僧侶の本多くんは、
3週間熊本に帰り、ボランティアをおこないました。
- むらかみ
- ゴールデンウィークに熊本で坊主バーをやったのは
どういうきっかけだったの? - 本多
- 最初は単純に、家や避難所にこもってなくて、
みんな飲みに行ったらいいのに、と思ったんだよね。
そういう気分にならない人もいるかもしれないけど、
自分は今は静粛にしている期間です、というのが嫌で。
連休で帰ってきている友達も多かったし。 - むらかみ
- 私もそのひとりだね。四谷の坊主バーは知っていたから、
それを熊本でやるっていうのも面白そうだと思った。 - 本多
- でしょ?お坊さんがバーやってるっていうのが、
来るきっかけになるかなとも思ったんだよね。
話のネタに来てくれればいいなって。

本家坊主バーのレシピで一夜限り開店
- むらかみ
- 本ちゃん、行動力あるなって思ってた。
私は熊本に帰ったけど、ボランティアはしなくて。
別に何をするでもなく家でグダグダしていたんだけど、
やっぱり何かすべきだったかなという引っ掛かりがある。 - 本多
- できることや、やる余裕があればすればいいと思うよ。
そういう心境とか状況になるまで無理する必要ないかな。
自分はできることがあればやりたいと思うし、
実際にやってみたけど、他の人もやりなよとは思わないよ。 - むらかみ
- 正直、ボランティアってよくわからないんだよね。
私自身が人に助けてもらったり、助けを求めることが
苦手なせいもあるかもしれないけど。
おせっかいだと思われるかなと考えてしまったり。 - 本多
- ボランティアをするのも、しないのも、
どっちが正しいということはないと思ってるけど。
ボランティアする人と、
それにハードルを感じている人は考え方が違うかなって。
自分の感じた特徴としては、
ボランティアが自然にできる人って、
響きは悪いんだけど、依怙贔屓ができるんだよね。 - むらかみ
- 依怙贔屓って?
- 本多
- 特定の人とか、グループとか、自分が助けようとしている
人たちとの関係だけにフォーカスできるという感じ。
その人にとって関心は、
目の前の「この人」を助けられるか、
助けられないかだと思う。
ボランティアに違和感があると言う人の特徴は、
私的な立場より公的な立場で見ているのかなと思ってる。 - むらかみ
- 公的な立場。
- 本多
- より客観的に見ているというか、みんなを公平に助けたい
という立ち位置で考えられる人っていうことかな。 - むらかみ
- 少しだけわかったかも。
たとえば私は、目の前の10人を助けても、他にも1000人
苦しんでいる人がいるのを放って置いていいの?
という感覚がボランティアへのひっかかりの一因かも。
割り切れないというか、矛盾を消化できないというか。 - 本多
- そうだね。それなら、個別に手を差し伸べるよりも、
大きな枠組で支援してもいいかなと思う。
ボランティアでも、具体的なサポートで動くより、
全員救える仕組みを考える人もいるからね。
どちらも必要な動きだと思ってるよ。

カウンターに立って接客
- むらかみ
- ボランティアに限らず、価値観とか考え方の違いを
目のあたりにすることが多かったな。
被災した人自身もこの出来事をどう受け止めるか、
向き合っていくかが大きく違うなと思った。
被害の軽い重いもあるけど、元々の性格とか心の強さも
かなり影響するなって。 - 本多
- そうだね。人によって条件や環境は違うしね。
たとえば、自殺する人は心が弱い、
なんてことを言う人がいるけど、
心はいろんな条件によって変化するものでしょ?
つまり条件が重なればどんな人でも自殺してしまう。
だからその条件を外してあげる必要があるんだよね。
その点でも物とかお金とか、精神的なサポートとか、
必要になってくると思う。 - むらかみ
- 大きな地震が2回あったせいで、
みんな疑心暗鬼になっているなとすごく感じたの。
前震のあと家の片付けをしたのに、
本震でまた滅茶苦茶になって、無力感というか。
うちの親も
「片付けたらまた大きな揺れが来る気がする」
って言ってしばらく手を付けられなかったし。
ゴールデンウィークに帰ったとき、
3週間経ったけど片付ける気にならないって人もいて。 - 本多
- 余震も多すぎたしね。心が折れちゃうよね。
- むらかみ
- また揺れたら本当に心が壊れると思ったよ。
ただ、家にいるのが怖いという気持ちはわかるんだけど、
家はあるのに、避難所から出られない人ってどう思う? - 本多
- 「家は無事だけど心理的に住めない」
という人と、
「家が壊れて物理的に住めなくなった」
という人は住めないという結果は一緒だと思うんだよね。 - むらかみ
- 住む家がないってことは一緒ってことね。

