ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 続続・陸前高田 八木澤商店篇
セキュリテ被災地応援ファンドのこと 東日本大震災から、まる4年。
「いま、この人は何を考えているんだろう」
そう思ったので、お迎えしました。
創業200年を超える老舗醸造業、
八木澤商店の若き社長・河野通洋さんです。
この連載には、みたびのご登場。
糸井重里と私たち「ほぼ日」乗組員が
定期的に、お話を聞きたい人のひとりです。
八木澤商店では、新しい工場も建ったし、
待望の「お醤油」も復活しました。
でも、河野さんのまなざしは
陸前高田全体の仕事・人々・学校‥‥から
遠く「オレゴン」にまで、及んでいました。
糸井とたっぷり語り合った2時間を
全8回の連載として、お届けします。
 
第1回
「そうじゃない付き合い」をしたい。

糸井 今年で震災から4年が経ったわけですが、
ぼくは「東北の復興」が
ある意味で「絵に描きにくくなってきた」
と思っているんです。

そんなときに、どうしてぼくが
河野さんに会いたいと思ったかっていうと、
河野さんって
いちばん「表情に表れてる」人なんですよ。
河野 ああ、はい(笑)。
糸井 ものすごく、わかりやすいんです。

我慢はするけど、やせ我慢はしないし、
一所懸命のときは夢中だし、
もちろん穏やかな顔つきのときもある。
河野 ええ。
糸井 これはもう何回も、ご本人に言ってますけど
はじめて会ったときは
「アドレナリンが、ポタポタ落ちてる」状態。

あの年の秋くらいには、河野さん、
口では理性的に語ってくれるようになったけど
雰囲気からは
まだまだ大変な状況だってこと、よくわかった。
河野 そうかもしれませんね。
糸井 「気仙沼のほぼ日」ができたのは
震災の年の秋‥‥11月1日なんですけど
そのころ河野さんに会ったら、
すでに「正月が怖い」と言ってたんです。

「忘れられる」という意味でね。
河野 ええ。
糸井 ぼくは「まだ1年も経ってないのに」って、
つまり河野さんが怖がるほど
人は忘れないものだと思ってたんですが、
実際には
人に「忘れたい気持ち」がないはずがなくて。

その後「忘れないで」「忘れないよ」という
コール&レスポンスが
1~2年、続いたんだと思うんですが‥‥。
河野 そうでしたね。
糸井 だんだん力仕事が減っていって
「わかりやすい光景」が見えなくなったら
やっぱり人って、忘れていくんです。

だったら、あらかじめ
「忘れにくい仕組み」はないかなと考えて、
ぼくらは
「気仙沼のほぼ日」って「場」をつくった。
河野 ええ。
糸井 あれはもう、そこへ行けば「ある」わけで、
忘れるも何もないんです。

2年でめどをつけようと思ったんですが、
まだ、ぼくたちには
東北のみんなと付き合う理由がある、
できることはしようと思って、
契約更改のときに、
また2年、継続することにしました。
河野 はい。
糸井 ぼくらにできることって何かを考えたとき、
力仕事の減っていくこれからは
「アイデアが必要になる」と思ったんです。

ぼくの頭に最初からあったのは
「長くやれること」
「新しい芽生えに役立つこと」でした。
河野 なるほど。
糸井 気仙沼のほぼ日、さんま寄席、
うまけりゃうれるべ市、ツリーハウス、
気仙沼ニッティング‥‥
そうやって、いろいろやってきて思うことは、
「また来たよー」
「おお、来たか」くらいの関係で続くような、
からかわれに行くくらいの距離感が、
お互いの負担にならないし
「ほんとうの、東北への行き来」だなあ、と。
河野 うれしいですね、そう言っていただけるのは。
糸井 ぼくらは、あんがい用事があるんです。
河野 はい(笑)。
糸井 気仙沼には自分の会社の社員もいるし、
気仙沼ニッティングは
毎週1回、ミーティングしてますしね。

