ここまでで、お店にお客さんがきて先代たちとの会話は終了しました。
あとは、私の独白です。
正直、まだ継ぐのかどうか、その結論は出ていません。まだ悩んでます。
継ぐとしたらもっと規模を大きくするかなあと思ってはいましたが、少なくともこの店を続けてきた先代達はそれを望んでいるようではありませんでした。
いまの結論としては、帰省した際に家の仕事を手伝いながら東京で仕事をして、店の味は生かしつつ、流れに身を任せるという、折衷案です。
でも、そんなことより。
はじめて、ちゃんと家のことについて3人で話して、祖母も母も、家族のために店を続けていたことを知りました。
地域のためでも伝統のためでも文化のためでもなく、身近な人のために仕事をしていたということを聞いて、その言葉はどんなものより自分に近いものだと感じました。
それは当然のことで、私のためにしてくれたことでもあったから。
私は自分のあらゆることに自信がありませんでした。
この世界に生まれて、生きて、迷惑ばかりかけてしまっているようで、ずっとそれを払拭したいとそればかりを思っていました。
母に「あなたは何がしたいの」の聞かれた時、思わず黙ってしまったけれど、それは考えが無かったわけではなくて、その考えが広すぎてどう口にすればわからなかったからです。
だから、いまここで言います。
大それたことかもしれないけれど、それでも私は世界を少しでもよくしたい。いいものにしたい。
好きな人たちに笑っていてほしいし、好きな人の好きな人にだって笑っていてほしい。
だって、そっちのほうが楽しいですから。
でもそれは一足とびには叶わなくて、日常の積み重ね―例えばこの原稿の締切や、いま東京でやっている仕事、家業を手伝うこと―でしか辿り着くことのできないものであると理解しています。
そして世界をよくするためには、自分の手の届く範囲の人たちをなにより大切にしていくしかないということも。
今勤めている会社の社長にも「世界をよくしたい」と宣言して、入れてもらいました。
どうか、私が生きることで少しでもプラスの影響を残すことができますように。
そのための道を自ら作ることができますように。
そう願って。
餅屋のせがれでは世界をよくすることは叶わないと思っていました。
でも家を出て、たくさんの土地を歩いて、人と話して、そして家族と話して。
ひょっとしたら家の仕事をすることでも、自分が納得できる生き方をすることができるんじゃないかと、そう思い始めています。
ただ、もちろん今の仕事を続けることでもそれができるのだと思います。
だから、やっぱり私は引き続き悩み続けるのですが……。
それでもこれは幾分か前向きな悩みになったように思います。
この悩みは、私が私自身が素晴らしい人生を絶対に諦めないための悩みです。
いつかきっと、近い未来で決める日は訪れます。
その時にどちらを選んでも一方の道に未練は残るかもしれない。
その中でも前を向いて進めるように今ある日々を精一杯暮らします。