揺れるたびに瓦の落ちる音が響く
- 本多
- そうそう。だから当事者じゃない人の感覚で、
この家は住める、住めない、って評論するんじゃなくて、
具体的に検査して、住んでも大丈夫ですよ、って言って、
安心させてあげることとかが必要なんじゃないかなと。
家が崩れて住めない人はもちろん、
気持ちの問題で住めないという人にも、居場所を作って
あげるのは必要なサポートかなと思ってる。 - むらかみ
- 理屈はわかるけど、心の中では引っかかってる自分がいて。
だからボランティアとかできないのかなと思っちゃう。 - 本多
- それは、ボランティアに行く人とむらかみさんを
切り離して考えすぎなんじゃないかな。
他人を助けたいという感覚って、地続きだと思っていて。
たとえば隣りにいる人がバタって倒れたら、
自然に手を差し伸べるでしょう?
あるいは家族や友達だったら助けたいと思うじゃない。
その「助けたい」という感覚が、
知らない人にも向くようになるのが
ボランティアの気持ちなのかなと。
人間性が違うという議論じゃないんじゃないかな。 - むらかみ
- 関心が持てる距離が違うのかもしれないね。
ある人は家族や友達だし、別の人は困っているかもという
想像だけで、いてもたってもいられなくなるとか。 - 本多
- 誰かを助けて、やってよかったという感覚を知ると、
スッと手が出る範囲が広がるんじゃないかと思うんだよ。
依怙贔屓って表現した感覚と一緒なんだけど、
この人は助けたい、という対象が増えていくような。 - むらかみ
- でもさ、必ずボランティアって議論になるよね。
ボランティアに入るタイミングとかやり方もだし、
行政の批判になったり。 - 本多
- 議論は起こりやすいよね。
ボランティアに限らずだけど、人の行動って、
目的も達成へのアプローチもたくさんあると思う。
自分の目的を達成するための一番かんたんで、
早いアプローチを人は選ぶと思うんだよ。
さっきも話しに出たように、
「みんなを平等に助けよう」とするのと、
「特に困難な状況の人をなんとかしてあげたい」
という人では目的が違うし、当然アプローチも変わる。
なのに、どうしても一面的に語られがちだから、
目的やアプローチが違う人同士で軋轢とか、
誤解が生まれるのではないかなと。

たくさんの同級生が来店
- むらかみ
- 目的はどうであれみんなハッピーになることもあるよね。
たとえば自己顕示欲を満たすために物資を運んでも、
物資が来るというアウトプットは被災者も助かるから
よかった、みたいな。
売名と叩くのってその目的すらコントロールしようと
している気がする。純粋な精神を求めている感じ。 - 本多
- ボランティアとか、仕事で見てきた中での私見だけど、
助けることって、助ける側が何をやったかは関係なくて、
受ける人が助かったと思うことなんじゃないかなと。 - むらかみ
- 助かったと思う。
- 本多
- 助ける側が「これで充分」とか、「不足している」
ではなくて、「助かったな」って相手が思ってくれる
ことが大切だと思っているから。
だから、自分ではしょうもないな、と思った支援も、
誰かがありがたいと思ったらよいことだし、
逆に「俺はこんなにやってやったぞ」って思っても、
ありがた迷惑なら意味が無いよね。 - むらかみ
- わかる。それも難しさだよね。
この支援って本当に役に立つの?って思っちゃう。 - 本多
- そう。考え過ぎると足がすくんじゃうから、
究極を言えば、やる側の気持ちが納得するやり方で
支援すればいいと思ってる。 - むらかみ
- それは坊主バーをやった動機にも繋がる?
- 本多
- そうだね。みんなが楽しんでくれたらいいなとか、
街が元気になればいいなという思いもあったけど、
結局は自分がやりたいからやったし。
支援する側に立った自分は、
自分の心が楽になればいいと思っているんだよね。
思いがうまく受け取ってもらえなくても、
期待したような反応が返ってこなくても、
被災地の人のせいにしない。というポリシー。 - むらかみ
- なるほど。
私はもっと前の段階で引っかかってるかな。
地震があったとき、すぐに実家へ帰った、
ボランティアをしなかったし、する予定もない。
でもこうして話を聞いている。
熊本のために一生懸命というわけでもなければ、
無関心というわけでもない。
何かをした理由、しなかった理由を明確に
するのが面倒だな、もうヤダって思って。 - 本多
- ヤダで正解かもね。
複合的な状況を、「複合している」って見ない人の目に
違和感があるんじゃない?
色々な条件で出来上がっているものに対して、
それはこういうものだってラベル貼りしている人に
イライラしているんじゃないかな。 - むらかみ
- 自分でもうまく解釈できない衝動や感覚でやったことに、
わかりやすくラベルを付けられるのが面倒なのかも。
うん、面倒なのかな。 - 本多
- とりあえずはそれでいいんじゃない?
モヤモヤをモヤモヤのまま取っておくといいと思う。
いつか晴れる時が来るかもしれないし、
晴れなくてもまあいいかと囚われないみたいな。

飛行機の窓から見下ろす熊本
- むらかみ
- これからどういう風に関わるかは決めている?
- 本多
- まだいつとは決めていないけど、熊本に帰るからね。
困っている人は被災者だけかというとそうじゃないから、
自分の目の届く範囲でね。 - むらかみ
- 長い道のりになるだろうしね。
また東京か熊本かどこかで。
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