03奥崎謙三さんのこと。
- ──
- 以前、監督は、
「誰かに長く密着するには、
その人のことを好きにならないと無理」
とおっしゃっていたのですが‥‥。
- 原
- 基本的には、そうですよ。
嫌いじゃできない。話したくないでしょ。
- ──
- それは、代表作『ゆきゆきて、神軍』の
奥崎謙三さんについても、ですか?
- 原
- 奥崎さんは、ただひとりの例外です。
あの人は、取材を続けるうちに、
愛憎の「憎」が「愛」を上回っていった、
めずらしいケースですね。
- ──
- そうですか。
- 原
- だって、あの人、いつも、
わたしにたいして、怒ってましたからね。
つまり、わたしのことを否定することで、
自分を優位に持っていくわけです。
そりゃあ、こっちだって気分悪いですよ。
- ──
- あの、そういう監督の気持ちというのは、
作品を編集する段階で、
どんなふうに影響したりするんでしょう。
- 原
- あの映画はね、最後、
奥崎さんと西ニューギニアでロケをして、
結局、インドネシア政府に、
撮影したフィルムを没収されるんです。
撮れたと思ったラストシーンが、
一瞬にして、目の前から消えたんですよ。
- ──
- ええ。
- 原
- ラストシーンのない映画なんて、成立しない。
だから、映画として完成できないと絶望して、
もう見るのも嫌だという気持ちになって、
1年くらい、部屋の隅にフィルムを置いて、
仕上げの編集作業を放ったらかしてたんです。
- ──
- そうなんですか。
- 原
- でも、そんなふうにやっているうちに、
奥崎さんにたいする憎しみも、
じょじょにじょじょに薄らいでいった。
で、そうやって気持ちが変わると、
残ったフィルムでなんとかするしかないかと、
思い直すようになったんです。
- ──
- 時間が、前に進ませてくれた。
- 原
- そう。だから、編集段階では、
奥崎さんにたいしても、
穏やかな気持ちになっていたんですよ。
だから完成させることができたという面も、
あったと思いますね。
- ──
- 時間をかければ人間関係は深まっていくと、
先ほどおっしゃっていましたが、
奥崎さんとのご関係も、そうでしたか。
- 原
- そうですねえ‥‥まあ、奥崎さんの場合も、
ある意味で深まっているとは思います。
最初は、今村昌平さんが
奥崎さんを撮ろうとしたわけですけれども、
当時、今村さんは
裁判やっててゴタゴタしてたので、
「奥崎さんというおもしろい人がいるから、
誰か撮ってみないか」
って、いろいろな人に声をかけたそうです。
- ──
- でも、結局、誰も撮らなかった。
- 原
- そう、で、それから10年の空白ののちに、
たまたまわたしが、今村さんに
「誰か、おもしろい人いないですかねえ?」
と聞いたら、「おお、いるぞ」と。
- ──
- 待ってましたとばかりに。
- 原
- そんなはじまりだから、
わたしがカメラを回しはじめたころは、
奥崎さん、
「あの世界的に有名なカンヌ国際映画祭で
グランプリをお獲りになった
今村昌平監督が紹介してくださった
こちらの原一男監督に、
わたしは今、
映画を撮っていただいているんであります」
って言ってたんです、かならず。
絶対に「今村昌平」という枕詞がつくんです。
こっちももう、シラけちゃってね(笑)。
- ──
- そうですよね、それは(笑)。
- 原
- 本当は、今村昌平に撮ってほしかったってね、
少なくともあの映画の前半は、
ずっと、そう思ってたんじゃないでしょうか。
だけど、映画が終わるころになって、
「原さんに撮っていただいてよかった」って、
そう、言いはじめたんですよ。
- ──
- おお。
- 原
- でもね、その理由を聞いたら、
「今村監督には、自分はきっと遠慮して、
言いたいことも言えなかったと思う。
でも、原さんだから、
言いたいことが、ぜんぶ言えたんです」
って、どういうことだと(笑)。
- ──
- はい(笑)。
- 原
- でも、奥崎さんのほうでは、
そんなふうに、気持ちが変わっていったから、
映画の「パート2」をつくってほしいと、
言ってきたんです、わたしに。
ご存知のように、奥崎さんは事件を起こして、
12年の刑期をつとめるわけですけど、
その間、わたしは悩みに悩んで、
やっぱり「2」はつくっちゃいけないという、
そういう結論を出したんです。
- ──
- 12年も!
でも、なぜ「つくっちゃいけない」と?
- 原
- だって、パート2というのは、
パート1よりおもしろくなければならないし、
そのためには、あの人は、
もっと過激な犯罪を‥‥ようするに、
人を殺すようなことさえしかねないと思った。
そんなもの撮りたくないし、
撮っちゃいけないでしょう。
- ──
- なるほど‥‥はい。
- 原
- 奥崎さんという人は、出獄後、
8年間くらい生きて死んでいくんですけど、
亡くなったあとの部屋から、
VHSのテープがたくさん出てきたんです。
中身を見たら、わたしに対する恨みつらみ、
ようするにね、
「原さんは、映画監督じゃありませんよ。
ただのカメラマンですよ」
って言ってる映像が収録されてたんですよ。
- ──
- はー‥‥。
- 原
- 他方で、自分は「神さま」で、
「ただのカメラマン」でしかない原さんは、
神さまのご意向に従えばいいんだ、と。
なにせ、わたしに、自分のことを
「先生と呼べ」って言ってた人ですからね。
- ──
- 監督は、奥崎さんにとって、
どのような存在だったと思っていますか。
- 原
- よくて「映画を撮ってくれる人」でしょう。
ただし、「原さんは監督じゃない」わけで、
わたしのアドバイスは要らないし、
自分のやりたいことを、
ただのカメラマンとして撮ればいいという、
それが、
奥崎さんがわたしに求める、最高の関係。
- ──
- では、原監督にとって、
奥崎謙三さんとは、どういう人でしたか。
- 原
- わたしにとっては、
なんだかんだいって「お師匠さん」です。
本当はね、「先生」と言ってあげたって、
いいくらいだと思ってます。
- ──
- え、そうなんですか。
そんなふうに思えるとは、おもしろいです。
- 原
- だって、嫌な面もたくさんあったけど、
実際、映画をつくるという行為においては、
奥崎さんから学んだことは、
ずいぶん、たくさんあると思ってますから。
- ──
- それは、たとえば?
- 原
- 人は演技をする、ということも、そうだし。
<つづきます>
2018-04-29-SUN