HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

毎日、トラックで靴を運びながら
夢見たロンドンで、
スタイリストのかっこよさを知る。

数多くのミュージシャンや俳優から
信頼されている
スタイリストの宮島尊弘さんは、
洋服のことも、
スタイリストという仕事のことも、
まるで興味がなかったそうです。
でも、憧れの街ロンドンで、
スタイリストのかっこよさを知った。
専門学校卒業後、古着屋の店員や
トラックの運転手を経て、
今の宮島さんになるまでの道のりを、
お話くださいました。
以前の職場で
よくお仕事をごいっしょしていた、
「ほぼ日」の奥野が担当です。

2

ウェイヴからロフト、古着屋へ。

宮島尊弘さん画像
――
スタイリスト科にしか応募できなくて、
スタイリスト科に入ったけれども、
スタイリストという職業には、
まったく興味を持てなかった宮島さん。
宮島
はい。
――
学校を出たら、どうされたんですか。
宮島
えーと‥‥ウェイヴってレコード屋で、
アルバイトをはじめた、んだ。

文化服装学院で、
パンクのことが好きになったんだけど、
洋服屋ではたらくより、
ウェイヴのほうがカッコよさそうだと。
――
六本木ですもんね、ウェイヴって。
宮島
うん、まあ、そうなんだけど、
六本木ウェイヴでは募集していなくて、
池袋のウェイヴに入ったの。

当然、俺としては、
パンクっぽいレコードのコーナーで、
仕事がしたいと思って。
――
パンクっぽい格好をして。
宮島
それなのに、
文房具コーナーに配属されたんだよ。
宮島尊弘さん画像
――
あ、ああー‥‥そうですか。
パンクのレコードのコーナーでなく。
宮島
文房具とかノートの担当をやれ、と。

なんか、ちがうんだけどなぁ~って
思いながら仕事していたら、
ウェイヴの向かいに、
ロフトがオープンすることになって。
――
はい、池袋ロフト、ですか。
宮島
同じグループ会社だったからなのか、
俺のいた文房具コーナーも、
そっちのロフトに吸収されますよと。

で、ウェイヴの黒いポロシャツから、
いきなり、ロフトの
黄色いエプロンに着替えさせられて。
――
ロフトのオープニング・スタッフに!
配属先は‥‥。
宮島
パーティー&ゲームコーナー。

黄色いエプロンして、
クリスマスの時期なんか超大忙しで、
もう、ヤバいわけ。
――
ロフトさんのクリスマス商戦‥‥
それも
パーティー&ゲームコーナーなんて、
めちゃくちゃ人が来そうです。
宮島
俺も、文房具コーナー出身とはいえ、
ウェイヴからの流れだから、
これでいいのかなと疑問に思いつつ、
まだ若いから、ま、言われるがまま。
――
はい。ロフトの店員さんを、続けて。
宮島
しばらく、そこでやってたんだけど、
1年くらい経ったときに、
さすがに、
やりたいこととは、ちがうだろうと。
――
もともとはパンクだったわけですし。
宮島
それでロフトを辞めて、
ちょろちょろバイトを何個かやって、
そのあとに、
中目黒のトールフリーって古着屋で、
はたらくようになったんだ。
テーブルの上に置かれた雑貨の画像
――
あ、そうなんですか。トールフリー。
今もある、有名なお店ですよね。
宮島
聖林公司っていう、
ハリウッド・ランチ・マーケットを
やってる会社の店。
――
なぜトールフリーを選んだんですか。
宮島
何しろ、バイトを探すにあたっては、
どの店ではたらきたいか、
いろんな洋服屋さんを見て回ったの。

そのなかでもトールフリーって店は、
古着のセレクトはもちろん、
ディスプレイなんかも、
いちいち、かっこよかったんだよね。
――
具体的には、どんな雰囲気でしたか。
宮島
昔のアメリカの古着だとか軍モノを、
マニアックな感じで並べてた。

とくに、当時の店長さんのセンスが、
今から考えても、
めちゃくちゃかっこよかったんだな。
――
センス。どういうところが、ですか。
宮島
着ている洋服はもちろん、
まだ、ぜんぜん売れていないころの
ニルヴァーナを聴いてたり。

とにかく、
センスがヤバくて「早かった」人で、
その影響で、
俺も、学生時代にはできなかった
パンクのファッションを、
ようやく、するようになるんだけど。
――
おお、ロフト時代にもできなかった、
パンクのファッションを。
宮島
そうそう。
――
文房具をお求めに来るお客さまに、
革ジャンの鋲が刺さっても、
少々‥‥よろしくないですもんね。
宮島
黄色いエプロンでモヒカンはない。
風味はもちろん入れてたけど。
――
マイルドなパンクみたいにして。
宮島
トールフリーだったら洋服屋だし、
ファッションについては、
何をやったっていいわけだからね。
――
本格的に、パンクの道へと。
宮島
まあね。でも、細かいこと言うと、
パンクっつっても、
鋲ジャン着てるゴリゴリ派じゃなくて、
ドイツっぽい‥‥
どこか陰のあるパンクが好きで。
――
そういうの、ドイツっぽいんですか。
宮島
俺の中では、なんとなく。

頭はモヒカンなんだけど、
古着の軍パンとか履いたりとかしてて、
音楽なんかもふくめて、
自分のファッションの方向性が、
トールフリー時代に、定まったと思う。
宮島尊弘さん画像
――
なるほど。
宮島
いまの俺のスタイリングのベースも、
そこにあると思ってる。

あの時代のあの店で、培われたよね。
――
いちばん吸収する年代でしょうし。
宮島
とくに、当時の聖林公司のお店って、
トールフリー以外にも、
おもしろいっていうか、
めちゃくちゃな人たちばっかりでさ。

リアルヒッピーみたいな、
バスだとか電車に乗るときなんかも、
常に裸足の人がいたりね。
――
それは、ファッションとして‥‥?
宮島
ヒッピーっていうライフスタイルを
あの時代の日本で、
リアルに実践している人たちだよね。
――
そんな人が、90年代初頭の日本に。
宮島
いた。とんでもないアフロの人とか、
サイコビリーみたいな人とか。

いったい何なんだろうというような
ブッ飛んだ人もふくめて、
あらゆるジャンルのオンパレードで。
――
サイコビリーってホラー系ですよね。
店員さんに見えそうにない‥‥。
宮島
俺、アルバイト採用のときの面接で、
アニエスベーのTシャツを
着てたらしいんだけど、
「あいつ、まあまあ良さそうだけど、
Tシャツはやべぇよな」
って話になってたみたいなんだよね。
――
当時、アニエスベーって、
どういう立ち位置だったんですか?
宮島
いや、おしゃれだよ。

今よりおしゃれなくらいだろうけど、
トールフリー的には、
ねえだろって感じだったんじゃない。
――
そうなんですか。
宮島
ま、結局、何が言いたいかというと。
――
はい。
宮島
入ったときは、
アニエスベーを着てたくらいの俺が、
トールフリーの1年で
先輩や仲間からモロに影響を受けて、
店を辞めるときには、
頭もモヒカンみたいになってて、
古着のパンクっぽいファッションに、
すっかり変わってたってことで。
――
ええ。
宮島
つまり、トールフリーにいた時代に
「イギリスに行きたい」
「ロンドンに行きたい」となったの。

パンク発祥の地は、ロンドンだから。
宮島尊弘さん画像
――
なるほど!
宮島
でも、そのためのお金を持ってない。

だから、そこで、
トラックドライバーでもやって、
金を貯めようかと。ロンドン行きの。
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