ぼくらは「気仙沼のほぼ日」をつくったおかげで、
そうできるんだけど、
そういう「場所」がない場合には
「何をすればいいんだろう?」になってますよね。
河野 そうかもしれないです。
糸井 とはいえ、 河野さんとは
ただ馬鹿話をするためだけに行き来できるような、
そんな関係になりつつあるけど(笑)。
河野 たしかに(笑)。
糸井 もっともっと、そうなったらいいと思うんです。

みんな「まだ手伝いは必要だ」ってことは
わかってるんだけど、
同時に「忘れること」に対する
「自責の念」のような気持ちを、
どう処理していいか、わからなくなってる。
河野 そうなんですよ、それが困ったもので。
予想はしてたことです。

でも、いまは「忘れてほしい」んです。
糸井 福島の高校生も同じことを言ってました。
河野 ああ、そうですか。
糸井 彼らは、本当に、すばらしかった。

愛すべき家族の間でも
考えかたがバラバラなわけですけれど
それでも、
ちがう意見の人とも一緒にやっていきたいと、
きちんと考えているんです。
河野 へぇー‥‥。
糸井 ある生徒が、こう言ってたんです。

「もっと前向きに
 忘れるということをしたほうが
 いいと思うようになった。
 この意見に対して
 みんなの反論を求めます」って。

‥‥いいでしょ?
河野 いいですね。
糸井 それに対して、まわりのみんなも
「わかるんですけど、反論したいと思います」
みたいな感じで。

もちろん、簡単に答えは出ないんですけどね。
河野 ええ、出ないでしょうね。

「忘れてほしい」というのは
言葉が適当じゃないかもしれないですけど、
「自責の念で苦しまないでほしい」
というか、
「何にも悪いことしてないですよ」
と言いたいんです。
糸井 うん、うん。
河野 「そうじゃない付き合いをしましょう」と、
今は、そう思ってます。
糸井 日本を見渡せば、
まさに、いろんな自然災害が起きていて
そのたびに、人は
助けたり助けられたり、していますよね。

誰かに助けられた経験のある人が、
「東北に対して自分は何もできなかった」
という気持ちのままでいるよりは、
とにかく東北に行って、
町から町へゆっくりとめぐっていって
憑きものを落とすみたいな、
そういう「気持ちの整理のしかた」も
あると思うんです。
河野 うん、憑きもの、落としてほしいです。

こころのなかに
「忘れることへの罪悪感」があるって
きついと思うので。
糸井 「こんにちは」が言いづらくなりますし。
河野 義務感と罪悪感の東日本、みたいなのは
ちょっと、たのしくないと思うんです。
糸井 うん。

<つづきます>
2015-03-11-WED
   
 
 
プロローグ なんにもなくなった町で。 2011-09-26-MON
第1回 半壊より全壊のほうがいい。 2011-09-27-TUE
第2回 ここから逃げ出したくない。 2011-09-28-WED
第3回 アホがまかり通る状態になった。 2011-09-29-THU
第4回 支援されっぱなしは我慢できない。 2011-09-30-FRI
第1回 なつかしい未来創造株式会社。 2011-12-27-TUE
第2回 北欧+味噌・醤油。 2011-12-28-WED
第3回 金融機関を動かせる会社に。 2011-12-29-THU
第4回 アフリカを緑化したい。 2011-12-30-FRI
第1回 「そうじゃない付き合い」
     をしたい。
2015-03-11-WED
第2回 ソフトとアイディア。 2015-03-12-THU
第3回 ほぼ日の仕事、八木澤商店の仕事。 2015-03-13-FRI
第4回 人に助けられてきた。 2015-03-16-MON
第5回 誰でもはたらける環境を創りたい。 2015-03-17-TUE
第6回 根っこ育て。 2015-03-18-WED
第7回 やさしく、つよく、おもしろく。 2015-03-19-THU
第8回 オレゴンに学ぶ。 2015-03-20-FRI
 
今回の訪問直後に掲載したレポートはこちら

2011-05-13 ほぼ日ニュース
味噌醤油、さんまの佃煮、天ぷらうどん。
再建への第一歩を踏み出した
東北の食品会社3社を訪問してきました。

 
いままでの東北の仕事論
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