2012年3月、
戦後思想界の巨人と呼ばれる
吉本隆明さんが亡くなりました。
同じ年の10月に、
隆明さんの妻である吉本和子さんも
亡くなりました。
吉本家に暮らす人間は、
長女のハルノ宵子さんひとりになりました。
それまで、糸井重里といっしょに吉本家を訪問すると、
1階の居間に隆明さん、
2階の奥の部屋に和子さんがいらっしゃいました。
隆明さんには、仕事を運ぶうえで
たくさんのことを教えていただきましたし、
和子さんには、顔を合わせたときにはなんだかんだ
かわいがっていただきました。
吉本家を退出するとき、隆明さんはいつも
玄関先まで見送りに出てくださいました。
これは糸井重里や私たちだけでなく、
吉本家を訪問したみなさん誰もが経験していたと思います。
私たちの訪問時、キッチンにはハルノ宵子さんがいて
お茶を出したり、
吉本家の近況を聞かせてくださったりしました。
ハルノさんは、同居で両親の介護をし、
食事のめんどうをみていました。
(隆明さんは糖尿病を患っていたので
食事の管理が不可欠でした)
隆明さんへの連絡はひっきりなしで、
もちろんご自身の仕事もありました。
そんな忙しい状況でも
・父とけんかをして
ツバといっしょに入れ歯を飛ばされた
・母の栄養源は、モロにビールだ
など、ハルノさんの「近況報告」はおもしろく
私たちはいつも大笑いで
そのエピソードを聞いていました。
吉本家の外にも中にも、いつも猫がいました。
私は2006年ごろから
吉本隆明さんの窓口担当になりましたが、
いまでも、吉本さんの著書をめくるたび
新しい発見をします。
吉本隆明さんの考えに
手が届いたような気持ちになったことはありません。
しかし、実感として
自分が「すごいなぁ」と思えることのひとつに、
吉本隆明さんが、
ハルノ宵子さんとよしもとばななさんの
おとうさんである、ということが挙げられます。
居間で、吉本隆明さんと糸井重里の
おしゃべりを聞いていると
ときどき姉妹おふたりの顔が浮かぶことがありました。
吉本隆明さんと和子さんが亡くなったあとも
いくつかの仕事が残っていたので、
「ほぼ日」とハルノ宵子さんとのおつきあいは
つづきました。
ハルノさんといると、
「すごくきっぷのいい生き方をしている方だなぁ!」
と感じることがたくさんありました。
きっとばななさんも、そういう方だと思います。
そして、ハルノさんの日々を見ていると、
吉本隆明さんが考え、望まれたことが
いったいどういう世界のことだったのか、
こんな自分にもいつのまにかしみとおって
わかっていくような気がしてきました。
それはとても不思議な感覚でした。
言葉にしづらいもので、
ひと言で「こういうことだ」と
あらわすことはできません。
しかし、この連載のできごとの紹介を通じて
みなさまにお伝えできればと思います。
この連載は、2012年10月、
長い闘病をした父と母を看取ったあと、
漫画家で作家のハルノ宵子さんが
それまで3人(+猫数匹)で暮らしていた家を改築し、
自分の「これからの生き方」を決めて
「猫屋台」を築くまでの日々を追ったものです。
「猫屋台」とはいったいなんなのでしょうか。
それは次回、お伝えします。
(つづきます)
2014-09-30-TUE