糸井 |
まず、ここにいる社員たちに
ちょっと質問してみたいと思います。
「日本の魚が、いちばん品質が高い」
と思っている人‥‥?
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会場 |
(ほとんどの乗組員が手を挙げる)
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糸井 |
おおー‥‥おみごと。
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勝川 |
はい。
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糸井 |
では、品質が高いのは
ほんのごく一部でしかないと思っている人?
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会場 |
(数名が手を挙げる)
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糸井 |
今のは、わりに知識のある人ですね。
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勝川 |
そうかもしれないです。
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糸井 |
で、「最初の質問に手を挙げた人」は
「まちがってる」んですよね。
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勝川 |
残念ながら。
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会場 |
(ざわざわ)
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勝川 |
今、北欧のノルウェーから
大量に「サバ」が輸入されているんです。
もちろん、
日本でもおいしいサバは捕れますけど、
値段を比較してみると
日本のサバより
ノルウェーのサバのほうが、ぜんぜん高い。
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会場 |
(ざわざわざわ)
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勝川 |
というより、
日本も、サバを輸出しているんですが、
世界でいちばん安いです。
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会場 |
ええー!
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勝川 |
なぜかというと、
日本では「漁獲規制」がほとんどないので、
「ローソクサバ」といって
未成魚、つまり0歳の状態で捕ってしまう。
でも、そんなやせ細ったサバなんて
日本人、食べないでしょう?
だから海外に売るか、
マグロ養殖のエサにするしかないんですね。
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糸井 |
なるほど。
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勝川 |
すると「1キロ80円」とか、
そんな安い値段に、なってしまうんです。
つまり、
せっかく「サバ資源」を持っているのに
それらは食べずに海外へ売り、
ノルウェーから
「1キロ300円のサバ」を買っている。
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糸井 |
うーん‥‥。
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勝川 |
これは、実にもったいない話です。
なぜなら、
ノルウェーと同じ捕り方に変えてやれば
日本のサバだって
質の高いものになるからです。
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糸井 |
捕り方とは「ルール」のことですね。
それ次第で「質」を変えられる?
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勝川 |
はい。
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糸井 |
そのことについては
おいおいうかがっていくとして、
まず、たぶん、みなさんがイメージしている
「日本の漁業」って
誇り高く、技術にもすぐれた漁師さんたちが
少しでもたくさんの魚を狙って
男らしい競争を繰り広げて‥‥みたいな。
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勝川 |
ええ。
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糸井 |
そして、消費者であるぼくら日本人は
最高に鮮度のいい、
よその国では、ちょっと出てこないような
おいしい魚を食べている。
そう思い込んでいたけど、ちがうぞと。
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勝川 |
1970年代までは、そうだったんです。
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糸井 |
ずいぶん昔、なんですね。
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勝川 |
ええ、今のは「40年前までの話」です。
ぼくが小学生くらいまでは、
今、糸井さんがおっしゃったような認識で
まちがいじゃなかったんです。
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糸井 |
それが、どうして?
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勝川 |
日本の漁業の歴史をふりかえると、
まず、戦後の食糧難で
とにかくタンパク質が足りませんでした。
穀物すら不十分な時代に
肉なんて生産できるはずもないですから
日本人は、
海へ魚を捕りに行くしかなかったんです。
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糸井 |
ええ、ええ。
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勝川 |
だから国を挙げて、漁業を推進しました。
世界中の海へ
冷凍技術を発達させた日本の漁船が
出かけて行っては
たくさん魚を捕って帰ってきたんです。
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糸井 |
そうやって、国民の胃袋を満たしていたと。
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勝川 |
日本の漁業がものすごく良かった時代、
ずっと右肩上がりで
日本漁業の黄金時代と言っていい時代。
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糸井 |
そんな時代が、1970年代に終わっちゃう。 |
勝川 |
当時は、新しい漁場と未利用資源が
ふんだんにあったから、
捕れるだけ捕って、
魚がいなくなってしまっても
別の漁場へ行けば問題なかったんですよ。
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糸井 |
近場の資源を取り尽くしちゃっても
遠くへ足を伸ばせば、それでOKだった。
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勝川 |
戦後、飢えた国民のところへ
たくさんの魚を捕って帰ってくるというのは
本当に、大切な仕事でした。
漁業に知恵や技術を総動員することは
国益にもかなうことだったんです。
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糸井 |
そうでしょうね。
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勝川 |
高い国内需要と、世界の資源を使えたこと。
そのふたつの要因が
国民の食生活を支える産業としての漁業を
発展させていきました。
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糸井 |
それは、日本が「工業化」していく歴史と
シンクロしているわけですよね。
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勝川 |
でもその一方で‥‥
海の水産資源の「持続性」に関しては、
意識すらされてこなかった。
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糸井 |
‥‥なるほど。
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勝川 |
当時の食糧事情を考えれば
あるていど、
やむをえなかったことだとは思います。
その時代の海には
「公海自由の原則」がありましたから
他国の沿岸3海里‥‥
つまり5キロくらいの海域まで入って
自由に魚が捕れたんです。
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糸井 |
だから「世界中」へ行けたんだ。
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勝川 |
ノルウェーやロシア‥‥当時はソ連ですが、
他の漁業国も、
日本と同じような捕り方をしていました。
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糸井 |
つまり「競争」ですね。
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勝川 |
そうした「早捕り合戦」のなかでも
日本は、世界でも圧倒的に強かったんです。
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糸井 |
ぼくが子どものころに
よく「オリンピック方式」という言葉を
聞いたんですけど‥‥。
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勝川 |
はい、オリンピック方式というのは、
全体の漁獲枠が決められていて
その枠内での「早い者勝ち競争」なんですが
当時は、漁獲枠も規制もない。
もう、ルールなしの‥‥無限の競争。
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糸井 |
なるほど。
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勝川 |
でも、水産資源は無限じゃありません。
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糸井 |
はい。
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勝川 |
よその国の大型船が沿岸までやって来て、
ごっそり捕って帰っても
それを防ぐルールや法律が、なにもない。
だから、沿岸国にできることといえば
自分たちも負けずに捕るか、
指をくわえて見ているか‥‥どちらか。
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糸井 |
だったら、捕っちゃいますよね。
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勝川 |
そうやって世界中の漁場が
どんどん、枯れていってしまったんです。
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糸井 |
結果として、「日本漁業の黄金時代」も
終わりを迎えてしまったと。
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勝川 |
そうなんです。 |
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(つづきます) |