05星野道夫さんの、最後の興味。
- ──
- もうひとり、松家さんに、
ぜひ、おうかがいしたい方がいて。
- 松家
- ええ。
- ──
- 写真家の星野道夫さんなんですが。
- 松家
- 星野さん。はい。‥‥そうですね、
星野さんも
本当に優れたインタビューアです。
- ──
- 詳しく聞きたいです。
- 松家
- 星野さんが、自然写真家として
素晴らしい写真を残したのは
言うまでもないことですけれど、
ひょっとすると、
星野さん、
「自分は、写真家でなくてもいい」
と思っていたんじゃないか。
- ──
- それは、どういう意味ですか?
- 松家
- 星野さんは、何よりもまず、
「ずーっとアラスカにいたかった」、
そういう人だったと思うんです。
自分は、アラスカの自然や、
そこに暮らす人々と、ともに生きていきたい。
つまり「写真を撮ること」も、
そのための口実というか手段みたいなもので、
そうこうしているうちに、
結果として、写真の腕を上げていった‥‥
そういう順番だったと思うんです。
- ──
- へええ‥‥。
- 松家
- 星野さんが、ずっと追い求めていた
カリブーという野生動物は、
アラスカの原野を年に何百キロと移動します。
それも、ものすごい大群で。
- ──
- はい、展覧会の映像で見ました。
- 松家
- ただ、たしかに大群なんですけど、
それ以上にアラスカは広大だから、
星野さんといえども、
そう簡単にはめぐりあえない。
もちろん、
ヘリコプターをあちこち飛ばして、
無線で、あっちへ行った、
そっちへ行った、とやれば、
探せないわけではありませんけどね。
- ──
- それをやるには、
ずいぶんとお金が必要でしょうね。
- 松家
- だから星野さんは、アラスカの原野に、
ひとりでテントを張って、
ただ待つ、という方法を選ぶわけです。
一ヶ月くらいは、平気で待つ。
- ──
- ひゃあ。原野に、ひとりで。
- 松家
- 待っている時間も、星野さんには、
宝物のような経験だったんです。
で、そんな星野さんへ向かって、
ある日、地平線の彼方から、
カリブーの大群がやってくるのが、
ちいさく見えはじめた。
- ──
- ついに。
- 松家
- おお、これはすごいと思って、
星野さんはその大群を待ちかまえて、
カメラを準備するわけです。
いよいよ近づいてきたというときに、
撮りはじめるんですけど‥‥。
- ──
- 念願の、カリブーの群れを。
- 松家
- でも、その群れのまっただなかに
のみこまれようとする瞬間、
星野さん、撮るのを止めるんです。
- ──
- ああ‥‥。
- 松家
- この光景、この音、このにおい。
追い求めてきたカリブーの群れを、
自分の五感を全開にして、
全身で受け止めて、記憶したいと、
カメラを置いてしまうんです。
- ──
- 絶好のシャッターチャンスなのに。
- 松家
- 逃してしまう。みすみすね。
- ──
- 夢中でシャッターを切った、
という話はよく聞きますが、その真逆。
- 松家
- ぼくには、今の話が、
いかにも星野さんらしいなと思える。
星野さんにとっての「写真」って、
もちろん大切なものなんだけど、
それがすべてではなかったんです。
- ──
- そうなんですね‥‥。
- 松家
- つまり
「写真」と「経験」のどっちを選ぶ‥‥
となったら「経験」を選ぶ人だった。
- ──
- 経験。写真以外の「経験」というのは、
具体的には‥‥。
- 松家
- たぶん、ひとつには、
アラスカの「物語」を自分の耳で聞いて集め、
それを文章にして残すことです。
星野さんが
フェアバンクスにご自宅を建てて、
もう「旅人」じゃなく、
アラスカに住むと決めたころには、
たくさんの友人ができていました。
- ──
- ええ。
- 松家
- 70歳、80歳になるネイティブの老人、
アメリカ本土からやって来て、
アラスカに住み着いた白人たち‥‥。
晩年の星野さんは、
彼らアラスカに住む人たちの物語を、
聞いて、集めて、本のかたちで残したい、
そう思っていたと思う。
- ──
- 物語、ですか。
- 松家
- そう、このアラスカというきびしい、
しかし豊かな土地で、
人々はどのように生きてきたか、
そこでは、
たとえば、夜、薪ストーブの前で、
どんな物語が語られてきたのか。
- ──
- 星野さんのいらした当時でさえ、
