伝兵衛さんとはじめて会ったあの日、
わたしは自分の夢を答えることができなかった。
足りないと言われた熱意とは何か、見当もついていなかった。
当時のわたしは、与えられた仕事も満足にできず、
夢はおろか、自分のやりたいことが何なのか、
考える余裕すらなかった。
今思えば、そんなわたしの自信のなさも、
全身からにじみ出る焦りも、
伝兵衛さんに全部伝わっていたのかもしれないと思う。
夢という言葉を聞くと、
なんだかそれは、はるか遠い未来にあって、
ふわふわと実体がないのに輝いてみえる、
理想郷のようなものを想像していた。
でも、伝兵衛さんが描いた夢は、確かに大きな夢だったが、
ちゃんと伝兵衛さんの現実の中にあった。
夢が叶う未来は毎日の積み重ねの先に存在していて、
はるか遠いと感じているその距離は、
自分が思っているよりはずっと近くにあるのかもしれない。
伝兵衛さんの人生を垣間見ると、そんな風に思えてくる。
と、ここまで書いて、
わたしはこの記事ができるまでの過程を思い出した。
伝兵衛さんについて書こうと決めたとき、
わたしは伝兵衛さんについて、ほとんど何も知らなかった。
ただ、5年前の心の引っかかりを手がかりにして、
あの日のライブで偶然知り合ったカメラマンのSさんに
数年ぶりに連絡をとり、
石井さんと龍麿さんを紹介していただいた。
この記事に書いた伝兵衛さんにまつわる話は、
ほとんどすべて、おふたりに伺ったものだ。
また、わたしはどうしてもこの記事に、
5年前の、あのライブの写真を使いたかった。
締め切りまで数日しか猶予のない中、
出演者全員に写真の掲載許可をもらうのはさすがに難しい、
そう思ったが、わたしはメールを送ることにした。
伝兵衛さんは、ご家族の方がこころよく了承してくださった。
佐山雅弘さんは、昨年、
佐山さんご自身がお亡くなりになっているのだが、
スタッフの方からすぐに快諾の返信が届いた。
スティーヴ・ガッド氏には、
会社の同僚に英訳を頼み、公式サイトからメールを送った。
まもなく返ってきたメールには、こう書かれていた。
「Yes of course」
村上“ポンタ”秀一さんにいたっては、
スタッフの方からのメールだけでなく、
ポンタさんご本人から電話がかかってきた。
「伝兵衛と佐山とのことだから、俺はいいんだけどよ、
スティーヴは大丈夫なのか?許可は取れているのか?」
なんと、スティーヴ氏の権利を侵害していないか心配をして、
連絡をしてくださったのだ。この優しさには、本当に驚いた。
気づいたら、無理だと思っていたことが実現していたとき、
ああ、そういうことなのかもしれないと思った。
わたしがやったことも、もしかしたらそうなのかもしれない。
夢を叶えるのに熱意が必要だというならば、
熱意とは、自らが望むことを受け止めて、
それを実現させるための一歩を踏み出し続けること。
そうやって歩みを進めた先に、
不可能だと思っていた夢や現実は、
ある日突然やってくるものなのかもしれない。
<伝兵衛さんが最後にライブを行った、大船『和・豊田』にて。
端山龍麿さん、石井康二さん、佐藤桃子さんによるライブ(2019/3/10)>
(おわります)