第九回 みんなと一緒にいる自由
糸井 一回、仕事現場を
見学させていただいたんですが、
お坊さんたちのよろこびかたが
ものすごかったなぁ……
お寺が建つということに酔っていましたよね。
小川 酔わせるのも俺らの腕やで。
お金をもらうことだけを考えてたらあかん。
向こうがよろこんでいくらでも出す、
というふうに持っていくのも
仕事のうちですからね。
そうせなあかんし、
そうするには偽りがあったらダメですから……
まぁつまりもう、精一杯やってるのよ。
糸井 そんなに力を入れていると、
バッタリ倒れるということはないんですか。
小川 うん、俺らは、やわらかいもの。
硬く頑張ってないから。
糸井 そこが聞きたいです。
そのやわらかさって、
いったい、どんなものなんですか。
小川 好きだからだろうな。
イヤイヤやっているわけではない。
遊び心でやってるから。
糸井 お弟子さんの遊び心も出るんですか。
小川 俺はぜんぜん、こうやれと言わない。
だから自分らで好きにやっていますものね。
糸井 ふつうの会社でもうまくいきますか。
小川 うまくいく。
だけど、親方の耐える力がないとできないな。
それがいちばん難しいところ。

親方も弟子も我慢……
その耐える力が仕事の方に爆発していくから。
仕事では気を抜いているようなもんや。
ただ、企業とかでこんな話をすると
「こんな話を聞いて
 参考にするような企業なら潰れるから、
 自分たちで考えたら?」と言いますけど。

まぁ、学校の中でなんぼ教えても
こういう仕事のことは教えきれないです。
一緒の飯を食って、一緒の空気を吸って、
一緒の目的を持って生活してなければ、
こういうことは伝えられない。

一緒に住んでますと、
手が足りない時は、ほんまに仕事するのも、
夜、寝ずにしていますから
そうする癖がつきます。すると、
休みたいとかいう気は誰もがなくなります。
糸井 「もともと個人の持っている資質とは関係ない」
と考えてもいいんですか。
小川 ないでしょう。
仕事のおもしろみがわかれば、
放っておいてもどんどん自分でやっていきます。
だから「これをこうしなさい」とか
言ったことはないですよ。
自分の師匠も自分に手本を示してくれたのは
鉋屑一枚だけでしたからね。
「鉋屑はこういうもんだ」
とポッと見せてくれた以外には、
何にも教えてくれなかった。
糸井 でも、その鉋屑は、うれしいでしょうね。
小川 あぁ、すごかった。
うれしいというより、
こういう鉋屑が出なくちゃなんないんだなぁと、
毎日毎日、夜に帰ると研いでは削り、
研いでは削りして練習するわけです。
だから何も言う必要がない。
見本だけ置いておけばいい。
目指すものだけあればいいんです。
俺も、もらった鉋屑を
仕事場のガラスに貼っといて、
それに近づこうとしたわけだから。
糸井 小川さんたちが
「一緒に暮らす」というのは
寮みたいな形になっているんですか。
小川 そうです。
糸井 個室なんですか。
小川 だいたい大部屋ですね。
ドアはありません。
糸井 そこもなんか大事そうですね。
小川 来て一か月ぐらいでやめる子は、
寝ても起きても同じ顔があるというのに
耐えられないんです。

寝ても起きても同じ顔がある……
大部屋にいることで、
みんなと仲良くしなきゃならないとか、
いろんなことを考えるんですね。
ですから、忍耐や何かが
自然に養われてくるわけです。

自由な時間がないという生活をしていると、
優しくなければ、長時間、
みんなと一緒に共に過ごすことができないぞ、
ということに気づくわけです。

うちの子は、みんな優しいですよ。
たとえば二人で物を持つのでも
力のある子は重い方をスッと持ちますよ。
料理でもみんなの好む味つけになってきます。
それが大切なんです。

個室で育った子がくるわけだけど、
それで思うのは……
個室がいちばん悪いですよね。

個室があれば自分でそこに入りこんで、
自分なりの考えをするでしょう。
こちらには、それがいちばん邪魔です。
だから昔なんかで、
そういう個室で育っていない人たちは、
やっぱしそれだけでも
修業するのがラクでしょうな。

自分も西岡師匠のところで
生活していましたから、
仕事場から帰って飯を食うのも
何もかも一緒で、
寝てても緊張して寝てるようなもんで、
自分の自由になる時間はいっさいなかったです。

そこまで自由な時間が
ひとつもないところまで追いこまれると、
自分の癖というものがよくわかります。
自分の癖がわからないで、違うことをやったら、
師匠に怒られたりするわけです。
「あ、これは自分の癖が悪いんだな」
とか、そういう風に自然にわかります。
自由な時間がなくなるぐらいまでの生活をすると、
いろんなことを感じとることができますよね。
そこまで感じられないというのは……
やっぱり自由な時間があるからでしょう。

みんなと生活をすると、
自分の自由な時間は少ないです。
しかしみんなと一緒に生活していると、
「みんなと一緒にいる自由」
というのがわかるわけです。
自分の時間のワガママな自由ではなくて、
みんなと一緒に生活しないと
やっていけないということに、
はじめて気がつくわけです。

それがわかると、
たとえば一つの建築をやるのにも、
穴を掘ってくれる人、
屋根をふいてくれる人、
材木を運んできてくれる人、
みんな、この人らがいなかったらば
仕事ができないということに気づくわけです。
ですから、そこに
家族の自由というのはないですよね。

うちにも奈良の方は職人が
常に五〜六人寝ていますから。
子供はほんまに勉強してると職人から
「なんだ、勉強してるのか?
 勉強なんかやめてこい」
といわれて……
そういう生活には勉強なんかないですよ。
しかしその中で楽しむ自由はあるんです。
十人ならその十人が集まった中の
自由でやっていけるわけですよね。
糸井 テレビとかは、あるんですか?
小川 あります。
昔、自分が西岡棟梁に弟子入りした時には
「これから一年、テレビ、ラジオ、新聞、
 そういうものにいっさい目をくれてはいけない」
と言われましたが、
自分はそこは自由にさせていますけど……
しかしみんな一緒の大部屋で寝る、
ということは一緒です。
自分たちが修業した時と今の子は違うから、
自分たちと同じようにおさえつけても聞きません。

遊んではいけない、と言ったならば、
遊びというのはどういうものだろうと
憧れて遊ぶようになりますよね。
だったら、
遊ぶなら遊びなさいと自由を与えると
「遊びよりもやっぱり仕事の方が楽しい」
というふうになってくるんです。

放っておけば
ちょっとした先輩が手本を示して
それを見習っていくという……
やっぱし師匠もいい師匠につけばいいし、
弟子もやっぱし一番先の弟子に左右されますよ。
まわりでいいのがいると、影響されるわな。
 
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2005-07-15-FRI

Text : Shunsuke Kimura Photo : Yasuo Yamaguchi
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