はじめまして。ほぼにちは。
原田カオリと申します。
共働きをしながら都内で娘と3人暮らしをしている
原田家のヨメ担当でございます。
▲ヨメ=これを書いている私=原田カオリ
いや、本当は、
ヨメ担当というのは性別的な意味だけでして。
家庭内のヨメ担当は、夫の「トモさん」がしております。
▲トモさん=原田トモヒロ
原田家の台所大臣はトモさんです。
私の苦手な料理。
それを最も得意とし、出汁からとった、
粋で美味しくて栄養バランスの良い料理を作ることに
誇りをもっているお母さんのような台所大臣。
食に対する強いこだわりのおかげで、
まもなく3歳になる娘も
一番の好物が「焼き茄子」という
渋い舌の持ち主に成長しつつあるのでございます。
▲娘=原田ヒヨ
そんな我が家の台所大臣には、
お料理上手のお母さんがおりまして、
その名を「フミ子」と申します。
▲原田フミ子さん
フミ子さんは、旦那さんの弘敏さんと、
福岡県の海側の町「宗像市」で暮らす主婦さんであります。
▲原田フミ子さん
成人式を2巡して、
さらに数年経ったフミ子さんの3人の子どもたちは、
日本各地に散らばってそれぞれの家庭をもっているので、
5歳になるボーダーコリーのユキ(♀)が子ども代わり。
▲ユキと原田弘敏さん(フミ子さんの夫)
日々、庭にある小さな畑の世話をし、
近くの公民館で開かれる、
お裁縫やアロマ教室などの趣味の集まりに参加したり、
畑で収穫した作物を
ジャムや佃煮やお漬け物やお酒にして
子どもたちに送ったり、
年に何度かはそれぞれの孫の顔を見に福岡を離れたり、
毎日三度のごはんと家事をこなして、
それなりに忙しく暮らしているのです。
▲手作りのアロマ石鹸とフミ子さん
▲フミ子さんの手作りコーナー
▲これもフミ子さんの作品
そんなフミ子さんがほぼ毎年つづけてきたこと、
それが「ゆず胡椒」づくりでありました。
▲これが、フミ子さんのゆず胡椒
9月になって柚子が大きくなるにつれて、
自然とわき上がるゆず胡椒作りへの熱。
そろそろかな‥‥と、
送られてくるのを楽しみにしている子どもたち。
いつの頃からか、
原田家の風物詩となった新鮮なゆず胡椒は、
今年、末っ子の息子へと受け継がれることになったのです。
そんな、日本の端っこで行われた小さなお話に、
今日から少しのあいだお付き合いくださいませ。
それはある日の夜でした。
いや、正確にはいつだったのか全然記憶にありませんが、
おそらくそういう話をするのは夜でしょう。
トモさんが言いだしました。
「今年ね、ゆず胡椒のさ、
作り方を習いにいこうかと思うんだよね」
その前から、母フミ子さんが作るゆず胡椒が
トモさんの自慢の一品であることは知っていました。
機会があればフミ子さんのゆず胡椒の味を
もっと広めたいと言ってましたし、
毎年送られてくるゆず胡椒を
小分けにして大切な友人にお裾分けしたり、
「お世話になってる会社の人に渡しなさい」と
お母さんのようにそっと持たせてくれたりして、
トモさんにとっては
大事なコミュニケーションツールになっているのです。
それに、もともとウチは
マヨネーズもポン酢も無いような家でして、
必要ならその度に
自作の美味しいタレを作るような人なので、
自らゆず胡椒を作りたいと言い出すことは、
大して驚くことでもありません。
「んん。いんじゃん。」
私の返事もそんなもの。
でも、いつのまにかその構想は
もっと拡大していたのでした。
「こんなに風味豊かなゆず胡椒って、
福岡でも他にあんまり無いんだよねー。
いやぁ、これはやっぱり絶品だわ。
これがゆず胡椒なんだって、
もっと皆に知ってほしいんだよね。
どうしたらいいかねぇ?
