女優からアイドルを経て、
人気ライターとして
本を2冊出版するまでの話。
女優として芸能界デビューしたあと、
SDN48のメンバーとしてアイドルに転身。
そんな華やかな経歴をもつ大木亜希子さんは、
現在、人気ライターとして活躍されています。
歩き方が急にわからなくなるほど
精神的に追いこまれた日を境に、
自分の人生を見直しはじめた大木さん。
紆余曲折を経たいまだからこそ、
学生たちに伝えたいことばがありました。
担当は、ほぼ日の稲崎です。
人生をリセットした日。
- ――
- SDN48が解散したあとは、
どういう生活をされていたんですか?
- 大木
- グループが解散したあとも、
しばらく地下アイドルとして活動していました。
- ――
- 解散したタイミングで
アイドルをやめようとは思わなかったですか?
- 大木
- やめたいと思っても、
そのあとやりたいこともないんです。
でも、地下アイドルでは生活できないので、
ほとんど毎日、着ぐるみのバイトや
トイレの清掃員のバイトをしてました。
- ――
- その生活はどのくらいつづいたんですか?
- 大木
- 2年くらいですね。
それで24歳の終わりぐらいに、
たまたま『しらべぇ』というウェブメディアで
「コラムニスト募集」という記事を見つけたんです。
そのときピンと来るものがあって、
見つけた瞬間に応募したんです。
- ――
- え、いきなり?
- 大木
- はい。
もともとはツイッターでファンの方が
「亜希ちゃんの文章はおもしろい」
って言ってくれたことがあったんです。
それで「コラムニスト募集」を見たときに、
いきなり「あ、やってみよう」って思って、
すぐに「元アイドルグループにいた
特殊なキャリアがあるんですが、
コラムを書かせてもらえませんか?」
というメールを送りました。
向こうもちょっと戸惑ったと思うんですけど、
運良く連載をいただけることになって。
- ――
- それはどんな連載だったんですか?
- 大木
- 世の中のいろんなサービスとか
気になることを体験してレポートする
体当たり企画でした。
- ――
- そこでいきなりライターデビューするわけですが‥‥。
じゃあ、きっかけはファンの一言で?
- 大木
- ほんとそうなんです。
昔のファンの方に
「おもしろい文章書くね」と言われた経験が、
ずっと頭の片隅に残ってたんですよね。
というのも、アイドル時代は
けっこう真剣にことばを考えて
ツイッターをしていたんです。
どれだけ自分のことを伝えられるか、
ちゃんと自分が納得できることばを
つかおうと思っていたので。
- ――
- 「納得できることば」?
- 大木
- アイドルだったときに
「きょうもまったくステージで目立たなかった‥‥」
って思った日があったとしますよね。
そういう日の帰りの電車のなかで
「このきもちをどう表現しよう?」
とか考えるわけです。
ファンのみなさんを不安にさせてもいけないし、
匂わせすぎてもよくない。
私はそこにウソのきもちを
並べたくなかったので、
どういう表現がいちばんいいか、
すごく考えてツイートしていたんです。
他のメンバーにそこだけは負けたくなくて。
「文章いいね」って言われたときに、
すごく自分の自信になったんです。
ただ、書くのが得意で応募したというよりも、
新しく職を見つけないと生活できないし、
それにすがるようなところもあったと思います。
- ――
- その連載の反響はどうでしたか?
- 大木
- 元アイドルという物珍しさも
あったと思うんですけど、
最初からすごく反響が良かったんです。
それでそのあと編集長から
「もしライターや営業の仕事に興味をもったら、
いつでも相談してね」という
ありがたいお誘いをいただいて、
そこの編集部ではたらきはじめたんです。
25歳ではじめて会社員になりました。
- ――
- その編集部では、
どういうお仕事をされていたんですか?
- 大木
- そのメディアに掲載する
広告記事の営業担当になりました。
クライアントへのプレゼンから
予算交渉、編集、執筆、出演者キャスティング。
なんならその記事のモデルとして
自分が出演したりして‥‥。
- ――
- つまり、ほとんど全部(笑)。
- 大木
- はい(笑)。
めちゃくちゃ大変でしたけど、
単純にたのしかったんです。
社会人としてのルールやマナーも、
全部そこで教育をしていただいて。
- ――
- 女優やアイドルを目指していた過去とは、
完全に決別できていましたか?
- 大木
- 決別というよりも、
これまでのいろいろな挫折があったからこそ、
今度こそキラキラした会社員にならないと
負け組になるくらいに思い込んじゃって‥‥。
- ――
- 今度はそういうプレッシャーが‥‥。
- 大木
- これまで以上に見栄を張りまくりで、
深夜まで文章の勉強したり、
営業先の人に元アイドルみたいなことを
匂わせながら仕事をもらったり‥‥。
体力的にも精神的にはボロボロでした。
でも、もともとアイドルの現場にいたからか、
わりと無茶なことでもやれちゃうんですよね。
- ――
- 過酷なアイドル時代の経験があるから‥‥。
- 大木
- でも、頭はぜんぜん平気でも、
心のほうが先にダメになっちゃって。
それである日、駅のホームで急に
歩けなくなっちゃったんです。
- ――
- え?!
- 大木
- 仕事もバリバリやって、お金もいっぱい稼いで、
なんならハイスペ男子との食事会にも行きまくって、
というのをずっとつづけていたら、
ある日、地下鉄の駅のホームで
急に歩けなくなっちゃったんです。
足が1歩も動かない。
急に歩き方がわかんなくなっちゃって。
- ――
- えぇ‥‥。
- 大木
- そのまま這うようにして病院に行ったら、
心療内科の先生に
「将来の不安や焦りから来る一時的なパニック状態」
という診断をいただきました。
- ――
- それは心がパンクしちゃったみたいな‥‥。
- 大木
- 15歳から一度も休まずに、
エンジンをかけたままずっと走った結果、
ついにエンジンが焼き付いちゃったみたいで。
それで強制終了のボタンが
急に押されたんだと思います。
- ――
- それで歩き方がわからなくなっちゃって‥‥。
- 大木
- しばらくは治療しながら
仕事もつづけていたんですが、
やっぱり無理はできないってことで、
結局、会社はやめることにしました。
- ――
- 会社をやめたときはどんな気分でした?
- 大木
- まずは「アパートの家賃どうする?」ですよね。
職なし、貯金なし、彼氏なし。
「私、28歳なんですけど、
いまからまた夢とか見つけないの?」って思いました。
- ――
- 28歳ということは‥‥。
えっ、それっていつの話ですか?
- 大木
- 会社をやめたのが、2018年4月頃です。
- ――
- 意外と最近ですね‥‥。
- 大木
- はい。
でも、人生って不思議なもので、
そこからまたミラクルが起きたんです。
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