02その人の心に触れる瞬間。
- ──
- 松家さんご自身のお仕事で、
いまも印象に残るインタビューって、
他に、何かありますか。
- 松家
- そうですね、『考える人』創刊号の
養老孟司さんのインタビューは、
とても印象深いです。
雑誌をはじめるにあたって、
まずは、養老さんに、
お話を聞きたかったんです。
- ──
- 松家さんは、養老さんの
担当編集でらっしゃいましたよね。
- 松家
- 本は一冊だけ、『身体の文学史』
という作品を編集しました。
あとは、小林秀雄賞の選考委員を
お願いしていたんです。
- ──
- ああ、そうでしたか。
- 松家
- 養老さん、4歳のときに
お父さんを亡くしているんですけど、
もう危ないと医師に言われ、
家族がみんな集まるなかで、
「お父さんに、ご挨拶なさい」と
その場で言われたそうです。
- ──
- 挨拶。亡くなりゆくお父さんに?
- 松家
- ええ。そのとき、4歳の養老さんは、
何も言えなかった。
- ──
- ああー‥‥
でも、それは、ちょっと辛いですね。
- 松家
- それ以来、自分はこうして
挨拶のできない人間になったんだと。
養老さん、そのことに
40を過ぎてから気づいたんだと
おっしゃった。
それもある日、
電車に揺られているときに、
「あっ!」という感じで。
- ──
- 亡くなる間際のお父さんに、
きちんと挨拶ができなかったことが、
今の自分につながっている。
- 松家
- そう。
- ──
- そのことに突然、思い至った?
- 松家
- ええ。実際、養老さんって、
時候の挨拶とか
一切しない人ですから(笑)。
以前、南伸坊さんに聞いたんですが、
新聞記者の人と一緒に
養老さんの北鎌倉の家を訪ねて、
応接間に通されたとき、
窓越しに、庭の木の上をツツーっと、
リスが走るのが見えたんですね。
- ──
- ええ。
- 松家
- それに気づいた記者の人が、
「ああっ、リスがいますね!」って、
驚いたように言ったら、
養老さんは、
ただ「‥‥います」と一言。
それで話が終わっちゃった(笑)。
- ──
- おお(笑)。
- 松家
- 伸坊さんも、
養老さんのことが大好きだから、
「養老さんって、そういう人だよね」って、
笑いながら話してくれました。
創刊号のインタビューのタイトルも
「挨拶のできない子供」にしたんです。
- ──
- ノーベル賞を獲ったとか、
何か偉業を達成したとかじゃなく、
合間の時間にオマケのように語られる
ちいさいエピソードのほうに、
その人が現れることってありますよね。
- 松家
- 世界的なピアニストの内田光子さんにも、
お話をうかがったことがあります。
昔から、レコードが出れば買うし、
コンサートがあれば聴きに行ってました。
でも、所属するレコード会社経由で
インタビューをお願いしたら、
「たぶん、ダメだと思います」
って、最初に言われちゃったんですね。
- ──
- それはつまり、
あんまりインタビューを受ける方では
ないから、という理由で?
- 松家
- そうなんです。でも、あきらめきれずに、
手紙を書いて渡してもらったんです。
- ──
- ええ。
- 松家
- そうしたら、お返事をいただいて、
こんどシカゴでコンサートがあるから
シカゴに来てくださるのならって。
- ──
- おおー。
- 松家
- これは行くしかないと、
内田さんのインタビューのためだけに、
寒い冬のシカゴまで行ってきました。
- ──
- そこまでして、話を聞きたかった?
- 松家
- はい。そのとき、『考える人』で
「クラシック音楽と本さえあれば」
という特集を進めていたんですね。
特集にはどうしても、柱として、
内田光子さんに
登場してもらいたかったんですね。
もし引き受けてもらえなかったら、
別の特集を考えようとまで、
思っていました。
- ──
- とはいえ、何日も日本を離れて、
お金だってかかってくるでしょうし、
その「一点突破」には、
不安があったりしませんでしたか。
言ってみれば、せっかく行ったのに、
おもしろくならなかったら、とか。
- 松家
- たぶん、ひとつの仕事‥‥
それはピアニストから大工さんまで、
どんな仕事であっても、ですが、
その世界で何十年もやってきた人には、
必ず何らかの蓄積があるはずだから。
- ──
- ああ。
- 松家
- そこのところは、確信があるんです。
会うことさえできれば、
必ずおもしろい話が聞けるだろうと。
インタビューして
おもしろくならない場合があれば、
それは聞き手の問題。
- ──
- そうですね‥‥そのとおりです。
自分には松家さんほどのキャリアは
もちろんないので、
確信としてはまだないんですけど、
自分も、経験からして、
おもしろくなかった話はなかったな、
とは思っています。
- 松家
- そうでしょう。
- ──
- それに、感動する場合があるなあと、
思うんです、インタビューって。
小説ともドキュメンタリーとも違う、
インタビューという形式には、
なんだか、独特の感動といいますか。
- 松家
- ありますね、それは。
養老さんの創刊号インタビューと、
内田さんのインタビューを読み返すと、
終わり近くあたりで、
いまでも、ジーンとしますから。
- ──
- ああ、そりゃすごい。
- 松家
- 自分でまとめたのに。
- ──
- 何なんでしょう、その理由って。
- 松家
- やはり、その人の心に
すーっと近づいたというか、
少しでも触れることができたと感じて、
感動するんだと思う。
世界的なピアニストだからといって、
鋼鉄の心の持ち主であるはずはない。
社会的な役割から離れた場所で、
一人の人間に戻る瞬間があるわけです。
その心に触れたとき‥‥。
- ──
- 感動する。
- 松家
- はい。内田さんのお父さんは、
外交官だったそうなんですけれど、
生粋の九州男児で、
家のことは、
何もなさらなかったそうなんです。
家のことは「よかせい」と言って、
妻に任せちゃうような人だったと
おっしゃってたんですが、
あるとき、そんなお父さんを、
来日コンサートに招待した。
- ──
- 内田さんが。
- 松家
- 当時もう高齢で、外出をしぶるお父さんを
半ば無理やり、引っぱるようにして、
来てもらったそうなんですが、
そのお父さんが、
コンサートの帰りに、車のなかで、
妻に‥‥つまり内田さんのお母さんに向かって、
こう言ったと。
- ──
- はい。
- 松家
- なんであの人が我々の娘なんだろう、
‥‥って。
- ──
- わあ。
- 松家
- なんであの人が我々の娘なんだろう。
あのすばらしい内田光子は俺の娘だ、
じゃなく、
なんであの人が我々の娘なんだろう。
- ──
- お父さんの、
心からの言葉だったんでしょうね。
- 松家
- 言葉にならない、ぎりぎりの
お父さんの気持ちが入っている‥‥
娘に対する驚きだとか、
娘に対する尊敬だとか、
親子って何だろう、
みたいなことまで含まれているなあと、
お父さんの言葉もすごい。
- ──
- はい。
- 松家
- 結局、そのときのコンサートは、
お父さんが見た、
内田さんの最後のコンサートに
なったそうです。
<つづきます>
2019-02-22-FRI
『伊丹十三選集』刊行記念
「伊丹十三と猫」
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松家仁之さんが第1巻を編集なさった
岩波書店『伊丹十三選集』が、
第3巻の刊行をもって、完結しました。
(第2巻は建築家の中村好文さん、
第3巻は伊丹十三さんのご次男、
伊丹万平さんによる編です)
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