんだか身も蓋もない結論を導き出してしまったけれど、
そう思ったんだもの。仕方ない。
楽しみながらなんて余裕はないだろうけど
たくさんの悩みと上手に付き合って生きていこうと思う。
そうやっていくなかで、かっこいい人になっていけたら
それは、かなりいいなあ。
だから、まずは来年の春から「好き」の気持ちと
やり抜く根性を抱いて、頑張って働くのだ。
どのくらい頑張るのかというとね、
お祝いごとの日には特上のうなぎを食べられるぐらい。
(おわります。お読みいただきありがとうございました。)