いやね、フミ子さんもいつまでも
沢山作れるわけじゃないから、
受け継ぐならそろそろかなってね‥‥」
たしかにそうだけど‥‥。
そもそもフミ子さんも商売にしてるわけじゃないし、
「受け継ぐ」って‥‥ねぇ。
私は普通の会社員。
トモさんは音楽や音関連の仕事をしてるので、
普段の二人の仕事とも全く関係のない世界。
特に私はゆず胡椒初心者なので、
他のゆず胡椒との違いも知らなければ、
ゆず胡椒のの作り方も、
食品を売るってこともどうすりゃいいのか分かりません。
ピンと来ない私へ、
トモさんの「ジワジワ戦法」は続きます。
何かにつけてゆず胡椒の瓶を開くたび絶賛しては、
「どうしたらいいかねぇ」で終わる会話。
そんなモヤモヤ応酬が忘れたころに繰り返されて、
半年がたった頃‥‥
・お母さんが作るゆず胡椒の味を守って
商品にするには相当な手間がかかること
・それが売れたとしても、
ほんのちょこっとのおこづかい程度にしかならないこと
というところまでは少しずつ見えてきたところで、
気長な私も
「何度おんなじことをいっとんじゃーい!」
(心の声)と根負け。
それと、親に対するトモさんの気持ちも
私の中に引っかかっていました。
二ヶ月に1〜2度は
トモさんのところへかかってくる宗像からの電話。
フミ子さんからのでも、弘敏さんからのでも、
トモさんは初めは優しい息子として
ウンウン聞いてるものの、
5分もすると大抵は面倒くさそうな口調になり
「んん? で、なんね。
こういうことね? わかったわかった」
とまとめに入り、
かと思えば話し終わるか終わらないかのうちに
向こうにガチャンと切られ、
「んもぅ。用件が終わったらさっさと切りよる」
と苦笑いすることもしばしば。
▲フミ子さんと生後数ヶ月のトモさん
そしてその後は決まって、
「うちの親も年取ったんかなぁ。
ま、勝手に切るのは昔からか‥‥」
と笑いながら少し寂しそうな顔をするのでした。
まだまだ元気で若いお二人ですが、
そうはいってもそれなりの歳ですし、
あまり無茶はいえません。
そんな親子のやり取りを見てるうち、
たいしてゆず胡椒に想い入れのなかったヨメの私も
「味にうるさい人がこれだけ言うんだから、
きっと他にはない素晴らしいものなんだ!
この味を絶やしてはならないのだ!
それがうちらの使命なのだ!」
と思い込むことに決めたのでありました。
▲フミ子さんと小学生のトモさん
そして、景気付けに
「ほぼ日」にメールをしてみたのが
今年の夏がはじまりかけた頃。
ゆず胡椒作りのシーズンは9月末からなので、
もう時間がありません!
急ピッチで色々なことを調べ、
勉強し、資格もとり、休みもとり、
どうにかゆず胡椒作りの旅の準備を整えたのでありました。
ここ数年で、ずいぶんメジャーになったゆず胡椒。
でも、まだ食べたことの無い人もいるかもしれないので
簡単にご説明しますね。
「大分が原産」とも、
「いや福岡だ」ともいわれる「九州名物」のゆず胡椒は、
その名のとおり「柚子(ゆず)」と「胡椒(コショウ)」に
塩を混ぜて作った調味料だそうで。
でも「胡椒」といっても
「塩コショウ」などの胡椒じゃありません。
九州地方では全般的に、
唐辛子のことを胡椒と呼ぶようです。
しかも、一般的なゆず胡椒は青柚子と青唐辛子を使うので、
爽やかな辛みとともに、柚子と唐辛子の青さや
香り高さを楽しむものなのです。
福岡の名物のひとつ、博多串焼きのお店にいくと
必ずテーブルに塩や醤油とならんでゆず胡椒の壺があって、
脂ののった豚バラ串なんかにつけ放題!
これを焼酎や日本酒と一緒に
きゅーっと流し込むのが絶品なんですばい(えせ福岡弁)。
家庭にも、一家に一瓶は
だいたい常備されてるんだとか。
肉料理、魚料理、焼きでも刺身でも何でも合う万能調味料。
でも、自分で作ってるひとはそう多くはないんだそうです。
フミ子さんも
「私は作るけどね、
うちの周りの人は大体私が作ったのをあげちょるけん。
“原田さんがつくるやろって。
今年もそろそろかねぇ”
なんて、声には出さんけどみんな待ってるんたい」
とちょっと誇らしげに言ってましたっけ。
なので毎年フミ子さんは、
ご近所さんの分、家を離れた子どもたち3家族の分、
そして子どもたちの周りのひとの分として
結構な量を作っているのでした。
そのうちのひとつを、トモさんの友人で
東京で「天壺(あまつぼ)」という
博多串焼きやさんをやってるご夫婦に
お裾分けしたのがきっかけで、
フミ子さんはそのお店で使う
ゆず胡椒まで作ることにもなったりして。
宗像の主婦が一人で作っているゆず胡椒が、
はるか東京のお店で使われてるってなんかすごい!
そりゃ息子としたら自慢したくもなります。
しかも、「天壺」の夫婦も
フミ子さんに作り方を聞いて作ってみたのに、
同じ味が出なくて、やっぱり送ってもらった。
なんて話もあって‥‥。
その味の違いの秘密はなんなんだ?
そんなことを二人で考えながら、
まずは柚子を探しに
宗像へ帰ったのが7月の半ばでありました。
(つづきまーす) |