もくじ
第1回あるミュージシャンの夢が叶った日 2019-03-19-Tue
第2回ツアーミュージシャンという生き方 2019-03-19-Tue
第3回考えるのは、どうしたら実現できるか 2019-03-19-Tue
第4回全国からファンが集う日 2019-03-19-Tue
第5回人は待ってくれない 2019-03-19-Tue
第6回あの日の答えを探しに 2019-03-19-Tue

88年生まれ。渋谷でライター・編集の仕事をしています。aikoのことが大好きです。

あるミュージシャンに教わった、</br>夢を叶えるために必要なもの

あるミュージシャンに教わった、
夢を叶えるために必要なもの

担当・フクオヨウコ

第3回 考えるのは、どうしたら実現できるか

伝兵衛さんは、亡くなる15年前から人工透析を行っていた。
月・水・金の週3回、1回4~5時間かかる治療だ。

くり返しになるが、伝兵衛さんは年に数百回のライブを行う
ツアーミュージシャンだった。
透析治療を受けながら、旅を続けるのは現実的ではない。

しかし、伝兵衛さんは自分の体調や治療を理由に
ライブの本数を減らしたり、旅を制限したりすることはなかった。

透析治療をはじめた年、
伝兵衛さんは全国の透析ができる病院リストを洗い出し、
1件1件電話をして治療の予約を入れていった。
病院の場所と日時が決まったら、
それに合わせてライブのブッキングを行い、旅に出る。
ひとつの病院で治療を受けるのは、多くて年に2~3回だ。
伝兵衛さんは、ライブハウスを開拓するのと同じように、
人工透析ができる病院を開拓し、ライブを続けた。

石井さんいわく、伝兵衛さんには諦めるという発想がなく、
どうすればやりたいことが実現できるか、
常にその方法を考える人だったという。

「スティーヴ・ガッドに会いに行くと言ったときは大変でした。
アメリカでは保険がきかなくて、治療が受けられないからね。
透析しない日が3日続くとつらいんだって話していました。
それでもスティーヴとライブをするには、
直接ニューヨークに行くのがいいと考えたんでしょう。
正規のルートで出演交渉すると、莫大なお金がかかりますからね」

一方で、世界的ドラマーとライブがしたいと言った
伝兵衛さんの言葉を、はじめの頃は信じていなかったそうだ。

「スティーヴとライブがしたいだなんて、
最初は大風呂敷を広げているだけだと思っていました。
なんて言っていいかわからないんだけど、
僕らみたいに音楽をやってる人間にとって、
スティーヴはある意味アイドルみたいな存在だったんです。
ロックもジャズもブルースも、
ジャンルの垣根を超えて音楽ができていることって
すばらしい、素敵なことなんですよ。
スティーヴはそれを実現させた人だった。
そういう、最高峰のドラマーとライブがしたいって
どういうことなんだろうって疑問でしたが、
ニューヨークに行くって聞いたときは、
ああ本気なんだと思いましたね。
だから、ライブが決まったと聞いたときは特に驚かなかった」

伝兵衛さんからのオファーを受けたスティーヴ・ガッドは、
その後、アルバムリリースを記念したワールドツアーで来日。
ブルーノート東京で3日間のライブを終えた翌日、
福山で開催された伝兵衛さんとのライブに出演したのだ。

(つづきます)

第4回 全国からファンが集う日