『ダサいことをあんなに嫌った彼女の
フェイスブックに投稿された夫婦写真が、ダサかった。
ダサくても大丈夫な日常は、
ボクにはとても頑丈な幸せに映って眩しかった。』
この文章で、やっと今の自分の人生が
肯定された気がして、とてもホッとしました。
今でも、チラシとポスターがオシャレなクソ映画を
観に行かなくてはという気持ちと、
行かなくても大丈夫という気持ちが
いつもせめぎ合っているけれど、
この文章があったから、今年の苗場で、
小沢健二が「フジ」といったら「ロック」と
自信を持って叫ぶことができたような気がします。
ありがとうございます。
2017年の夏にこの物語と出会えたことが
本当に嬉しいです。
物語とほぼ同じ時代に中央線に住み、
オリーブに掲載されていた洋服を真似て
オリジナルでカスタマイズしたこと、
セントジェームスを着てカフェで働きつつ
神奈川に住む人とメールで文通し、会い、
音楽の話をいっぱいしたこと、
始まる前に終わりを感じて
いつも不安で悲しかったこと、
最後はさよならもなかったこと、
消えかけていた90年代最後の記憶が蘇って、
身体中が痺れました。
忘れていた時代のことだけれど、
あの頃があって今があることを想い、
あの頃思い描いていた未来とは少し違うかもしれないけど、
私は私の今の幸せがより恋しくて愛しくて
たまらなくなりました。
何があっても頑丈にしなければ、と。
でも、いつかどこかで、
密かに「ひどいね」も連打してみたい。
(pinoco)