「継がなくていい、どこへ行ってもいい」。
老舗の餅屋にたまたま生まれてしまった僕は
幼い頃からそう言われて育ってきました。
そしてその言葉どおり、
26歳の現在に至るまで長野・オランダ・名古屋・京都・東京と
住む場所もやることも転々と変えて好き勝手に生きています。
就職でも地元に帰るという発想はありませんでした。
でもその間も、どこかに家業のことが引っかかっていたように思います。
伝統を自分の代で潰してしまっていいのか。
本当に餅屋の仕事だけで生活していけるのか。
店がなくなることで悲しむ人はどれだけいるのか。
岩手に戻って僕は楽しく生きられるのか。
祖母は、母は、継いでほしいと言えないでいるのではないか。
自分は、本当はどうしたいのだろう。
それらひとつひとつに答えを出していくのはあまりにも難しく、
ここ数年、悩むだけで立ち止まっていました。
たまに人に「実家が古い餅屋で」と話をすると
「絶対継いだほうがいいよ!」と言われ、
驚くほど「継がないほうがいい」という人はいませんでした。
「日本の文化を担える」
「家業があることは幸せ」
「歴史は大切にしたほうがいい」
と、かけられるその言葉にうなずける部分はありながらも
それらの言葉と自分の心との距離のようなものを感じていました。
僕にとって家のことは生活と地続きで、
伝統が、文化が、という言葉は
どこか遠いのです。
それならば「餅は餅屋」もとい
家のことは家の人、ということでこのコンテンツを口実に
これまで避けてきた話題、「家を継ぐこと」について
3代目の祖母と4代目の母に店に対する思いと、
私に期待していることを聞いてみることに。
これまで遠ざけていた問題と向き合います。
(つづきます)