HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

女優からアイドルを経て、
人気ライターとして
本を2冊出版するまでの話。

女優として芸能界デビューしたあと、
SDN48のメンバーとしてアイドルに転身。
そんな華やかな経歴をもつ大木亜希子さんは、
現在、人気ライターとして活躍されています。
歩き方が急にわからなくなるほど
精神的に追いこまれた日を境に、
自分の人生を見直しはじめた大木さん。
紆余曲折を経たいまだからこそ、
学生たちに伝えたいことばがありました。
担当は、ほぼ日の稲崎です。

4

運命を変えたnoteの記事。

――
いまから1年半前に会社を辞め、
人生のどん底にいたという大木さん。
大木
はい。
――
そこからどうやって人気ライターになり、
本を2冊も書くことになったのでしょうか。
大木
2018年4月に会社を辞めたあと、
またバイト生活の日々に戻るんですが、
ある日「もう全部、心からどうでもいい!」と思って、
急にふっきれた日があったんです。
――
ふっきれた? それは自分に?
大木
そうです。ふがいない自分にですね。
見栄を張ろうとしていた自分。
芸能でがんばったけど芽が出なかった自分。
アイドルでもダメだった自分。
仕事をバリバリこなせる
キラキラ社員なりたかったけど、
途中で人生が詰んじゃった自分。
そういうのがバーって思い浮かんだ日があって、
「なんかもう、どうでもいいや」って。
それでいままであったことを全部、
洗いざらい書いちゃおうと思ったんです。
大木亜希子さん画像
――
なるほど‥‥。
大木
それで2018年6月くらいに
「note」にアカウントをつくって、
『月々のノルマのように男達とご飯に行くことを辞めた』
という長いタイトルで記事をアップしました。

それまでの自分の浅はかな考え方とか、
食事会でお酒を飲んで醜態を晒したこととか、
嫉妬に焦って男性とお食事に行っていたこととか、
もう「なんかもういいや」と思って、
すべてをそこに吐き出したんです。
――
そういうのって大事ですよね。
書くときもちが整理できますし。
大木
そうなんですよね。
ところが、その記事をアップした翌日‥‥。
――
ん?
大木
記事をアップした翌日、
なにげなくツイッターを見たら、
ネットの著名人の方々やインフルエンサーのみなさんが、
私のnoteの記事をめちゃくちゃシェアしてくださって。
もう、あっという間にバズっちゃって。
――
その1本目の記事が?
大木
はい。
それまでだれも知らないような人間だったのに、
朝起きたらいろんな人から連絡は来るし、
ネット上で「この大木亜希子はなにもの?」
みたいなことになっていて。
寝て起きたら、まるで別世界になってたんです。
――
ご自身としては、そのnoteの記事は
なぜそんなに拡散されたと思いますか?
大木
うーん、そうですね‥‥。
たぶん、あそこまで正直に書く人って、
あんまりいなかったからだと思います。

何歳までに結婚しなきゃいけない。
収入はいくら欲しい。
家賃が高すぎる。
友だちの結婚をよろこべない。
ハイスペの彼氏が欲しい。
なんかそういう、
だれもが思ってるけど言えないようなことを、
全部言う人が珍しかったんだと思います。

そのとき、そういうことを
私が代弁をさせていただくことで、
私と同じように辛いきもちを抱えただれかが、
少しでも共感してくださって、気が楽になってくれたら、
それは「私自身を救うことでもあるんだ」って気づいて、
それで1冊目の本の企画が思いついたんです。
大木亜希子さん画像
――
1冊目の著書『アイドル、やめました。』は、
アイドルを自らの意思で卒業した女性、
挫折した女性たちの
セカンドキャリアを取材したものでした。
この本はどういう経緯で書籍化されたんですか。
大木
最初、出版社に企画を
持ち込もうと思ったのですが、
まったくコネクションがなかったので、
先輩ライターさんのトークショーに参加して、
質問コーナーのときに
「アイドルのセカンドキャリアについての
本を出したいんですけど、
どこか出版社を紹介してくれませんか?」
って謎の質問をしたんです(笑)。
――
質問というより、お願いですね(笑)。
大木
まわりの方も
「コイツ、頭おかしいんじゃないか?」
という目で見てました(笑)。
でも、もうこっちは必死だし、捨て身だし、
どう思われてもいいやって。
思い描いていた人生から外れてしまったわけだし、
その時点では、失うものはなにもないわけです。

そしたら、その登壇者の方がすごくやさしい方で
「いいですよ、イベント終わったら、
ぼくのところに来てください」って。
それで、ほんとに出版社とつなげてくれたんです。
――
おぉー!
大木
そもそもアイドルの
セカンドキャリアをテーマにした理由は、
自分自身がアイドルを卒業したあとに、
会社員としてすごく苦労しましたし、
次の夢を見つけるのも、
ほんとに大変だったからなんです。
だから同じ境遇の元アイドルのみなさんや、
仕事や恋愛、人生のキャリアに悩む方々にとって、
この本が救いになるという自信があったんです。
そういう熱い想いのようなものを
分厚い企画書にしてプレゼンしたら、
なんとミラクル連発で、
社長決裁を通ってしまった(笑)。
――
すごい!
大木
それで2019年1月に
『アイドル、やめました。』の出版が決まって、
そこから2月、3月と全国を飛びまわって、
元アイドルの方たちを取材しまくったんです。
それで1冊目が出たのが2019年5月なんですが、
そのころには2冊目の出版スケジュールも
だいたい決まりはじめていて‥‥。
――
えっ?!
1冊目が発売される前に、
すでに2冊目も決まっていたんですか?
大木
じつは、そうなんです。
2冊目はあるメディアに寄稿した
エッセイがもとなんです。

私のnoteを見た編集長から、
20~30代の読者が共感できるような
コラムを書いてほしいというご依頼があって、
それで実際に私が体験中の、
赤の他人の「ササポン」という
50代のおっさんとの同居生活を
ありのまま書いたんです。
――
おっさんとの同居‥‥。
大木
タイトルもそのまま
『29歳、人生に詰んだ元アイドルは、
赤の他人のおっさんと住む選択をした』です。
そのウェブコラムのアップが、
2018年12月17日なんですが、
それがまたまたすごいバズっちゃって‥‥。
――
また1本目から?!
大木
ものすごい反響があって、
ツイッターのトレンドランキングに
「#ササポン」「#赤の他人のおっさん」
みたいなことばが並んで、
マスコミから取材依頼のDMもじゃんじゃんいただいて。
――
一夜にしてまたもや‥‥。
大木
私も不思議でしょうがないというか。
アイドル時代はあれだけ売れたくて苦労したのに、
なんでこうも自分が予想してないところで、
こんなにも話題にしていただけるんだろうって。
――
じゃあ、そのとき出版社から書籍化の話が?
大木
そうです。
なので、1冊目の取材をする前に、
すでに2冊目の『人生に詰んだ元アイドル~』の
出版も決まっていました。
大木亜希子さん画像
――
じゃあ、すべてのはじまりは、
noteにアップした1本の記事から‥‥。
大木
そうですね。
そこからすべてはじまりました。
(次のページへ)