HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

女優からアイドルを経て、
人気ライターとして
本を2冊出版するまでの話。

女優として芸能界デビューしたあと、
SDN48のメンバーとしてアイドルに転身。
そんな華やかな経歴をもつ大木亜希子さんは、
現在、人気ライターとして活躍されています。
歩き方が急にわからなくなるほど
精神的に追いこまれた日を境に、
自分の人生を見直しはじめた大木さん。
紆余曲折を経たいまだからこそ、
学生たちに伝えたいことばがありました。
担当は、ほぼ日の稲崎です。

1

スタートは芸能界。

大木亜希子さん画像
――
大木さんはいま、
どういうお仕事をされているんですか?
大木
現在はフリーランスのライターとして、
いろいろなメディアで
コラムや取材記事を書いています。

作家としては、2019年にアイドルの
セカンドキャリアについて書いた
アイドル、やめました。』と、
ウェブ連載していた私小説
人生に詰んだ元アイドルは、
赤の他人のおっさんと住む選択をした
』の
2冊を出版させていただきました。
――
大木さんはアイドルとして活躍されたあと、
ライターに転身されています。
学生のときにいまのような
お仕事をすると思ってましたか?
大木
まったく思ってなかったです。
中学三年生で芸能の世界に入って、
ずっとそういう仕事ばっかりだったので。
――
芸能界に入ったきっかけは?
大木
もともとは知人からの紹介なんです。
あと、家庭の事情もすこしありました。
15歳のときに父親を病気で亡くしまして、
同じくらいのタイミングで
芸能事務所から声をかけてもらったので、
「これで母親を助けられるかも」と思って、
そこから芸能の世界で
お仕事をはじめるようになりました。
――
女優デビュー作で
『野ブタ。をプロデュース』の
ドラマにも大抜擢されたんですよね。
大木
ありがたいことに、はい。
高校は芸能コースのあるところで、
そこでダンスや演技レッスンを受けていました。
そういう高校だったので、
芸能のお仕事をしてる同級生も多かったですね。

毎日、体重が0.1グラムでも増えたら
「ヤバい、ドラマで使ってもらえないかも!」
と大焦りでダイエットをしたり、
いま考えればムチャクチャでした。
大木亜希子さん画像
――
そのころ「将来はこうなりたい」みたいな
目標ってありましたか?
大木
将来の夢とか目標とかを考える前に、
いきなり芸能界に入っちゃったんです。
一応、そのころは
「夢は吉永小百合さんみたいになることです」
とは言ってたんですけど‥‥。
――
けど?
大木
とりあえず人から求められるから、
そう言っていたような気がします。
ウソをついていたというより、
そもそも自分がなにをやりたいかすら、
まったくよくわかってなかったので。

ただ、家庭のこともあったので、
早く一人前になって母親を助けたいという
妙な自立心はありました。
大手の事務所に所属していたので、
ちゃんとお給料もいただいてましたし、
それで学費も払えていたので。
――
まだ高校生なのに。すごいですね。
大木
まわりから見たらそうですよね。
キラキラした芸能の世界に入って、
お金も自分で稼いで。
でも、ほんとうはぜんぜんすごくないんです。
オーディションも星の数ほど受けまくって、
ほとんど落ちてましたから。

ぜんぜん活躍できてない自分と、
キラキラした芸能の世界にいる自分とが、
ぜんぜん一致してなかったんです。
そのギャップはかなりありました。
――
当時から文章を書くのが好きだったとか、
そういうのってあったんですか?
大木
特別なことはなにもないです。
ただ、本を読むのはずっと好きでした。
私、4姉妹の4女で、長女が8歳上なんですが、
長女の部屋にこっそり入っては、
いろいろと盗み読みしていました。
芸能人のエッセイ本とか、暴露本とか。
小学生くらいから婦人公論も読んでました(笑)。
――
すごい(笑)。
大木
そういう子だったので、
ロケバスで待機しているときも、
ずっと本を読んでいたような気がします。
ただ、女優は鳴かず飛ばずのまま
19歳で当時の事務所を退社して、
そのあとはSDN48という
アイドルグループのメンバーになりました。
――
アイドルに転身したきっかけは?
大木
19歳まで自分なりにがんばって、
映画で大役をいただくこともあったんですが、
自分の実力不足もあって、
なかなか次につなげられなかったんです。
それでお仕事もどんどん減って、
なんにもしない日がずっとつづきました。

まわりからは「女優」として見られるので、
外に出るときはバッチリお化粧するんです。
でも、本を読んだり、美術館に行ったり、
顔出ししないバイト以外は、
ほんとはなにもすることがないんです。毎日。


それで事務所をやめたあと、
いろんなオーディションを受けていたんですが、
あるとき知り合いから
「AKB48の姉妹グループの
オーディションがあるけど、受けてみたら?」
って誘われて、それで受けることにしました。
大木亜希子さん画像
――
そのオーディションを受けたときは、
どういう心境でしたか?
大木
いろいろな取材でも
「これが最後のチャンスだと思って」
とは言っていたんですが、
それは「夢を追いかけて」というより、
もっとすがるようなきもちだったと思います。
――
「もしダメだったら‥‥」とかは考えましたか?
大木
「これがダメだったら、芸能はもうダメかな」
という漠然としたきもちはありました。
でも、だからといって次やりたいこともないし、
どうしたいとかもなかったですね。
――
ただ、結果的にはすごい倍率を勝ち抜いて、
AKB48の姉妹グループに選ばれるんですよね。
大木
はい。そこはやっぱり、
人生のターニングポイントでした。
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