HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

毎日、トラックで靴を運びながら
夢見たロンドンで、
スタイリストのかっこよさを知る。

数多くのミュージシャンや俳優から
信頼されている
スタイリストの宮島尊弘さんは、
洋服のことも、
スタイリストという仕事のことも、
まるで興味がなかったそうです。
でも、憧れの街ロンドンで、
スタイリストのかっこよさを知った。
専門学校卒業後、古着屋の店員や
トラックの運転手を経て、
今の宮島さんになるまでの道のりを、
お話くださいました。
以前の職場で
よくお仕事をごいっしょしていた、
「ほぼ日」の奥野が担当です。

1

ファッション・ゼロの青春。

宮島尊弘さん画像
――
宮島さんのスタイリングだったり、
関わってらっしゃる
ファッション誌や広告のお仕事のこと、
かっこいいなあって、
昔から、ずっと憧れていました。
宮島
あ、そうですか。
――
1990年代の終わりのあたりの、
降谷建志さんが出ていた
タワーレコードのポスターなんか、
すごく印象に残っています。

全体に、もうれつにかっこよくて。
宮島
ありがとうございます。
――
宮島さんご本人も写ってるんですが、
Dragon Ash の人なのかな、と。

自分は、当時はまだ学生だったので、
詳しいことを知らずに、すみません。
宮島
大丈夫です(笑)。
タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」ポスター(MIHO/降谷建志/宮島尊弘)
▲いちばん右が宮島さん。
タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」ポスター(MIHO/降谷建志/宮島尊弘)
――
まさかスタイリストさんが写ってるとは
思いませんでしたし、
そもそも当時、
スタイリストっていうお仕事についても、
きちんと理解していたかどうか。
宮島
スタイリストが、
一般に注目されるようになったのって、
もうちょっとあとだしね。
――
はい、2000年代に入って以降、
ファッション誌で
スタイリストさんの特集が組まれたり、
すごいブームが来ました。
宮島
あのときに、めちゃくちゃ増えたよね。
スタイリストの人数。
――
宮島さんは、そのなかでも、
ずーっとトップを走っておられますけど、
でも、たしか、
スタイリストになる前は、
トラックの運転手をしてらっしゃったと。
宮島
よく知ってますね、そんなこと。
――
いつだったか、
宮島さんのインタビュー記事か何かで、
読んだことがあって。

今日は、そのあたりのお話を‥‥
トラックの運転手さんから、
スタイリストになるまでの道のりを、
おうかがいできたらと。
宮島
OK。いろいろ忘れちゃってるけど、
思い出しながらしゃべります。
――
まず前提として、
スタイリストになられたってことは、
昔から、お洋服がお好きで。
宮島
いや、ぜんぜん。

お洋服なんかべつに好きじゃなくて、
むしろ何の興味もなかった。
――
何の興味も。
宮島
なかった。
宮島尊弘さんとインタビュアー二人の画像
――
ファッション・ゼロですか。
宮島
ゼロです。
――
えー、いきなり予想外の展開ですが、
では、中学生や高校生のときなどは、
どのようなスタイルで‥‥。
宮島
とんでもない格好してた。
今から思えば「ツッパリ」みたいな。
――
ツッパリ・スタイル!
宮島
で、高校を出るというタイミングで、
この先どうしようかなって。

大学は最初から選択肢になかったし、
かといって、
とくにやりたいこともなかったんで、
就職するのも何だかなあ、と。
――
当時の世間の流行に乗ってみるとか、
そういうことも、なく。
宮島
ああ、明石家さんまさんが出ていた、
男女7人‥‥「夏物語」かな。

さんまさんが
旅行のツアーコンダクターだったやつ、
そうそう、あれが流行ってたんで、
世の中、
観光の専門学校に行きたいって若者が、
けっこういたんだけど。
――
そうだったんですか。
宮島
でも、俺は、そういう感じでもないし、
あまのじゃくだから、
世間の流行りに乗りたくもなくて。

で、べつに興味もなかったけど、
服飾専門学校はどうかなと思ったわけ。
――
へえ‥‥。
宮島
同級生にも、行くってやつがいたしね。

でも、当時は、
俺がファッションの学校に行くなんて、
まわりからは
七不思議のひとつだって思われてたよ。
――
ご友人にしても、意外だったんですね。

具体的には文化服装学院ですけれども、
宮島さんの世代ですと、
有名な人もいたでしょうね、学校に。
宮島
アンダーカバーのジョニオくんとか、
NIGOくんとか、
あのふたりも文化服装学院で、同学年。

在学中は、知らなかったけど。
――
何科に行かれたんですか。
宮島
スタイリスト科。

でも、それも、
入学願書を出したのがギリギリすぎて、
そこしか残ってなかっただけで。
――
なんと。
宮島
で、まあ、洋服の学校に入るんだけど、
何科に行っても、
結局やることって服づくりなんだよね。

で、洋服をつくるのが、もう嫌で嫌で。
――
嫌。
宮島
今でも、針に糸を通したりするとかの
細かい作業は嫌いだし、
ヘニャヘニャしたものも好きじゃない。
――
ヘニャヘニャ(笑)。
ザックリしてて、硬いものがお好きと。
宮島
そう(笑)。
――
スタイリスト科ですから、
「スタイリングとは」という授業も、
あったんですよね、当然。
宮島
あったし、いちおう受けてたけど、
当時はまだ、
将来はスタイリストになろうだなんて、
まったく考えてなかった。

ひとまずそこしか空いてなかったから
入っただけで、
現役のスタイリストって人たちが、
講演とかに来るんだけど、
おもしろいと思ったことはなかったね。
宮島尊弘さん画像
――
そうなんですか。
宮島
うん‥‥スタイリストという職業には、
本当に、何の興味もなかったな。

かといって、ほかに何か
就きたい仕事があったかっていうのも、
わかんないんだけど、
とにかく、
スタイリストにだけは興味がなかった。
――
そんなに何度も、キッパリと(笑)。
宮島
まあ、学校や授業じたいは、
おもしろいとは思ってなかったけど、
変な格好した奴らが、
そこら中にウジャウジャいたんだよね。
――
きっと今も、そういう学校ですよね。
宮島
だから、その「他とはちがう」感じは、
おもしろいなと思ってた気がする。
――
洋服づくりなどの授業ではなく、
そこにいる人たちが、おもしろかった。
宮島
当時は、ロンドンナイトが流行ってて。
――
あ、大貫憲章さんの。

クラブイベントって言ったらいいのか、
とにかく、伝説的な。
宮島
その影響で、俺も、
パンクっぽいスタイルが好きになった。

何かトゲトゲしてるよねっていう。
――
ええ。
宮島
でもさ、専門学校に入学した時点では
別にトゲトゲじゃなかったのに、
学校に入ってから
急にトゲトゲになってもアレでしょ。

入った当初からトゲトゲだった奴らが、
そこら中にいるわけだから。
――
トゲも、徐々に生やしていかないと。
宮島
そうそう、急にトゲトゲになるのも
恥ずかしいんで、
トゲトゲ感は、学校のうちは、
そんなには出してなかったんだけど。
――
心の中では、トゲトゲだった。
宮島
トゲトゲだった。
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