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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-04-30

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・いろんな本だとか、映画だとか、新商品だとか、
 感想やコメントをください、という「仕事」がある。
 残念ながら、ぼくはそういう「仕事」を引き受けていない。
 いや、「仕事」としては基本的にご遠慮している。
 本の帯文については、かなりたくさん書いているけれど、
 それは「読んでから、書ける場合はお引き受けする」
 ということにしている。
 だから「読まない」とか「書けない」場合もあるので、
 それについても、先にそのむねお伝えしている。
 映画なんかはデータをもらっても
 「見ないまま」になることも多いから、
 「見て、もし書くことがあったらツイートなどします」
 ということにしている。
 その「ツイート」をお使いくださるのは、どうぞである。

 結果的にコメントなどが使われた場合に、
 ギャラが発生するのをあえてお断りすることはない。
 参考までに言えば、それはたいてい5千円とか1万円だ。
 帯の文を書いた場合は3万円くらいかな。
 高いとも安いとも思わない、無料だとしてもかまわない。
 書きたくて書いたことだし、会社に入ってくる収入だ。

 コピーライターをやめた、と言ってから、
 よその仕事については、ほぼ、このルールでやっている。
 精神的にはとてもらくである。
 「引き受けなきゃよかった」ということが、ほぼない。
 引き受けた(つまり、結果的にやった)仕事は、
 すべてじぶんがやると言ってやっていることだからね。
 しかし、「たのしいだけですね」だとか、
 「自由そのものですね」と言われても、そうかなぁと思う。
 やっぱり、やりたくてやってるとはいえ、
 なにかを表現するということは、それなりにきびしい。
 引き受けた時点では、もっとできると思っていたことでも、
 いざやりだしたら困難だったということも、なくはない。

 さらに言うと、頼まれてもいないし知り合いでもないのに、
 「あれはいいね」みたいなことを書くこともある。
 それも、勝手にやっていることなので、
 断りを入れてくれれば、だいたいどうぞお使いくださいだ。
 おかげで、わりとずっと「正直」でいられる気がする。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほめたい」と思うことがあるって、幸せなことなんです。


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