伝兵衛さんは、亡くなる15年前から人工透析を行っていた。
月・水・金の週3回、1回4~5時間かかる治療だ。
くり返しになるが、伝兵衛さんは年に数百回のライブを行う
ツアーミュージシャンだった。
透析治療を受けながら、旅を続けるのは現実的ではない。
しかし、伝兵衛さんは自分の体調や治療を理由に
ライブの本数を減らしたり、旅を制限したりすることはなかった。
透析治療をはじめた年、
伝兵衛さんは全国の透析ができる病院リストを洗い出し、
1件1件電話をして治療の予約を入れていった。
病院の場所と日時が決まったら、
それに合わせてライブのブッキングを行い、旅に出る。
ひとつの病院で治療を受けるのは、多くて年に2~3回だ。
伝兵衛さんは、ライブハウスを開拓するのと同じように、
人工透析ができる病院を開拓し、ライブを続けた。
石井さんいわく、伝兵衛さんには諦めるという発想がなく、
どうすればやりたいことが実現できるか、
常にその方法を考える人だったという。
「スティーヴ・ガッドに会いに行くと言ったときは大変でした。
アメリカでは保険がきかなくて、治療が受けられないからね。
透析しない日が3日続くとつらいんだって話していました。
それでもスティーヴとライブをするには、
直接ニューヨークに行くのがいいと考えたんでしょう。
正規のルートで出演交渉すると、莫大なお金がかかりますからね」
一方で、世界的ドラマーとライブがしたいと言った
伝兵衛さんの言葉を、はじめの頃は信じていなかったそうだ。
「スティーヴとライブがしたいだなんて、
最初は大風呂敷を広げているだけだと思っていました。
なんて言っていいかわからないんだけど、
僕らみたいに音楽をやってる人間にとって、
スティーヴはある意味アイドルみたいな存在だったんです。
ロックもジャズもブルースも、
ジャンルの垣根を超えて音楽ができていることって
すばらしい、素敵なことなんですよ。
スティーヴはそれを実現させた人だった。
そういう、最高峰のドラマーとライブがしたいって
どういうことなんだろうって疑問でしたが、
ニューヨークに行くって聞いたときは、
ああ本気なんだと思いましたね。
だから、ライブが決まったと聞いたときは特に驚かなかった」
伝兵衛さんからのオファーを受けたスティーヴ・ガッドは、
その後、アルバムリリースを記念したワールドツアーで来日。
ブルーノート東京で3日間のライブを終えた翌日、
福山で開催された伝兵衛さんとのライブに出演したのだ。
(つづきます)