「失われつつある」という肌感覚が、
あったんでしょうか。
- 松家
- はっきりあったと思います。
あるとき、星野さんと
デナリ国立公園へ行ったことがあって、
キャンプデナリという山小屋で、
幾晩か、過ごしたことがあるんです。
- ──
- はい。
- 松家
- そのとき星野さん、こう言ってました。
とにかく、自分はこれから、
アラスカを生き抜いてきた老人たちに、
会って話を聞いておきたい。
今、自分が話を聞いておかなければ、
彼らのなかに記憶された物語は、
その人がいなくなってしまったとき、
永遠に失われてしまうからって。
- ──
- なるほど。
- 松家
- 人がひとり亡くなるっていうことは、
図書館がひとつ、
焼け落ちることと同じだと思うとも、
星野さん、おっしゃってました。
そんな動機をもとに書かれたのが、
『ノーザンライツ』という本です。
- ──
- 遺作ですね。
- 松家
- あの、アラスカ核実験場計画に反対した
ふたりの女性パイロット、
シリア・ハンターとジニー・ウッドが、
冬の悪天候のなか、どんなふうに
中古の軽飛行機でアラスカに飛んできて、
アラスカに住むようになり、
その後、仲間たちとどのように
核実験計画の白紙撤回を手にしたのか、
ふたりの家に通い詰めて、
徹底的にインタビューして書いた作品。
アラスカに住む人たちの思いを描いた、
大変な作品だと思います。
- ──
- 読むと、
アラスカへの愛情にあふれてますよね。
- 松家
- 星野さんは、
『ノーザンライツ』を完成させることなく、
取材先でクマの事故に遭って亡くなります。
星野さんはもっと、アラスカの人々の話を
聞きたかったはずなんです。
とりわけ、ネイティブの古老たちの物語を。
- ──
- はい。
- 松家
- 彼らひとりひとりのポートレイトを
大判カメラで撮影しようとも準備していて、
一部、写真が残っているんです。
- ──
- そうなんですね。
でも、アラスカの人たちの話を聞いて残す、
というところに、
最終的な興味がたどり着いていたんですか。
- 松家
- 写真家と思われている星野さんにとっても、
「人そのもの」が大事だった。
彼らの語る唯一無二の物語、
それらに触れるインタビューという方法が、
おもしろかったんだと思います。
- ──
- なるほど。
- 松家
- 星野さんの本を読んでいると、
ネイティブの古老とか、
自然のなかで暮らすことをあえて選んだ
白人たちとか、
これほど魅力的な人物に、
どうしてあんなに次々会えたんだろうと、
不思議に思うことがあって。
- ──
- たしかに。
- 松家
- 亡くなったあとで、
アラスカに取材に行ってわかったことが
ひとつあるんです。
星野さんが学んだアラスカ大学には
映像人類学という専攻があって、
そこの先生は、フィールドに出ていって、
ネイティブの村の祭りや狩猟などを
撮影し記録するという研究をしています。
- ──
- ええ。
- 松家
- その先生に会ってお話をうかがうと、
星野さんは在学中に何度も
先生に「取材」されて、
この村、あの村にはどんな人たちが
暮らしているか、どんな狩猟があるか、
といったことを聞いていたらしい。
先生は惜しみなく、星野さんに、
そういったことを伝えているんですね。
- ──
- へえ‥‥。
- 松家
- つまり、星野さんは、先生たちから、
「それなら、どこどこへ行けば、
こういう人がいるから、
その人に話を聞いてごらん」
というような情報を得ていたらしい。
星野さんって人に好かれる人だから、
人から人へと紹介されていくんです。
このことも、
いいインタビューにつながる要素だと
言っていいと思います。
- ──
- 聞く人の魅力って、あるんでしょうね。
- 松家
- こうした一連のことを、星野さんご自身が
「インタビュー」という言葉で
とらえていたかどうかは別にして、
わたしの目からみると、
星野さんという人は、
インタビューの本質というものを
理解していたんだなあと、改めて思います。
<つづきます>
2019-02-25-MON
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第3巻は伊丹十三さんのご次男、
伊丹万平さんによる編です)
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